108さん40/「信じる」ということは「信じていない」ということです

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「信じる」ということは「信じていない」ということです。

 

448 :本当にあった怖い名無し:2008/04/17(木) 10:33:31 ID:LmBfUAWm0

108さんレスありがとうございました。
私は260のレスを書いた本人でして、260のレス下半分が実践を含めた状況です。
私自身の本音のところは、260のレスに書いた自己流LOA解釈の2番目までは
良く分かるんですが3番目以降は「どうなの?」という思いです。

つまり、幸せ不幸せってのは所詮主観的なものなので、どん底の精神状態の人
(私もほぼそうですが)でも、いろんな巷のメソッドや周りの人のアドバイスや助けや、
時には神様や教祖という存在をうまく利用することによって、精神的に立ち直らせる
ことはできるでしょうし、そして結果本人が前向きにアクティブになって、
心の視野が広がり、今まで見えなかった条件や考え付かなかったアイディアが
沸いてきて、成功を収めることができる、という理屈なら分かります。

数あるLOAっぽい本の中で行動を重視してる本はこういう観点なんだろうと思います。

ただそこから先の話、エゴ(=「五感で感じられる物だけが存在しているものだという
人の心の根っこにある概念とかパラダイム、それ以外の存在を認めると崩壊してしまう」
と解釈中)の邪魔や罠をすり抜けることさえできれば、人の「思い」に大いなる力が
呼応して、偶然やサプライズを経てその「思い」が目の前に魔法のように実現する。
となると懐疑に近いかなといったところです。

でも、今は切羽詰った状況でもありますので、懐疑の気持ちを認めつつも、一方で
盲目的に大いなる力を信じ、その魔法の心地よさを精一杯楽しみながら感じてます。

皆様から解釈とか方法の誤りの指摘とかアドバイスなんかいただけたら幸甚

260 :本当にあった怖い名無し:2008/04/16(水) 15:58:39 ID:5celC3Vg0

>>255
LOA本数冊流し読みした俺流解釈だけどね。LOAの手順として次のようなもんだと思う

1)幸せは気の持ちようなので、がんばってとにかく現状に満足する問題点の執着を解く)

2)満足な気持ちを感じつつ、理想の結果を描いて実感する。何かぽやぁんと幸せになる

3)途中、「無理じゃね」と思うけど無視無視。手順をあれやこれや想像すると
  エゴ(とこのスレで呼ばれてるもの、何かよく分からんが)の邪魔を誘発するかも
  しれんので

4)偶然とか奇跡とかサプライズとか

5)理想の実体化

俺の場合だと
1)脱大企業して勤め始めた会社の資金繰りがふたを開けてみると厳しくて危機。
  営業一筋の俺に「金あつめてこいやっ、さもなくば実印押せやっ」って怒鳴られても
  知らんがな・・・でもこんな経験大企業にいても味わえない。俺って幸せ。
  俺が理想としてた脱ぬるま湯がちょっと違った形で実現、やったぁ。

2)大金をてにしている俺。あの憎たらしい社長だけど金を渡して喜んでもらってる
  自分を想像。普段当り散らされている俺の家族もニコニコ。

3)絶対誰かが今まさに(遅くとも4月30日までに)俺に億単位の金を持ってきて
  くれているはず。「これ使ってやってください」って。「誰が?」「何故?」
  知らん知らん。銀行と折衝もせずこんなこと考えてるとなんとなく幸せ。
  現実逃避とちゃうで。(←今ここ)

4)偶然とかあれやこれや

5)このスレの皆様に報告

だから、まず今の生活だからこそ得られるプラス要素(無理やりにでも)見つけて、
(無理やりにでも)満足することから始めてみてはどうでしょうか。
そのためのテクニックは心理学レベルから迷信レベルまでいろいろあるみたいです。


707 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/18(金) 01:39:14 ID:8ZUaSBoR0

>>448
>>260に関しては、私なら
3)途中「無理じゃね」と思ったら、「なんでそう思うのだろう」と問いかける。

4)その観念を変更する

LOAからはみ出るかもしれませんがw、そう対処します。
あなたの場合は、恐らく「別の領域」をまだあまり信用していません。
エゴの創った構造の方が確かで、より強固だと思っているからです。

「これはどうやら、エゴの理屈はまやかしだぞ」

と気づき始めると、それを証明するようなことが、どんどん起きてきます。
でもそうでない場合、障害となっている観念を丁寧に変更していった方が近道です。
無理に「別の領域」を信じようとするということは、裏を返せば、
まだあまり信頼していないということです。

「盲目的に信じる」と書いてらっしゃいますが、その裏にはこんな観念があります。

「目や耳をふさいで、そうだと信じるしかない!目を開ければ、
 信じるに足る根拠などないということが、分かってしまうからだ!」

キツイ言い方かもしれませんが、ズバズバ言わせていただきます。

709 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/18(金) 01:40:06 ID:8ZUaSBoR0

「信じる」ということは「信じていない」ということです。
いくら「それを知っています」と言おうが、心の中で「嘘だ!それは知らない!」
と感じていれば、それに従った形でしか現実は現象化しません。
何を言うかではなく、何を感じているかなのです。

「何かを信じている」「何かを知っている」と言うとき、
本当にその状態でなければ、エゴに付け入る隙を与えることになります。

「嘘だ!俺はは信じていないし、知ってもいない!」
こんな風にです。そしてエゴを強化してしまうのです。

「信じる」「知っている」という表現は、そういう危険性があります。
この言葉を使うときは、たとえ本当に信じていず、知っていないとしても、
それを感じている必要があります。

ある邪魔な観念を認識したとき、そこに注意してください。
「この言い方、この考え方はエゴをより強化していないだろうか」と。

エゴの影響を受けない言い方、考え方に表現を工夫してみてください。

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