24 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/07/14(水) 19:19:16 tWm2WTnEO
クレさん、初めまして。
私は、何か したいこと(夢)があるわけではなく、でも、
汗水流したり、嫌なことしたりするのが嫌なので働きたい思わず・・・
で、今”ぷー”なのですが、楽に お金を手に入れている自分になるために、
どういう風にしたらいいのか分かりません。
クレさんに、アドバイス頂きたいです。よろしくお願いします。
29 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/07/15(木) 19:25:22 ID:qLe.ummcO
≫24
あなたがそれになるために特にすることはありません。
「なる」だけです。
以上w
それとも「なる」がわからないでしょうか?
それについてはまとめを参照してもらえれば(上手いかは別にして)
あれこれ説明を試みている部分があるかと思います。
あなたがそれになるとき、それは前提になります。
前提なのだから、あなたがそのために何かする必要はないわけです。
30 名前: 24 投稿日: 2010/07/16(金) 01:48:03 tWm2WTnEO
すみません、クレさん登場にちょっと舞い上がってて質問の書き方が詳しくなかったです;
楽にお金を手に入れている、または、お金持ちな自分に「なる」というのは、
クレさんのレスを拝見していたので分かるんですが、実際になってみても、
現実では、お金がない不足感がつきまとっていて・・・
(欲しい!と思ったときに、すぐに買えてない自分や、新しくて綺麗で大きな家に住んでいない自分が
ここにいるから、ずっとそれが視界に入ってて、お金持ちな気分になれない・・など)
「なっていない(今の私)」と「なっている私」との普段の過ごし方や
お金に不足感を感じたときの考え方や言動が、どう変わるのか?が、よく分かりませんでした。
どう変わるのか、例えなどで具体的に教えて頂けると、ありがたいです。
それに、クレさんが、お金を持ってる自分になって、欲しいものを買っていた
(そしたら、お金を下ろさずに過ごせた)というのがあったけど、
自分は、とてもじゃないけど怖くて出来ないし、まずお金がないし・・って思ってしまいました。
こんな私が、「なる」って、どう思考や言動を変えていけば良いのやら。。と思っています。
クレさん、具体的に説明して頂けると、助かります。よろしくお願いします。
55 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/07/17(土) 15:31:44 ID:qLe.ummcO
≫30
かなりの部分誤解されています。
>「なっていない(今の私)」と「なっている私」との普段の過ごし方や
二人の私を使い分けるわけではないです。気分を味わうわけでもない。
それこそ「振る舞う」とか「なりきる」でしょう?
>お金に不足感を感じたときの考え方や言動が、どう変わるのか?
何も変わりません。というか不足感とは無縁です。
金持ちが、モテないという不足を感じるというならまだしも、
あなたの理想とする金持ちが金に不足感を感じるなど本来ありえません。
つまり、金に不足感を感じるとき、あなたの自分への認識は「金持ち」ではないということです。
もっとも、不足感を感じたら、また金持ちになればいいだけです。
>自分は、とてもじゃないけど怖くて出来ないし、まずお金がないし・・って思ってしまいました。
>こんな私が、「なる」って、どう思考や言動を変えていけば良いのやら。。と思っています。
怖いことはしない。無理はしない。これは基本です。
私は確かに何も気にせず食べたい物を食べ飲みたいものを飲み、欲しいものを買いました。
でもあなたがそれをやる必要はない。
思考や言動を意識的に変えるのではなく、認識を、レッテルを、変えるんです。
あなたの前提を、設定を変えるんです。
金持ちに「なった」とき、あなたの前提が金持ちになるんです。
≫44さんのレスもぜひ読んでみて下さい。↓
44 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/07/17(土) 04:24:10 M7RR3SUM0
願望が現象化したかどうか確認する必要はない、
なぜなら「なった」時点で願望は叶っているから、という考え方だと思うんです。
願望実現のために「なる」のではなく、なってしまったら願望実現完了。
理性(エゴ)からしたら、わけがわからないというか電波なんですけどw
「なる」というのはそういうことなんだと思います。
76 名前: 30 投稿日: 2010/07/19(月) 22:59:15 tWm2WTnEO
≫55 クレさん
たくさん誤解をしていたようで、申し訳ございません。
頭が悪いので、ちょっと理解力が弱いです><;
「なる」は振る舞うとか、なりきるとは違うのですか。。。
まぁ、「そうなっている」のだから、振る舞うのとは違う、というのは頭では理解できますが、
なってみても日常を過ごしていると不足感が蘇ってきたりしますよね?
クレさんが私のような人だったら、どういう風に「なる」のか例をあげていただけると
分かりやすいので助かります。(日常の過ごし方とか)
100 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/07/21(水) 17:06:18 ID:qLe.ummcO
≫76
謝ることはないです。とりあえず「なる」の該当部分だけよくよく読んでみてください。
「なった」ら不足感はありません。先にもレスしたとおり、不足感とは無縁です。
あなたが「金持ち」である図を想像してみて下さい。
お金に不足を覚えますか?覚えようがないはずです。
また、これも書きましたが、不足を感じたら、また「なる」だけです。それで終わりです。
私があなたなら、クレの言うことは聞きません。「なる」とか考えません。
自分に無理は強いないからです。
とはいえ、一応答えますとw
「なる」ことにどうやったらも何もありません。
あなたはどうやって息をしてるか考えたことありますか?
どうやったら息をできるか考えて息をしてみて下さい。
と、考えてる間にも息をしてるでしょう?それくらい当たり前に「金持ち」なんです。
「日常での過ごし方」など関係ないんです。
金持ちに決まった過ごし方なんかありますか?ないです。
あなたが生きたい様に生きればいい。
何はともあれ、まず過去スレの該当部分をよく読んでみてください。
101 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/07/21(水) 17:18:55 ID:qLe.ummcO
(続き)
ここからは「なる」該当部分を読んだことが前提の応用編みたいなもんです。
あなたが聞きたいのはおそらく「金持ちになっても、買いたいものが買えない」といってことでしょう。
これはあなたに限られない疑問かもしれません。
私が「イメージは不要。イメージは時に人を定形化する」というのはここに理由があります。
「金持ちなら〇〇なはず」
という観念に基づき、あなたは〇〇できているのかどうかを金持ちの判断基準にします。
「金持ちなら好きなものを買える」「私は買えていない」
そこに「現実」とのギャップを感じます。「なる」ことで作ったはずの前提をあなたは崩します。
「よって、私は金持ちではない」
この三段論法がいらないんです。そのためには三段論法の大前提を崩すこと。
例えでは、「金持ちなら好きなものを買える」がいらない。
もちろん、イメージに囚われない人ならいいんですよ。
でも「かくあるべき」を勝手に作って「なった」ことを帳消しにしてたら意味がない。多くがそうです。
大体おかしいんですよ。
自分は金持ち(他非モテなどなど)じゃないと言いながら、勝手に作った金持ち像を持ち出して来る。
そしてそれに自分を当て嵌めて、ほら金持ちじゃないでしょう。
どう折り合いをつけるんですか?どう金持ちだと思えばいいんですか?
って、単なる思い込みを前提にした話と何も変わらない。
102 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/07/21(水) 17:31:05 ID:qLe.ummcO
(続き)
ここまで言っても、なお立ち止まることがあるでしょう。
「それでも私は買いたい!」
え?私の話全スルー?と言いたくもなりますが、そういうことは私にもあったので気持ちはわかります。
そういうときには「快」の出番です。
私には「快になる」というのは正直よくわかりません。
ここで使うのは俄か感情ナビです(私は感情ナビよく知らないので)。
「買う」か「買わない」のか。いろんな思いが錯綜します。
そこで、どちらが「快」かで決めます。
今それを買って「快い」のかどうか。また、買わなくて「快い」のかどうか。
「快い」方の行動を取ります。
先ほど話したように、買うかどうかとあなたが金持ちかどうかは次元の違う話です。
というかそんなことはどうでもいいんです。
「快い」方を選択することを重ねれば間違いありません。
「現実が内面の投影」なら当然です。
強いていうならこれが日々の過ごし方です。
私は今でも好きなときに好きなものを買います。
買わないときもあります。「快い」かどうかが基準です。
もう私にとっては金持ちなのかどうかは関係ないです。そういうレッテルすら不必要です。
「快い」と判断して買って私は大喜びですが、金の出所は知りません。
勝手にプロセスはできます。過去なり未来なり勝手に調節してくれます。
これは、あなたの見た「実験当時」の私から何も変わっていません。
ここまで来ると超応用編ですが、ざっとこんな感じです。多少?話はズレましたがw
おそらくすぐには飲み込めない話でしょう。
もっとも、実際には、大したことは言っていません。
ゆっくりかみ砕いて、概略を自分のものにしてくれると嬉しいです。
その上で、もう一度質問してみて下さい。
108 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/07/21(水) 21:42:14 9cfE6OMY0
≫102
そのときに、
「今すぐ5000万円の車を買いたい。それは快だ!」――と思ったとしたらどうすれば?
貯金は、現実的に100万円くらいだとして。
物理的な世界観では買えません、という状況だったらどうすればいいのですか。
111 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/07/21(水) 23:52:23 ID:qLe.ummcO
≫108
>そのときに、
>「今すぐ5000万円の車を買いたい。それは快だ!」――と思ったとしたらどうすれば?
買えばいいじゃないですか。快なんでしょう?
そんなに欲しいなら残りは借りるなりなんなり用立てればいい。後で返せばいいんだから。
と、これが答えですw
ここから蛇足。
しかし、もっといえば、それは全然「快く」ないでしょう?
快なのに躊躇する。それは全然快じゃない。
これは三段論法の小前提が少し変だと考えられます。
「快なら買う」
「私は買うことについて快だ」←ココ
「よって、買う」
こうした教科書事例で起きやすい弊害ではないでしょうか。
引き寄せに論法とか言っちゃうナンセンスさには目をつぶろう!まあ説明だからいいよね。
411 :もぎりの名無しさん:2010/08/09(月) 20:46:58 ID:66lV647I0
≫111
このへんもっと知りたいです。
聞いてみたかった質問への返答が111にありました。
しかしまだ私の理解が足りずにお金系の「なる」が???となっています。
クレさんまたはクレさん式で願望叶えた方にぜひアドバイスお願いします。
私はお金持ちな(欲しいものは何でも楽々買える)自分になりたい。
話を簡単にするためにAという物をほしいとします。
Aが買える自分に(欲しいものが買える自分に)「なる」。
「なった」んだから買える。
でも現象化するまでは買えない。
躊躇する(Aを買うお金はないし借金はいやだ)=快ではない。
自分はAを楽々買える自分に「なった」のであり、借金してAを手に入れる自分になったのではない。
では「なった」のになぜ躊躇?つまりこれは「なってない」ということ?
例えば「なる」と現象化するまでAを買いたいという欲求が勝手に薄れるのかな?
欲求があれば不足が生じるし、すると「なってない」ことになるし。
それとも「なる」ことでAは既に受け取ったというところまで「なる」ということなのかな。
Aを使用して喜びに溢れた自分に「なる」のかな?
はたから見たら持っていなくても、もう持ってるという、そいうい状態になることが「なる」なのかな。
なんか頭の中が???となってしまっています。
417 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/08/09(月) 23:59:27 ID:qLe.ummcO
≫411
①Aが買える自分に(欲しいものが買える自分に)「なる」。
②「なった」んだから買える。
③でも現象化するまでは買えない。
②と③は完全に矛盾している。
買えるんだから、買いたきゃ買えばいいんだよ。
直ちには、金がないからできないと言うなら、借りればいい。
金は後から入ってくるよ。それで借金払えば同じ。理論的にも経験的にも。
どう?すげー胡散臭いでしょ?w怖いでしょ?危険な香りがするでしょ?
でも、私は嘘は言ってないんだぜ?w
しかし、だ。胡散臭い、危険だ、借金するのは嫌な感じがする。
そんな気持ちを持ちながら借金してまで買ったら、大変なことになるでしょう。
引き寄せが本当でも嘘でもね。
多くの人が無視してやまない「心のゆとり」は、ここで意味をなす。
一つは、「まあ金はなんとかなる。なんとかならなくても別にいいや」というスタンスに。
つまり、金がなくても買う&金はそのうち手に入る。
一つは、「買えるけど、まあ今は買わなくてもいいや」というスタンスに。
つまり、金が入ってから買う&金はそのうち手に入る。
買う金がないという観念に直面すること、及び、借金してまで買う恐怖に直面すること。
すなわち、再び認識を変更することを、無意識で回避しているわけです。
418 名前: もぎりの名無しさん [sage] 投稿日: 2010/08/10(火) 00:06:35 ID:qLe.ummcO
ここまででわかるかな?108式には、
「少なくともマイナスの現象化を引き起こさないカラクリ」が仕込まれている。(本人談の要約)
「なる」には、もともとそんなものはなく、場合によってはマイナスの現象化がある。
始まりは遊びと実験だから。
そこで、他人に伝える際に私が付したのが、「心のゆとり」etc。
「切羽詰まった人には向かない」
「私はそんな価値のあることを言ってない」
「無理はしない」
私の発言が繋がってきたかな?
私は「現実は内面の投影である」というただ一つの仮定的事実から、
「『望む私』になれば、実際にそうならないわけがない」という事実を導きだし、実践し、
どうやらそうみたいなのでそのまんま伝えてみたわけです。逆に言えば、ただそれだけのことです。
さて、もうおわかりでしょう。
あなたの例えでは、結局あなたは「買えない私」のままです。
よって、あなたはAを買えません。
そして、「心のゆとり」がないわけです。
ちなみに、「心のゆとり」は「なる」ための必要条件というよりは、
「なる」と「心のゆとり」が湧くもんです。だって、買えるのが「前提」であり、デフォだから。
だから、「なる」前にゆとりがなくとも「なった」らゆとりが湧いてきたということもあります。
353 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/08/06(金) 20:25:51 hIivDBpAO
大学受験を控えてるものなのですが質問させてください。
志望校に受かった自分になれば1秒も勉強をに全くしなくても受かるんでしょうか?
難しいところを目指しているのですが、今ふっと気になりました。
375 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2010/08/07(土) 22:47:14 ID:qLe.ummcO
≫353
受かるでしょう。本当になればね。
大学受験て相当なプレッシャーでしょう?
本当にそうなったなら、あなたは微塵の不安も憂いもなくなるだろうけど、
不安があるなら「なった」態度と矛盾する。すなわち、「なっていない」。
そんな状態で試験に臨んでも仕方ない。
何度か繰り返していますが、「なる」ことに人生を賭ける価値はない。
「心のゆとり」が、いろんな意味で「なる」ことと整合します。
もし一秒も勉強しないつもりなら(レスからしてそんなつもりはなさそうですが)、
中途半端に「なったつもり」ではなく、本当に「なる」べきです。
「なったつもり」のまま、この板で「なったのに何も変わりません…」というのでは、
試験が一年に一度である以上、よろしくないでしょう。
もしそのスタンスに僅かでも不安があるのなら「受かる私」や「できる私」になっても
普通に勉強するのが最も無難かと私は思います。「普通」というのは世間一般の
受験生はもちろん、ガリ勉という意味ではなくて、あなたに無理のない範囲の、
あなたが苦痛に感じない程度の勉強量です。
私の経験では、こういった類のものについては、やる気が出ました。
やらなくていいならやりたくはないけど、「よし、とりあえず頑張るか~」みたいな感じです。
それでもやった量は他人よりずっと少ないです。無理せず休みたいときは休んでいたので。
また、とある試験では本当に一秒も勉強しないで前日まで遊びまくりで受かりました。
人生かかってたんですが。
しかし、その時は「自分は受かって当たり前」としか考えておらず、
落ちる可能性は全く考慮していませんでした。
バカになるとはおそらくあのときのことですw
一秒も勉強しないことが、自分に取って無理ではなかったんですね。
やはり、「無理はしない」ことです。
ま、とりあえず勉強しようぜ!w