575 :幸せな名無しさん:2013/12/13(金) 02:07:39 ID:wo8LxFqI0
532です。お答え頂き、ありがとうございます。
自分では、「叶うかどうか」考えていないと思っていたのですが、
やはり無意識のうちに「叶えるため」に浸っていたのかもしれません。
気づかせてくれてありがとうございました。
571も参考にしながら、淡々と自己観察してみます。
578 :幸せな名無しさん:2013/12/13(金) 13:45:18 ID:wX9UY6560
≫575
淡々と、あとゆる~くですね。
「叶うかどうか」気にしてしまうけどまあいっかー。くらいで。
576 :542:2013/12/13(金) 02:51:34 ID:Z7vtn3p20
>「たった今」っていうのは、すべてを生み出す瞬間、すべての可能性がある瞬間のこと。
通常の直線的な時間としてしか捉えてないと、ほんの一瞬にしか思えないだろうから、
その一瞬に「すべてがある」なんていっても意味不明かもしれないけど。
そうじゃなくて、もっと根源的な始まりの瞬間というか。
私たちはこの次元で直線時間を体感しながら生きているけど、
それは分離してるからそう感じるだけで、本当の自分は根源の一つの点だよ。
そこからワーーッとビッグバンが起きて、散らばっていったほんの先端の小さい飛沫みたいのを
自分だと思い込んでるんだよね。
この壮大な宇宙の飛沫部分の、ほんの小さな一人の人間として「私」を認識してるけど、
本当は宇宙丸ごと自分で、その大元の最初の弾ける前の一瞬、全宇宙を作り出す前の一瞬が自分。
「たった今幸せになる」というのは、その根源に戻るって事なんだよ。
自分はちっぽけな飛沫なんかじゃなくて、すべてを生み出した根源こそが自分だと気づけってこと。
思考停止してる状態というのは、何かを認識する直前の状態です。
例えば「これはパソコンだ」と認識したり、画面の文字とか誰かの顔や言葉を認識したり、
普段当たり前にしてることですが、思考で捉える前は、ただのモノだったり音だったりがただ在るだけですよね。
つまり、思考停止してるだけのなんでもないような場所が「物事のすべてを認識する前の場所」です。
全体性に広がってる全ての可能性のほうに意識を向けましょう、という話なのですね。
自己観察さん、このような質問をすること自体が、
今回あなたに教わったレスの趣旨に厳密にいえば反するように思います。
あなたのレスの趣旨からすれば、その思考の虚構性に気づけということになるでしょうから。
大変申し訳ないのですが、それを承知の上で一つ質問させてください。
上で引用したのは、自己観察さんの過去レスです。
上記のレスからすれば、「気づいている意識に気づく」とは、何かを認識する前、刹那の間隙というますか、
感覚を自覚するような印象を受けます。実際に私は、そのような認識以前の何ものかを知覚することが、
「気づいている意識に気づく」ことだと思っておりました。
ところが、今回いただいたレスでは、
>思考が、ありのままの現実を覆っている虚構の作り話だと気づくことが出来ると、
>思考に対してリアリティがなくなります。
じゃあどこにリアリティがあるんでしょうか。
その思考が錯覚だと気づいてる「何か」に確かなリアリティがあるんではないでしょうか。
それを自覚するということが、「気づいている意識」に気づくということです。
とのことですので、必ずしも「認識前の刹那の感覚を自覚する」といったニュアンスではないようにも感じます。
ここでは、思考の虚構性と、思考は虚構であるという、虚構性の認識(自覚)のみが語られているからです。
以前のレスでの、「何かを作り出す以前、認識以前の場所の自覚」という意味と、
今回いただいたレスの「思考が錯覚と気づいている何ものかにリアリティを自覚する」という意味の関係を、
お暇な時で結構なので教えて頂けたらと思います。
と言いますのは、両者では、注意のベクトルが違うように思われるからです。
せっかくあなたに教わったのですから、方向性を間違えないようにしたいと思っております。
気長に待ちますのでよろしくお願いいたします。
577 :幸せな名無しさん:2013/12/13(金) 11:17:22 ID:wX9UY6560
≫576
どっちも同じです。
「思考以前の領域」と「思考の虚構性に気づいてる意識」前者がわからないということだったので、
違う角度から見たことを書いただけです。わかりやすいほうからやってみればってことです。
理論的な部分で矛盾なく整合性を確認してからやろうとするのは難しいと思います。
対象ではありえないものをあえて対象化して書いてるわけですから。
それを理解しようとする思考自体が幻なんですから。
578 :幸せな名無しさん:2013/12/13(金) 13:45:18 ID:wX9UY6560
≫577自己レス。
「思考の虚構性に気づいてる意識」というか否定できない存在性とかでもいいかもですね。
思考は信じたり疑ったり出来ますが、疑うことが出来ないリアリティです。
580 :542:2013/12/13(金) 15:06:29 ID:w9ldCLQM0
自己観察さん、たびたびありがとうございます。
アドバイスをいただき心強く思います。
思考に気がつこうとして、気が付いたとき、すぐさま気が付いたという思考が浮かんできます。
私は気づいているのか、実は単に気づいたという思考を知覚しているだけなのか、
時系列でいえば、前の思考を一瞬記憶して、あとの思考でそれを確認しているこんな感じです。
この辺りが、わけがわからん堂々巡りになっているような気がします。
つまり、すべてを微妙な刹那の思考で理解しているという状況です。
>対象ではありえないものをあえて対象化して書いてるわけですから。
>それを理解しようとする思考自体が幻なんですから。
このレスにある種のポイントがあるように思います。改めてチャレンジしてみます。
自己観察さんの書き込みには助けられています。
改めてお礼を。
582 :535:2013/12/13(金) 19:11:03 ID:fZAQf6kg0
自己観察さん、535です。
ご丁寧なレスありがとうございます。
何度も読み返したのですが正直私にはなかなか咀嚼しきれないです。
淡々と自己観察する事(気付き続けること)で思考の虚構性に気付く事という解釈で良いのでしょうか?
あと一点だけ質問させて頂きたいのですが
≫その思考が錯覚だと気づいてる「何か」に確かなリアリティがあるんではないでしょうか。
≫それを自覚するということが、「気づいている意識」に気づくということです。
その思考が錯覚だと気づいてる「何か」の「何か」がわからないのです。
ここなんです。私がこの三年間何度も実践してもわからないのは。
この部分を教えて頂ければと思います。
586 :幸せな名無しさん:2013/12/14(土) 00:34:08 ID:RmIFiTBI0
≫580≫582
目を瞑ってほんの数秒でも思考を止めることはできますか?
思考していなくても、自分が存在してる感覚は在るでしょう?
身体がある、という感覚じゃないですよ。
それが「気づいている」とか「意識がある」といえるんじゃないですか?
あと≫582
≫淡々と自己観察する事(気付き続けること)で思考の虚構性に気付く事という解釈で良いのでしょうか?
肝心のところが伝わってないですね。
思考の虚構性に気づくことで、それならば自分にとって真のリアリティとは何か?
に気づく(実感する)というのが主旨です。
587 :幸せな名無しさん:2013/12/14(土) 01:26:45 ID:cnNE4jRg0
自己観察さんこんばんは。
思考の定義について確認させてください。(質問重複の場合はごめんなさい)
自己観察さんの言う一体化せず淡々と眺める対象の「思考」というのは、
うだうだとめどなく勝手に流れるてくる分離と不足を生み出す無目的な思考、ということであり、
例えば仕事で注文を受けた洋服屋がどのようにお客の期待に添えるかを吟味し服を作る、
といった目的をもった意図的な思考は含まれてないのですよね?
思考は幻想なので湧き上がるにまかせ淡々と見つめ、、とやってると
手を動かさないので服はいつまでもできず、期待にも添えず、となりそうです。
このように文章を書くにしてもざっくりでもどう書こうか、どう伝えようかは(出来は置いといて)思考が発生します。
意図を持つことで「事が起こり」書かれた状態が現象化した、と言えるのかもですが、
自動書記のようにはいかず思考という道具がないと書けなさそうです。
言葉の位置づけが根本から違う気もしますが、思考という言葉の定義について
茶化しているのではなくほんとに疑問なので明確にしたいのです。
大変お手数をお掛けしますが、自己観察さんのご意見頂けないでしょうか?
588 :幸せな名無しさん:2013/12/14(土) 02:23:45 ID:RmIFiTBI0
思考の定義……。
大体は問題を引き起こすような分離的な思考についてのことですけど、別に線引きはしてません。
≫思考は幻想なので湧き上がるにまかせ淡々と見つめ、、とやってると手を動かさないので
作業に夢中になって気づくことが出来ないのならわかるんですが、気づいてるから手が止まるって違うような。
まさかですけど「思考は幻想なので」とか言い聞かせながらみてるわけじゃないですよね?