私たちは「自分」というものを認識するときに、「何が不足しているのか」という観点で識別しがち
299 :本当にあった怖い名無し:2008/06/28(土) 23:46:37 ID:K1L0TFtn0
チケットを買いました。
で、108氏の「今を感じる」というメソッドに似たようなことを子供の頃、頻繁にやっていました。
とりあえず、ただひたすら「今」を感じる、というか、「今ここにある自分」を意識するんです。
そうすると、変な気分になってきて、そのうち自分が誰で、どうしてここにいるのかさえも
わからなくなるのです。一種の記憶喪失状態です。
でも、それは決して長くは続かなくて、せいぜい1分ほどで自分を思い出します。
記憶喪失状態の時は本当に怖くて、「どうしよう、どうしよう」という感じなのですが、
思い出せた時はすごくホッとするので、スリルを感じる為によくやっていました。
これは自分で考えたことだし、ただの遊びや暇つぶしとしてやっていたので、
108氏のメソッドとは違うかもしれません。でも、あまりに似ているので気になって。
そして、自分が誰であるかを思い出す時に真っ先に浮かんでくるのが、
大抵その時に一番悩んでいることだったりします。
例えば、先生に無視されてるとか、友達とうまくいかない、とか。
自分の名前や住所より、そういう問題を真っ先に思い出して、それから自分は
どこどこに住んでる誰々である、という順番で思い出していました。
かなり前のことなので、今やれと言われてもできません。
そして、子供の時に願望が叶いまくっていたというわけでもありません。
でも、これって何か意味があったのでしょうか。
939 :108 ◆90KoxUVipw :2008/07/09(水) 03:33:06 ID:alXb/6uA0
>>299
深いですね。
そして、大変面白いお話だと思いました。
自分に戻るとき、真っ先に思い出すのが「そのときに抱えている問題」だという部分も、
興味深いですね。
私たちは「自分」というものを認識するときに、
「何が不足しているのか」という観点で識別してしまいますね。
それが自分というパーソナリティを構成しているのだとすれば、ちょっと恐ろしい話です。
ここに大きな真四角の石があります。
どこにでもあるような、何の変哲もない石です。
これだと他と区別できないので、ノミで削って形作っていきます。
「ここが少し足りないことにしよう」
「ここはもっと削って、うんと足りないことにしよう…」
こうやって随分と削り、独特な形が出来上がりました。充分、個性的と言っていいでしょう。
しかしその形は、本来の完全な形から大幅に削り取った、不足の総計とでもいうべき形なのでした。
元々、削り取るべきものなど何もなかったのに。
492 :本当にあった怖い名無し:2008/06/30(月) 23:10:15 ID:b3a9WGLC0
108氏、詳しく解説してもらいたいことがあります。前スレ995にて、
>・その友達は大切であり、失うことは許されない
>・その友達は深刻な生命の危機にさらされており、極めて切迫した状況である
>これらの条件を(難しいかもしれませんが)一度取り外してみてください。
>なぜかというと、あなたの現実ではその認定が友人の状況を決定しているからです。
>というのは、現実と見えるものは、全てあなたの内面の投影だからです。
とありますが、エゴによる状況判断あるいは内部的観念を取り外すというのは
いったいどういったメンタリティなのでしょうか?
私はこの質問者ではないのですが、これはスレ15の905の
>「でもあの人には恋人(or伴侶or子供)がいる」
>「最悪な別れ方をした(から復縁は絶望的だろう)」
>「あの人は、もう私のことを好きではないのでは」
>「絶対に、あの人でないと駄目なんだ!!」
>全て、成就を妨げているあなたの内部的観念に過ぎません。
にも通じていると思います。
状況判断を取り外すというのは、前者で言うなれば、友達は絶対的に健康である、
後者で言えば、私は好きな人と結ばれている、と断定するということなのでしょうか?
加えて、重要度を思いっきり極限まで下げる、とのことなのですが、
これは別の領域に手放すということなのでしょうか?
教えていただければ幸いです。よろしくお願いします。
940 :108 ◆90KoxUVipw :2008/07/09(水) 03:34:18 ID:alXb/6uA0
>>492
状況判断を取り外すとは「判断しない」ということです。
判断しているということは、内部の観念の影響を受けてしまっています。
つまり、無意識に内部のデータベースを照会しているのです。
引用されたレスで言えば
「誰かが健康だ、病気だ、軽症だ、重篤だ」
これらは全て状況判断です。いわば照会結果による現実への認定です。それらが、
「この状況は悲観的だ」
「あの人と付き合うことは困難である」
こういった結論を導き出します。
つまり、ほぼ自動的に、ある一定方向に向けて
現象化へのプロセスを開始してしまっていると言うことです。
だから、予め状況判断を取り下げて、こういった自動プロセスをキャンセルしてやるわけです。
重要度を極限まで下げるのは、執着を取り去るためです。
仰るとおり、別の領域に手放すためにです。