一度、心の中で「完璧」という想念を持ってから、力強く「完璧だ!」声に出してみてください。同じ言葉でも全然パワーが異なると思います。
504 名前: 本当にあった怖い名無し :2009/02/24(火) 03:26:34 ID:P7aOiBum0
最近とりあえず108さん方式で「完璧だ」と唱えているけどどうなのでしょう?
なんだか自分の中では「感情がいい方向に向いていないから…」とか
「これでは内面の変更(観念やら執着など)の変更・手放しができていない」
とかいった考えが頭に浮かびます。
こう書くと、「エゴに抵抗している」「完璧さを認めろ!」等
書かれそうな気がしましたが、これらの点が疑問です。
取りあえず現象化に期待しない、で淡々とこなすというのが一番なんでしょうか?
教えていただければ幸いです。
12 名前: 108★ :2009/03/02(月) 00:48:34 ???0
>>(その57の)504
一度、心の中で「完璧」という想念を持ってから、
力強く「完璧だ!」声に出してみてください。
同じ言葉でも全然パワーが異なると思います。
そんな時の言葉は偉大です。本当に創造する力があるのです。
772 名前: 本当にあった怖い名無し :2009/02/26(木) 01:06:34 ID:ug0jjorf0
108さん、こんばんわ。
感情を感じ切るってあるじゃないですか。
家に帰ってやっと一人の時間が取れ、メソッドをさぁやろうと思っても、
実際にそのとき感じた感情からある程度時間が経った場合、
もう一度その想いや感情をリアルに思い出すことができません。
とても強烈に辛かったことやうれしかったことなどはまだしも、
ちょっとしたこと、同僚とのトラブルや通勤でのトラブルなど
日常的に起こることや程度の軽いものほど、なんとなく曖昧になってしまい
無理やり感じようとしてる感じがします。
それから強烈なことを想像しても何度かやってるとその感動が薄れてしまうのです。
どうしたもんでしょう。
それはそれでいいんでしょうか?執着がなくなっているってこと?
よくわかりません。それにしては、前に進んでない気がします。
お答えいただけたらありがたいです。
13 名前: 108★ :2009/03/02(月) 00:50:16 ???0
>>(その57の)772
> ちょっとしたこと、同僚とのトラブルや通勤でのトラブルなど
> 日常的に起こることや程度の軽いものほど、なんとなく曖昧になってしまい
> 無理やり感じようとしてる感じがします。
そんな些細なことにまで、改めて感情を感じきる必要はありません。
それが必要なのは、解消できないエネルギーとして残っている場合です。
つまり思い出したとき、強力な感情を伴うような案件についてです。
些細なことなら、その都度感じて解消しているので、
後から感じきろうとしても、もうエネルギーとして残っていないのです。
どういても感じ切りたければ、その都度感じきってください。
リアルタイムでその時に充分感じきって「ハイ、終わり!」と終了するのです。