紙さん_03/執着は願望自体を、今感じている不足から脱する手段として捉えているから

この記事は約3分で読めます。
スポンサーリンク

執着は願望自体を、今感じている不足から脱する手段として捉えているから

 

968: 紙 :2015/12/09(水) 05:41:59 ID:tZ4HZIio0

願望についてですが、願望は本来喜びです。
何故叶えたいのでしょうか。「叶えばどんなに良いか…」と様々な理由があるかと思います。
今感じている不足を埋める唯一絶対、強力な手段としてエゴが厳選し必死で生み出した願望に、
人は執着しがちです。

願望自体を、今感じている不足から脱する手段として捉えているからです。
願望が叶ったとしても、不足からは脱せない。

例えるなら願望に執着とは、地獄から脱する為に蜘蛛の糸の出現を必死に空を仰いで祈っている。
蜘蛛の糸が垂れてくることもあるかもしれない。

蜘蛛の糸に一時的には歓喜し登るが、糸の危うさ、
空の高さに不安になり、結局歓喜は消え、また恐怖に飲み込まれるか、糸が切れ、落ちます。


願望は、不足を感じている今から脱し幸せをくれる引き換えチケットではない。


969: 紙 :2015/12/09(水) 06:07:29 ID:tZ4HZIio0

願望は、ただ喜びや潤いを与えてくれるものです。
地獄から天国になるようなものではない。「叶ったら嬉しいな」は、その通りです。
ですからその程度の軽いものなのです。

先に幸せになれ、と仰っているのは、
願望は地獄から天国行きのチケットのような重たいものではない。
エゴが必死で天国とはこういうものだ、と考えたものが全て叶ったところでそこは天国ではない。
エゴの限界を痛感して同じ事を繰り返すだけです。

必死になり蜘蛛の糸が降りてくると予想した1点を集中して見つめるとそれ以外は見えない。
後ろから声をかけられても気付かないか、邪魔するなくらいにしか思わないでしょう。

後ろには天国が広がっているにも関わらず、見えないのです。
後ろ、というより、最初から天国にいたのです。しかし暗くてわからなかった。
恐怖からここは地獄だ判断し、脱する手段を考え天を仰ぎ1点集中。

神は最初声をかけた、「周りを見るように」次は肩を叩いた。
あなたは気付かない。鞭で打った。あなたはやはり地獄だ、と判断し、目を閉じ祈る事に専念しだした。
神は呼び掛けを過激にしていくしかないですよね。タライを落としたり。

↑これが再配達です。

108さんが何を言っているかというと。
目を開けろ。周りを見ろ。今いるここ、が、天国であり、他にはない。
頑なに目を閉じ、見ようとしないからタライやら水やら被り鞭を打たれただけだ。

すぐには目は開けられないかもしれない。
ここがあなたが目指していた天国だと信じられなくても大丈夫。ここが天国である事は揺るがない。
あなたがすべき事は、目を開けよう、と決意し、ゆっくり開けていけば良いだけである。

願望は叶えば嬉しいのではないか、と思うのなら、そう思えば良いだけで、
目を開けて今実は天国にいたのだった、という真実を見る事と、
叶ったら嬉しい、とウキウキする事と、
蜘蛛の糸の出現を必死で願う事は全く別の事なのだ、という事です。

タイトルとURLをコピーしました