108さん176/既にある「現状」という幻想の中から、喜びを感じる部分を見つけ出す。

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既にある「現状」という幻想の中から、喜びを感じる部分を見つけ出す。

 

654 :本当にあった怖い名無し:2008/09/16(火) 13:25:14 ID:+GPwJela0

108さん質問です。
私はなぜか、自分が幸せになるのが怖いんです。
私ははっきり言って、苦しみや悲しみから何かに気付いてそれを糧にして
幸せになれる、なんて考えはとても馬鹿らしいと思っています。

傷ついた分だけ優しくなれるとかすごく嫌いだし、悲しみが増えて他人に怯えるだけだと
思っています。そもそも人に優しくなれるってそれは良いことなのか?
人に気を使う=優しい=自分を殺して相手を優先というイメージです。
十分傷ついたし相手を尊重してきたけど全く幸せにならなかったからです。

他人が私のせいで傷つくと言ったり、泣いたりすると耐えられない自分がもう嫌なんです。
私が幸せになると、誰かが傷ついて文句を言ったり拗ねたりした記憶が強いです。

で、私はもう努力もしたくないし人に優しくもしたくない
(喧嘩をするわけではなく、人を傷つけても無関心になりたいだけです
この世が幻想で自分が一人しかいないということらしいので)
そしてお膳立てされた幸せコースをどんどん進んでいきたいんです。

なのに一向にそうなる気配がありません。
私の願望は動機が不純なものがたくさんありますが、これを叶えてよいと自分に許可できないんです。
私が喜びを感じようとすると、いつも自分をイジメた子や母親の大丈夫なの?と心配する声が響きます。
「何幸せそうに調子のってんのあの子(私)…」と突っ込む感じです。

私はどうしたらいいでしょうか?
最近は怖くて幸せを願うことも、願望をもつことも、それを叶えてよいかさえも
誰かから許可して貰わないと願えず、今の不幸な状況のまま固まっている状態です。

今、今、今メソッドも一度も成功したことがありません。
だから別の領域からの許可と言われても、ただ「私は○○」と言っているだけと感じます

122 :108 ◆90KoxUVipw :2008/09/25(木) 03:02:12 ID:3Ejn4BfD0

>>(前々スレ)654
> で、私はもう努力もしたくないし人に優しくもしたくない
> (喧嘩をするわけではなく、人を傷つけても無関心になりたいだけです
> この世が幻想で自分が一人しかいないということらしいので)

ちょっと誤解されているようです。
努力したくないのは結構ですが、「人に優しくしたくない」ということは、
「自分自身に優しくしたくない」と言っているのと同じです。

なぜなら、「他人」というのはあなたの投影であって、
それに対して、敢えて「優しくしたくない」ということは、
その投影に、その条件付けでもって取り組む羽目になるからです。

前にも書きましたが、投影というのは「あなたに全く関連なく見えている幻影」などではないのです。
それはあなたの内面の正確な反映であって、いわばあなた自身を映し出しているものなのです。

> そしてお膳立てされた幸せコースをどんどん進んでいきたいんです。

単純にそれを選んでください。
あなたが先に挙げた条件付けは不要なものです。
というのは、それによってあなたに好ましくない現実をかえって支えることになっているからです。

> 誰かから許可して貰わないと願えず、今の不幸な状況のまま固まっている状態です。

では、私があなたに許可します。
あなたは今すぐに、幸せを受け取ってよろしい。
あなたが内部に作った条件付けを、解除することを許します。

123 :108 ◆90KoxUVipw :2008/09/25(木) 03:04:25 ID:3Ejn4BfD0

(つづき)
> なのに一向にそうなる気配がありません。

これは、>>654さんだけでなく、他の人も結構感じられているようなので、ちょっと書いてみます。

「望むように現実化している気配がない」

あたかもそのように見えるのは、
時間軸でもって現象化のプロセスを捉えようとしているからです。
つまり「エゴの合理的視点で解釈しようとしている」ということです。
言い換えれば、投影に対して証拠を求めようとしている、ということです。

エゴは、その証となるものが前もって提示されないと、そのプロセスを認めようとしません。
しかもエゴは、不足を見つけることで自らの存在を支えるような仕組みになっています。

だから、あなたが自分の望むように内面を変更し始めると、それに対応した現象化が
「起きていない」かどうか(「起きているかどうか」ではありません)探して見つけ出そうとします。

対応する現象化が、起きていては困るわけです。
「現実と悪戦苦闘して取り組む」というエゴの存在価値を、否定されることになるからです。

現象化のプロセス自体は、エゴが認識して理解できるものではありません。
それは「別の領域」という、エゴの関知し得ないゾーンで起きていることだからです。

だから、現実という投影から証拠を見つけ出そうとする限り
あなたは「現象化していない」現実ばかりに焦点を定めることになってしまいます。

124 :108 ◆90KoxUVipw :2008/09/25(木) 03:07:24 ID:3Ejn4BfD0

(つづき)

だから、
現象化していようがいまいが、頑としてそれを認めてしまいなさい

と言っているのです。

「時間の経過とともに、いずれ現象化してくる」と待ち続けていると、
いつまで経っても変化しない現実に苛立ってくるでしょう。
というのは、エゴの合理的解釈を採用し続けているため、
合理的解釈が成立しないことは、起きてこないことになるからです。

あなたは、エゴの予測範囲外のことを期待しながら、
一方で、エゴが納得しないことは受け入れないよう、思考を働かせているのです。
分かりますか?

 認識を変える。現状を見る。何も変わっていない。

これでは、今までの関連思考に何一つ変化が起きていません。これを、

 認識を変える。

ここまで単純化してみてください。
これで、検証しようと現状を見ることと、そこからもたらされるフィードバックによって
せっかく変えた認識がキャンセルされることを防げます。

実際のところ、認識が変われば、あなたは既にその世界に移動しています。
そこで、今まで通りの幻想を見ようとするかどうかだけの違いです。

ありふれた、簡単な方法を紹介しましょう。
既にある「現状」という幻想の中から、喜びを感じる部分を見つけ出すのです。
こうすることで、望む現象化と関連なく、あなたは最終的に望んでいる現象化と
同じ方向を向くことが出来ます。試してみてください。

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