108さん202/嫌なことの原因について考える必要はありません。望む現実になるよう内面を調整していけば良いだけのことです。

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嫌なことの原因について考える必要はありません。望む現実になるよう内面を調整していけば良いだけのことです。

 

319 :本当にあった怖い名無し:2008/10/03(金) 23:46:35 ID:vs9e+CoY0

108さんに質問です。
チケットにもあったように「すべては自分の責任である」という引き寄せでは基本の部分ですが
スレでも何度も話し合われているように「ネガティブな現象に遭遇している場合」に
この考えを思い出すと、必要以上に自分自身を責めて、傷つけてしまいます。
ネガティブに回転していくといいますか。

「自分の責任」という言葉の捉え方をどこか「自責の念、罪悪感」に置き換えているようで。
これは、どのように思い直せばよいでしょうか。

私は自分のあまりよくない時期に、スピリチュアル関係の人にこの言葉を多用して
話をされた結果、さらに深く傷ついて闇に向いた経験があり
その人の状況しだいでは、劇薬に近い酷い言葉だと感じるところもあります。

683 :108 ◆90KoxUVipw :2008/10/06(月) 03:14:50 ID:v8ffZnjK0

>>319
「自分の責任」を「自分のせい」と考えてしまうんですね。

あなたが自由に絵を描いたとします。
なんだか、妙な絵が出来上がってしまいました。
色遣いも気に入らないし、思ったような出来にはならなかったのです。

このとき、あなたは自分の絵に対して

「自分のせいだ」

と考えて、自分を責めるでしょうか。
そんなことをしても、絵の方は一向に変化しません。

「絵を描いたのは自分である」
という認識さえあればいいのです。嫌なら描き直せばいいだけです。
描き直さずに、その絵の前で悶々と悩むのも、もちろん自由ですが。

責任というのはそういうことです。
投影に対して、深刻に悩んで取り組む必要はありません。
嫌なことに対しても、原因の所在について考える必要はありません。
望む現実になるよう、投影元の内面を調整していけば良いだけのことです。

717 :319:2008/10/06(月) 10:19:20 ID:gJYT6Zij0

>>683
108さん、返答ありがとうございました。
自分の絵に対して、下手であれば「自分のせいだ」と私は、自分を責めると思います。
自分を責めても絵は変わりませんが「なぜこんなに下手なのだろう」
「どうしてうまく書けないのだろう」と思うと思います。

ですから、「責めるでしょうか?」と聞かれれば「責めます」
嫌なら描きなおせばよいだけとのことですが、一度引き受けたこと、
決めたことを次々と変化させる習慣がついていません。

悶々と悩むのも自由とは自分の責任に対して自分を責めているということでしょうか?

例えが抽象的で美しすぎてよくわかりません。
108さんのおっしゃる「自分の責任」とは、ずいぶん軽いものなのですね。
それは「責任」でしょうか?

910 :108 ◆90KoxUVipw :2008/10/07(火) 02:51:24 ID:ZP7kEHDM0

>>717
> 自分の絵に対して、下手であれば「自分のせいだ」と私は、自分を責めると思います。
> 自分を責めても絵は変わりませんが「なぜこんなに下手なのだろう」
> 「どうしてうまく書けないのだろう」と思うと思います。

では、そうして下さい。
先に書いたように、そうすることも、もちろんあなたの自由です。

> 嫌なら描きなおせばよいだけとのことですが、一度引き受けたこと、決めたことを
> 次々と変化させる習慣がついていません

どうやら、ここは読み違えていますね。そんなことをしろとは言っていません。
引き受けたことや決めたことを、変化させる必要などありません。

ただ、あなたが責任に対して強迫観念を抱いていると、
撤回したり変えたりしたい、という欲求にはかられやすいと思います。
同様に「撤回してはいけない」「変えてはいけない」とも思いがちです。

何故かというと、望まない形で責任を取ることを避けたいと感じているからです。
つまりあなたは、責任に対してとても強い恐怖心を抱いているのです。

> 108さんのおっしゃる「自分の責任」とは、ずいぶん軽いものなのですね。
> それは「責任」でしょうか?

このように、あなたは「責任」に対して、とても深刻で重い属性を与えているように感じます。
私からすれば「責任とは、とても軽いものです」としか言えません。
それに対して、あなたのように深刻な属性を与えていないからです。

責任ということに対して、深刻な属性を与えていれば、
あなたは責任ということを、その深刻な属性の状態で体験することになります。
責任ということに対して、深刻な属性を与えていなければ、
責任を深刻な属性の状態で体験することにはなりません。

本人が予め与えた定義づけでもって、その概念を体験しているに過ぎないのです。

911 :108 ◆90KoxUVipw :2008/10/07(火) 02:56:47 ID:ZP7kEHDM0

(つづき)

おそらく、あなたの以前の体験がトラウマのようになっていて、
「責任」という言葉に過剰反応して、より深刻な属性を持たせる構造に
なっているいるのだと思います。

あなたの>>717での反応は、正にそういった反応です。
でも、それはそもそも、あなたの>>319での問いかけから始まっていることに気づいてみて下さい。
その深刻な属性をわざわざ持ち出しているのはあなた自身なのです。

だからこそ、「責任」に対して「自分のような定義付けをしていない」
と感じる私に対して、激しく苛立ち、憤りを覚えているわけです。

「責任感とは深刻なものである」

というあなたの定義付けを、誰かに否定されていると感じたら、
あなたは居ても立ってもいられないのです。
逆にそれほど強く、この考え方に依存してしまっているということです。

あまりお勧めではありませんが、責任感に対して、
そのような深刻な形で取り組みたいのなら、そうしてください。
そこから何か見えてくるものがあるかもしれません。
手放すことも簡単にできますが、今のあなたはそうしたくないのかもしれません。

そうなら「全ては自分の責任」という考え方を受け容れる必要はありません。
あなたにとって抵抗の少ないやり方で、幸せを感じていって下さい。

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