108さん37/自分が認識している世界は、全て自分自身を通してのみの認識である

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自分が認識している世界は、全て自分自身を通してのみの認識である。

 

697 :503:2008/04/06(日) 21:04:47 ID:3XmJvYuB0

前スレ920についてです。以下のようなやり取りがありました。

前スレ884氏
>やっぱり「良い」気分でいることは大事なんだなと改めて思いました。

108↓
>本当にその通りです。
>それこそが、幸せな現実を創造するエンジン部分なんですよ。
>この「気分(感情)」を、現実に対する単なるリアクション装置としてしか
>機能させていないのは、まことに勿体ない限りです。

これについてですけどね。
引き寄せについて、具体的なイメージよりも良い感情で居る事の方がうまくいく。
これについては同感なんですが、でも、ややもすると自分で自分の感情を壊してしまう。
エゴの恐怖の部分とすぐ繋がってしまうということなんでしょうけどね。

特に仕事中は、自分が認められたいとか、あいつに負けたくないとか、そういう考えが、
つい心に宿ってしまう。(認められないと将来つらい。負けると将来惨めだという予想)
なぜなんでしょうね?

もう、自分を苦しめる予想は、絶対しないようにしようと強く心に誓っているのに!!
そのうちに、少しずつでも変わっていけるものでしょうか?

856 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/08(火) 04:41:40 ID:cb4w+yO40

>>697さんへのレスの前に、「特定個人の引き寄せ」について
ひとこと書いておきたいと思います。

引き寄せ・願望実現に「これはタブー」「これはセーフ」などというものはありません。
それは、私たちの理性で「そういう、もっともなレッテルを貼っている」
というだけのことです。

「特定個人の引き寄せ」が何故困難に感じるかは、前スレで書きました。

ひとことで言うと、対象を固定することで執着心と重要性が高まり、
さらに自分の内部で不可能性を感じて、それに激しく抵抗するためです。

もの凄くピンポイントで強力に焦点を合わせているために、
穏やかな、可能にする領域の力を作動させにくいからです。
自分の内部で、実現と逆の思考・感情が発生しやすいことが原因です。

「構造的にそうなりやすい」というだけの話であって、
「倫理観から外れるから」とか、「それは叶ってはいけない性質のものだ」とか、
そういった理由で実現しにくいのではありません。

その領域は、そんな狭い了見で私たちを裁いたり、
独自の基準で内容を判別してノーなどと言ったりしません。
別の領域に「基準」も「ノー」なんて概念もありません。

857 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/08(火) 04:44:44 ID:cb4w+yO40

特定個人の引き寄せがタブーということなら、
特定のスポーツ大会の優勝もそうでしょうし、
特定の職種・分野での成功もそうなります。
特定の車種やマイホームへの引き寄せも同様です。
特定のビジネスパートナーと巡り会うことも同じ事になるし、
両親への特定のプレゼントも、特定の美味しい料理も…

特定の人生レーンへの移動はタブーということにもなります。
我々は常に「特定のもの」を引き寄せています。

なので「特定の」ということは、本当は条件として何ら障害ではありません。
ただ、その対象が「人」であり、願望内容が「恋愛成就」だから、
「それは他人を自分の欲望に従ってコントロールするこで罪悪だ」として、
してはいけないことだと勝手に認定しているだけのことです。

他人をコントロールするのではありません。そんなことは出来ません。

しかし、自分の現実はコントロールすることは出来ます。
それしかできません。そこに「特定の誰かとの関係性」が含まれていたとしても、です。

ここを「他人の人生や現実をいじくる事」だと思ってしまうと、
まさにそれこそが、個別であり、不安であり、コントロール不可能な事だと認定し、
罪悪感と恐怖心を発生させる原因となってしまうのです。

つまり、そんな風に考えているのはエゴがしていることなのです。

858 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/08(火) 04:47:00 ID:cb4w+yO40

ずいぶん前ですが、名無し時代にこんな風に書きました。

自分が認識している世界は、全て自分自身を通してのみの認識である。
 従って、自分が認識している世界のあらゆる属性は、全て自分自身が決定し得る

私のこのスレでの最初の書き込みは、こんなレスでした

・現実=実体ではない(実体は別のところにある)

・現実とは、その実体から投射された三次元映像のようなものである

・我々が全ての可能性から自由に選べるように、
 あらゆる実体は無限のバリエーションを持っている

・自分にとっての現実とは、我々がその無限のバリエーションの中の、
 焦点を合わせた部分である

・その現実での他人や現象は、同じところにフォーカスしている
 他人の意識や現象である

・本当は全ての可能性をあらゆる人と共有しているが、焦点を合わせている
 のは、それぞれ自分が選んだ現実である

・「この現実」に焦点を合わせているのはあくまで自分だし、その意味で自分
 しか自分の現実を創れない(選べない)が、実際には全ての可能性を共有
 しているため、他の可能性を選択している自分(の意識)も無限にある

・つまり現実とは、そこにフォーカスしたもの同士の意識が、その意識や現象と
 交流している「場」である


859 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/08(火) 04:49:00 ID:cb4w+yO40

現実がひとつだと考えてしまうと、不足や、得たり失ったりの領域にどっぷりつかってしまいます。
結果、感情はその唯一の現実に対する個別のリアクション装置の役目しか果たさなくなります、

こうやって、ますます「唯一の現実」という観念が強固になっていくんです。
そしてより有利に、より狡猾に、より疑心暗鬼に、より冷酷に、
あらゆる意味で「なんとか生き残ろう」とせざるを得なくなります。

それは不可能性の支配する世界です。
そこにとどまる限り、永遠に幸せになどなれるわけがありません。
その世界は「幸せ」という属性を持っていないからです。

「幸せだ」と感じる瞬間、その喜びがどんななものであったとしても、それは「別の領域」
で起きていることです。その領域は、その属性しか持ち合わせていないからです。
決してこの世界で、ではありません。

どんなにこの世界で起きているように見えていようとも、です。

だから、積極的に「別の領域」を感じるようにしてください。
「今、この瞬間」を感じ、「愛だけ」に浸ってください。
その領域での経験は、自動的に反映されてきます。

不可能性が支配しているように見える、この世界にです。
その領域での本当の経験が、この世界への投影となって現れてくるのです。

860 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/08(火) 04:51:54 ID:cb4w+yO40

ということで>>697さん、別の領域になるべく浸るようにしてみてください。
この現実世界では、とにかく自分を許して、楽にしてあげるだけで良いです。
どうせ投影に過ぎないんですからw

> ややもすると自分で自分の感情を壊してしまう
> 自分が認められたいとか、あいつに負けたくないとか、
> そういう考えが、 つい心に宿ってしまう
> 自分を苦しめる予想は、絶対しないようにしようと強く心に誓っているのに!!

これらのことも、許してあげてください。
「ああ、また同じような反応をしているんだな」と、軽く捉えてください。

そのうち、別の領域での「本当の体験」が増えていくに従って、
そういう思考や感情は自然に消えていきます。

そのうちに「変わっていく」のではなく、本来の自分を取り戻すだけです。
その現実を「今」選べば、過去も未来もそれに従って瞬時に変更されます。
その意図を持つ事だけが必要条件です。

そうすれば、そうなるしかなりようがないからです。

861 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/08(火) 05:00:01 ID:cb4w+yO40

それでは、おやすみなさい。。。

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