108さん151/世界の全ては単なる舞台のセットに過ぎない。あなた自身でさえ単なる登場人物の一人に過ぎない。

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世界の全ては単なる舞台のセットに過ぎない。あなた自身でさえ単なる登場人物の一人に過ぎない。

 

613 :本当にあった怖い名無し:2008/08/27(水) 16:53:56 ID:n8ankLRk0

108さんのおっしゃる「今に浸りきる」感覚は、何度でも味わえるようになりました!
わたしの場合は、脱力感と腕や足の筋肉への軽い刺激(?)があります。
気づくと口を半開きにしていたりします。外ではできないかもですw

そこでさらに質問させていただきたいのですが、
このときにたくさんの愛情や幸福感、充足感を味わえばよいでしょうか?
また、すでに手に入れている願望を見る・受け入れることの許可・決断・意図は、
この状態で行ってもよいのでしょうか?

それから、『ザ・チケット』第7章(すべては実現し手に入っている)を
理解し受け入れて生活する場合に、

「なぜだかわからないけれど、全部うまくいった(○○が実現した・手に入った)」
「私はこの状況を、一体どうやって脱したのだろう」

などのメソッドを用いることは、別の領域と現実世界とで矛盾した認識をすることになりますか?
もしそうあであるならば、わたしが願望実現へ向けて取り得る肯定的なアファメーションの
メソッドは第7章のメソッド20のみとなるのでしょうか?
このあたりで混乱してしまっています。

7 :108 ◆90KoxUVipw :2008/08/29(金) 05:19:33 ID:sAhTm7kX0

>>(前スレ)613
> このときにたくさんの愛情や幸福感、充足感を味わえばよいでしょうか?
> また、すでに手に入れている願望を見る・受け入れることの許可・決断・意図は、
> この状態で行ってもよいのでしょうか?

味わって良いです。
許可・決断・意図については、人によっては難しいかもしれません。
というのは、そのとき思考を働かすことになるからです。

「今」メソッドは、それを感じられれば充分です。
そこで何か有効なことをしようとか考えなくても。

> 別の領域と現実世界とで矛盾した認識をすることになりますか?

往々にして、なるでしょう。
ただ、採用するのは別の領域の認識にしてください。

アファメーションについては、シックリ来るものがそれだけなら、そうなります。
でも、シックリ来ようが来まいが、採用するのも一手です。
そのときにどんな感じがするのか、感じてみると良いと思います。

886 :本当にあった怖い名無し:2008/08/28(木) 21:06:19 ID:iqLpIXNjO

108さんに質問です
私はおまじない癖(願掛け?)が酷くて、この階段を右足から登ってはいけないだとか
青いタオルは使っちゃダメだとか、部屋の戸を完全に閉めてはいけない、
ご飯を全部食べてはいけない等々等々…毎瞬毎瞬のことで昔からの癖です。
かなり病的で疲れます

これはエゴの仕業ですよね?
こんなことしても別に幸せになるわけじゃないのに自分でも意味不明です。
誰かにやれと命じられてるみたいです。これをスッパリやめてしまいたいです。
何故エゴは私にこんなことやらすのでしょう?それが疑問で仕方がないです。

あと、もういいや~と手放した願望でも叶わなかった場合と
願いもしなかったけど、いい事が起きた場合の違いってなんなんでしょう?

それとも叶わなかったのは手放せてなかったのでしょうか?

9 :108 ◆90KoxUVipw :2008/08/29(金) 05:20:47 ID:sAhTm7kX0

>>886
ジンクスを全部破って「それでもどうってことなかった」
という経験をして、思いこみを解体すればいいですね。また、

「ジンクスを破るとご褒美がある」

という条件付けをしてみると面白いですよ。
それが難しければ、

「なぜ階段は右からでないと駄目なの?」
「なぜ青いタオルは駄目なの?」

というように、それぞれの思いこみについて延々と問いかけて、
内面をとことん掘り下げていってみると良いと思います。
単なる思いこみによる条件付けであったことが分かれば、恐怖心は消えていきます。

> あと、もういいや~と手放した願望でも叶わなかった場合と
> 願いもしなかったけど、いい事が起きた場合の違いってなんなんでしょう?

上については、手放せていなかったか、
あなたが叶わない方がベターであると知ったからです。
下については、願いもしなかったなんてことは、本当はありません。
意識していなかっただけです。

一々判定しようとしなくなると、
実際にはベストなことが起きていることが分かってきます。

739 :本当にあった怖い名無し:2008/08/28(木) 04:00:57 ID:fMXOEF3O0

昔から自然に思っていたのは、私とAさんとBさんがいて、
「私から見たBさん」と「Aさんからみた見たBさん」が違う人間であることは
理解できているから、それぞれの視点こそがその人の世界だとはおもっていた。

だから「私」と「Aさん」「Bさん」がそれぞれ存在しているが、見えている
「世界のフィルター」が違っており、そのフィルターの理解を摺り合わせていくことが、
相手の世界を知っていくことだと思っていた。

だがこの話だと「Bさんを見るAさん」でさえも私が作り出しているということじゃないですか??
ということは結局はBさんもAさんも架空の人間になるじゃないですか。
私としては「色眼鏡」の方がしっくりくるんですけども。

チェスでいえばコマとして存在していたつもりで他人のコマと関わっていたけれど、
チェスボード一式全体が私そのもの、ということになることになるじゃないか?
………なんかもう「エェーーーーー!?!?」としかいえない………。

じゃあ、なんなの?
でもなんであなた方は私の存在がわかってレスをくれるの???
あなたの世界で私の文章がどう移っているの?どこからが私の世界であなたの世界なの?
存在はあるんだよね?どの人間も……

「世界には自分ひとりしかいない」っていうのも、やっぱり「色眼鏡」や「視点」のことですよね?
だから相手には相手の世界があるんですよね、どこから相手でどこから自分なの???
わからないよ108さん……

11 :108 ◆90KoxUVipw :2008/08/29(金) 05:22:45 ID:sAhTm7kX0

>(前スレ)739
かなり混乱しているようですね。
ですが、この回答はもう少し待ってください。
いずれ詳しくやりたいと思います。今日のところはさわりだけ。

「この状況は、全て私が作っている」


このことが本当にシックリ来れば、この世界の全てのものは、
単なる舞台のセットに過ぎないのであり、周りの人はおろか、あなた自身でさえ、
単なる登場人物の一人に過ぎない、ということが実感できると思います。

と、謎をかけて終わりますw
例によって、スレ内で解決済みと思われるもの、ご指名でないものはスルーしました。
見落としたもの、不充分なものがあればご指摘ドゾー。
では。ノシ

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