親の病気を治したいけど恨みもあり心からアファメーションをする事ができない
844 :本当にあった怖い名無し:2008/07/27(日) 04:30:29 ID:zqZn+gzLO
108さん
私も質問させて下さい。気長に待つのでお願いします
自分の親が癌になってる事がわかりました。
親が助かるようにアファしたり、現実的にも勿論いろいろやっていくつもりなんですが、
うちの親は普段から不平不満が多くて、感謝するのが損、子供なんだからやってくれて
当たり前て考えなんです
ありがとうと言えない、感謝できない性格です
おまけに家族が傷つく事でも平気で言う人で、そんな親を許せないような、
改心して欲しい気持ちを持っています。
でもそんな、私にとって酷い人でも助かって欲しい、生きて欲しい
こんな場合、どうすれば親への恨みに近い気持ちを消して親に回復してもらえますか?
こんな親でも助けてくれてありがとう等とアファしてますが、こんなんで良いんでしょうか?
そして自分の心配の気持ちはどうすれば落ち着きますか?
アドバイス下さい。お願いします
950 :108 ◆90KoxUVipw :2008/07/29(火) 03:29:47 ID:xhP4IoKa0
>>844
親御さんはあなたの投影です。
ですから、まず一番に癒すべきはあなた自身です。
その「恨みに近い」という親御さんに対するあなたの気持ちは、
それに対応する部分を、あなたが内部的に保持している印です。
ですから、まずそこを癒してください。
親御さんではなく、あなた自身の対応する部分を癒していくんです。
改心するのは親御さんではなく、あなたです。
意外かもしれませんが、あなたが改心すれば、
つまりその憎しみに対応する部分を癒していけば、親御さんに変化が現れるはずです。
このように、あなたの内部と連動して親御さんに変化が現れれば、
親御さんの癌も、あなたの内部の問題であることが分かってくると思います。
そうすれば、自分に対してどうアプローチすれば親御さんの癌が治るのかも、
その時点で分かるはずです。
アファメーションは、あなた自身がシックリ来るのならどんな形でも構いません。
でも、最も大事なのは、あなた自身を癒していくことです。
871 :本当にあった怖い名無し:2008/07/27(日) 19:27:17 ID:3ffeGaa10
108氏に一度聞きたいことがあります
願望とは、利害関係絡む願いや自己犠牲からこない願望は、後で必ず巡りめぐって
しっぺ返しがくると言います。特定の恋人を誰かから奪う形や、人を蹴落とす形でしか成功しない
企業人から羨ましがられたい賞賛を貰いたいという願いは、最終的には人のためにならない形が多いです。
ただ純粋に○○になりたいと考えている人も、それになることによって得られる利益や
喜びに目が向いています。だから最終的には自分勝手な喜びによって巡り巡って
不利益がくると思うのです。
これは私自身の体験からも思うのですが、本人の利益を考えない利害関係に
支配されていない願いなんて存在しないと思います
今、今、と集中するメソッドを行いましたが、体が浮く感じを覚え、また何もできない恐怖を感じました
これは私が恐怖のもとで常に思考しているからでしょうか?
108氏は願望を叶えるときまったく利益を考えたりしないのですか?
951 :108 ◆90KoxUVipw :2008/07/29(火) 03:32:28 ID:xhP4IoKa0
>>871
いきなりで申し訳ないですが、
> 願望とは、利害関係絡む願いや自己犠牲からこない願望は
> 後で必ず巡りめぐってしっぺ返しがくると言います
私はまず、この前提を信用していません。
それは、その人にとって受け入れやすいかどうかだけの話だと思います。
唯一認めるとすれば、この前提条件は「罪悪感をあまり感じなくて済む」ということだと思います。
願望自体に善し悪しはありません。
それをどう関連させて考えているか、というだけのことです。
> 今、今、と集中するメソッドを行いましたが
> 体が浮く感じを覚え、また何もできない恐怖を感じました
その場にいないので確実なことは言えませんが、瞬間的に、かなり深い部分まで行ったんでしょうね。
たぶん、その恐怖は自我を失う恐怖です。あなたの普段の思考傾向とは、恐らく関係ありません。
私が願望を考えるとき、全く利益を考えないということはありません。
でも関連思考は少ないかもしれません。展開についてもあまり気にしません。
願望は単純なほど実現しやすいはずです。
それについて色々関連させて考えていくと、様々なものがぶら下がってきて、
単純に実現というわけにはいかなくなってきます。
物事を利害関係で見てしまうと、色々面倒なことが出てきます。
現象化において、その価値観を持ち込むことになってしまうからです。
そういう意味では、子供のように余計に考えないというのは正しいと思います。
敢えてシンプルにしてみると良いと思います。