本来なこと、ホンネのこと、自然なことは実に淡々としてスムーズです
416 : 幸せな名無しさん :2019/12/19(木) 22:20:43 YpCyG2/o0
手にするってどういうことだろう?
本音に従ってこれにする!って選ぶことですか?
417 : 幸せな名無しさん :2019/12/19(木) 22:42:35 tYdMqEpo0
名前を外せばただ在るに当然なるけど、人の旦那さんとか名前を外したら在るだけだからといって取ればいいだけとはならないよね?
480 : なるほど :2019/12/25(水) 20:09:39 o4D8Ixu20
>416
あなたの目の前に、あたなの大好きなりんごがあります。たまたま、喉も乾き、
お腹も少し減っていた。
手を伸ばしてりんごを取った (・・・・)
この時のあなたの気持ちや状態が上の( )内なら、どんな感じですか?
超うれしいぜ~、では無いはず。どちらかと言えば、、、、
「お!ちょうど良いや」とか「ラッキー、、」とか、もっとなら
実に淡々とした感じ、当たり前な感じでは?
これも何度も書いてますが、本来なこと、ホンネのこと、自然なことは
形になるのですが、それは【実に淡々としてスムーズ】です。
そうでないならワクワク・ウキウキ、です。
だから。
実に淡々としてスムーズ:名前を外しまくった状態や、ぼ~っとしてる時
ワクワク・ウキウキ:快に向かってる時
この2つを大切にと書いてます。
>>417
真実を知った、または触れた、または、伝えられた時に、
エゴシステムが取るパターンはいくつかあります。
疑問を投げかける、否定する、そもそもみない、具体例というしごく限定されたものから
全を見ようとする。
今回のこの書き込みは、私にはエゴシステムの単なる反応に思えます。
これらの反応を採用するもよし、エゴシステムの反応を脇におき
まずは【全体的で本質的なものは何だろう?】という、どちらか言えば
認識変更よりの態度を取るもよし、です。
420 : 幸せな名無しさん :2019/12/19(木) 23:39:42 qbgrtEWE0
なるほどさん
ご相談させてください。
なるほどさんの名前外し、ぼーっとする、充足が自然な状態 を実践しています。
毎日はだいぶ楽になり、今は幸せだ~と感じられるようになりました。
今はほんとうに不足なく幸せだと感じられます。
ただ、私が怖いのは未来のことなんです。
わたしは持病があり、フルタイムは難しく、非正規雇用で働いてます。結婚もしていないです
いまは実家で安心して暮らせていますが、老後のことなど考えるのと怖くなってしまいます。
かといって今どうしたらいいのかわからなく、その考えること自体が不快なので、名前外しやぼーっとするをしていると何も考えなくなってしまいます。(今が楽しい!となるだけ)
これでいいんでしょうか。
なにかやり方に間違いというか改善すべき部分などあれば教えていただけると幸いです。
481 : なるほど :2019/12/25(水) 20:25:03 Q8B86FkI0
>420
いくつかの視点から。
まず今日、様々な手段でかつ、時と場所に関わらず、金を稼ぐ方法はあります。最初の内は
少額で稼いでいても、それが大きくなることもあります。また、在宅で仕事を紹介する
マッチングサイトもあります。要はその気になれば、いくらでも探せます。まずは一歩からです。
何にも道がない、なんてことはありません。前を向こう!
次。
今、名前外しやっても効果は限定的です。他の方にも書いてますが、名前外しは
対処療法じゃありません。私たちが思い込んでる枠組みや言い訳なんて、全部後付じゃないか!
って気づくためのもの。
遠回りのように思えても、ここをベースにすれば、あなたが設定し抱えてる枠組みも「ああ!自分で作っていたのか!」って分かります。
ここに気づけると、冒頭に書いた、制限された肉体として、金を金銭的資産を得るということに関する様々の思い込みや、活動にブレーキをかける心の働きが落ち着き、結果、いい感じになりやすい。
ほかでも書いたように、全で在るも、真の自分ですが、制限された肉体でこの世界で生きてるのも真の自分です。現れ方が違うだけ。
だからこそ、真の自分の気づけば、それは、制約のあるこの世界での自分にもちゃんと映ってくるんです。
それを、ああだの、こうだのいう、エゴシステムの意見ばかり採用するから、見えなくなる。
だから、制約のある肉体としての自分も真、意識としての全で在る自分も真、であることに
境目なんかないことを体感するために、名前外しとぼ~っとするを伝えてます。
421 : 幸せな名無しさん :2019/12/20(金) 09:36:01 rK6p3.Qs0
なるほどさん、ありがとうございます。
胸のズタズタ状態は、かなり改善しました。ほぼよくなったように思います。エゴシステムの分離外しのくり返しと自愛をしていました。そうしているうちに、なぜか「未来の自分に直結」という想いが浮かんできたので、意図してみたら、胸の中心にエネルギーが戻りました。今、意識を向けてみると、このエネルギーはエゴシステムの分離外し開始直後に胸の中に入ってきた「私」の感じに似ていました。
昨日の朝、目覚めるときですが、久しぶりにエネルギーが体の内側に満ちている感じになりました。肉体は疲労し筋肉痛や凝りがありましたが、内側の身体(インナーボディ?)にエネルギーが充満しているという感じです。
エネルギー、力に満ち溢れ、「ドラゴンボール」で孫悟空が身体に気を充満させドドドーンと爆発させるようなイメージを自然に繰り返していました。また、孫悟空が超サイヤ人になるときのような感じでエネルギーも充満し、自分自身が覚醒、拡大しかけるような臨界状態に繰り返しイメージの中でなりました。この身体には仕事で疲れがかなり残っていたのに不思議な感じです。
起きてしばらくしたら普通の状態に戻りましたが、また今朝起きる直前は同じような状態になり、今度はさらに
「自分は、こんなちっぽけな身体に閉じ込められている存在じゃない! この身体から解放しろ! 誰がこんな不自由な身体・
個のなかに閉じ込めたんだ!? 認識だって限定され、不便じゃないか!?」
という思いが浮かんできて、大変でした。
それにしても、驚くことばかりです。
【エゴシステムとの分離、を外します】ですが、このメソッドを始めてすぐ、「私」のイメージが胸の中に入ってきて驚きました。エゴシステムは、世界を名付けて分けて思考によって理解しようとしているだけでなく、この世界を観察している意識を私は本当の自分だと感じていますが、この本当の自分である意識からも分離してしまっていたようです。まさか体感するとは思いもしませんでした。
>エゴシステムの分離外しとは、言ってみれば、システムの真実に気づくための
方法です。でも、映画のような演出はない、でもプロセスは映画と一緒です。
映画「マトリックス」のようにヒロインのキスがないのは、少し残念に思います。(微笑)
>でも、無理は禁物ですよ。
ありがとうございます。不真面目にダラダラと休み休みしながら、楽しみながら真剣に取り組みたいと思います。
ご紹介頂いた2冊の本を入手しました。「意識は傍観者である」は文庫本が出ていて安くで手に入り、「量子論のすべてがわかる本」は改定され、先月出たばかりの決定版になっていました。ドラゴンボール超 8とドラゴンボール超 9 、NARUTO―ナルト― 53とNARUTO―ナルト―60は、取り寄せ中です。
482 : なるほど :2019/12/25(水) 20:50:24 Q8B86FkI0
>421
何冊か本を手にされてる方ですよね。後半でも書かれていたように思います。
紹介本や映画について解説します。
まず、映画マトリックス。これは、まんまです。覚醒前のネオとエージェントの関係、
エージェントの仕事(!)、ネオの覚醒、覚醒後に起きること・・・
他にもいくらでもあります。何回みても気づきがあるはすです。
ちなみに、私にはコードは見えません笑
でも、肉体として自分と意識であり全である自分は同時に感じることが出来ます。
だから「在るから、まさにこの手にする」と普通に書けます。
NARUTO。これは、自分のなかの憎しみ(憎しみもエゴシステムの代表的反応です)と
向き合う辺りは、まんまそのままです。【エゴシステムと共にある】なんて宣言もいけます。
また、九尾がNARUTOの内部封印で抑え込まれてるのなんてのもそのままです。
NARUTOは自身で分かっていて時期が来るまで封印してますが、多く方は、
内にある大きな【自然の力】に、無意識に封印をしてます。
そしてNARUTOは、この封印を自ら解き、尾獣とリンクするのですが、今までと
全く変わって力と自信にあふれる辺りは認識変更して起きる状態と言い換えてもいいです。
そしてドラゴンボール超は、言わずと知れた身勝手の極意です。身勝手の極意とは
【自身の中にある単に闘うという、純粋でホンネの気持ちに、思考を介在せずに
肉体を反応させる】ってことです。
私の例えなら【身勝手の極意=スーパーに買い物にいく自然さ】です。
身勝手の極意を発動中、また、極めるプロセスの中で、悟空がいくつか言っているんですが、
「ムダな感情はもういらない」
「周りに振り回されない」また武天老師も「答えは己の中にあるのじゃ」なんてのも
言ってます。実にわかりやすいです。
そして、意識は傍観者である。思考どころか、なにかやろう!と思う少し前に、
実は、その挙動がある!ということを科学的に検証したのはすごいと思います。
それが、自然の働きなのか、本能か、はたまた別なのか。
何れにせよ、思考→判断→行動と思い込んでる私たちの枠組みが、実は非常に怪しい、
ってことをきちんと説明してる良著です。
これらはほんの一部です。いいでしょうか。この世界そのものが、真の自分の映しであるなら、
上記のようなヒントや気付きは、それこそ、無限にしかも、私たちの目の前もうある、って
ことです。
上記がたまたま、ではなく、逆に、これしか気づけ無いって逆に捉える方が自然です。