認識こそが全てだと思います。それによって、必要なものは連鎖的に現れてきます。
877 :本当にあった怖い名無し:2008/03/31(月) 19:06:03 ID:xiePJ36t0
108 ◆90KoxUVipw氏
ざっと見ただけだけどエゴと別の領域(=真理?)の言葉を見分ける基準ってなんなの?
ガイ・フィンリーの「嫌なことは手放してみよう」って本にも似たようなこと書いてあった
けど、よく分からなかった。
880 :108 ◆90KoxUVipw :2008/03/31(月) 19:34:11 ID:0FE2ut5Z0
>>877
以前スレ10で私が書いた「エゴの定義」を再掲します。
>「我々は個別の存在であり、安全から切り離されている」
>という観念に基づいた自我意識と、そこから生ずるあらゆる思考と感情。
>また、それによって生じた全ての現象と結果であり、「恐怖心」の源泉であるもの。
しかし、実際にエゴの誘惑か、別の領域からの導きかを判断することは難しいでしょう。
ここで間違った判断をしないためには、見分けをしないことです。
つまり、判断自体をしないということです。
「これはエゴの罠だろうか?あるいは別の領域からの導きだろうか?」
こう考えているとき、あなたは
「迷っていて、間違った判断を下すかもしれない自分」
という状態の波動です。そして、そういう現実を引き寄せつつあるわけです。
だから、判断を止めて
「全ては完璧に起こっている」
と考え続ければ、判断ミスは起こり得ません。
それは、現実(と見えている状況)への評価を拒否し、
ただ一つの真実だけに断定することを選ぶ、ということです。
そう考えていると、自分自身への評価も取り下げていくことになります。
そうすると、行為や思考・感情が全て適切に行われるようになっていきます。
それが正しいかどうか、評価して判断する必要のない状態に導かれていく
ということです。
881 :本当にあった怖い名無し:2008/03/31(月) 19:58:45 ID:xiePJ36t0
>>880
すごいね。
でもその考えに100%委ねるのは勇気が要るよね。
どうやってその信念を維持する状態に達したの?
886 :本当にあった怖い名無し:2008/03/31(月) 20:35:45 ID:VTysiJcwI
>>880
108さんの内容はエイブラハムの最新巻、カヌーを例にした話に共通してるよね
オールを手放すだけでいいってやつでしょ?
903 :108 ◆90KoxUVipw :2008/03/31(月) 23:53:03 ID:QNFzdQFE0
>>881
私はある時期まで、状況を完璧にコントロールできる方法を模索していました。
しかし、そうしようとすればするほど、上手くいかないことが多かったように思います。
ところがある時から「コントロールしようとしない方が、むしろ上手くいく」
ということに、だんだんと気づき始めました。
認識が変わり始めると、その構造が徐々に理解出来るようになっていきました。
それにつれて、現実と見えるものも変わっていったのです。
自らの体験を通しての理解なので、信念というよりは
「知っている」というような状態です。
>>886で紹介されているエイブラハムの新刊は未読ですが、
おそらく同じ原理について述べているのだろう、という事は分かります。
909 :884:2008/04/01(火) 00:14:40 ID:W7ezSnAD0
>>903
もっと純粋に気持ちよいなぁって浸るのを忘れてました。
今日は今までのんびり大好きなことに囲まれてみました。
すると不思議ですね。
連絡が欲しかった人から連絡が入ったり、嬉しいニュースが舞い込んだり。
やっぱり「良い」気分でいることは大事なんだなと改めて思いました。
おまけに帰宅時には38度あった熱もすっかり下がってましたw
ワクワクしつつ眠ることができそうです。
・・・でもまだ素敵なお話が聞けそうで眠るのももったいないかなw
920 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/01(火) 00:54:01 ID:YW0RCE7W0
>>909
そうですか、良かったです。
>やっぱり「良い」気分でいることは大事なんだなと改めて思いました。
本当にその通りです。
それこそが、幸せな現実を創造するエンジン部分なんですよ。
この「気分(感情)」を、現実に対する単なるリアクション装置としてしか
機能させていないのは、まことに勿体ない限りです。
皆さんも、どうぞ有効に活用してあげてください。
968 :881:2008/04/01(火) 01:53:53 ID:sHPvk7Nl0
>>903
レスサンクス。
「知っている」ような状態ってのは「思い出した」ってことなのかな?
神との対話で
「地上での仕事は自分が何者であるかを学ぶのではなく
(すでに知っているのだから)、思い出すことだ」
っていうような記述があったが。
どのような姿勢、心の状態がそのような知恵を生んだのでしょうか?
何か瞑想とかしてますか?
983 :108 ◆90KoxUVipw :2008/04/01(火) 02:57:10 ID:EHOjmYCA0
>>968
実際には思い出したということなんでしょうが、感覚的には「知っている」が一番近い。
「知っているような」ではなく、「明らかに知っている」。
「完璧に分かっている」という感じです。
神との対話のその記述に関しては、その通りです。
何かを発明したり生み出しているのではなく、既にあるものを発見し、
思い出しているということだと思います。
瞑想はしたりしなかったり。ず~っとしない時期もあります。
以前は瞑想等を毎日やって、その感覚を常に感じようとしていました。
でも認識さえ変われば、必ずしも必要ではないということが分かりました。
知っている事実に信頼を置いていさえすればいいわけです。
認識こそが全てだと思います。
それによって、必要なものは連鎖的に現れてきます。