180 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/15(火) 05:38:57 ID:ckl.QeOM0
719さん ネガティブを感じきるというのはやはり疑問です。
感じきるというのはその感情に同化するということになると思います。
すべてある領域(内面)からあえてネガティブを選択してる感じです。
現実=内面の投影からしてネガティブが投影されます。
「なる」のであれば現実がどうであろうと幸せな自分を選択だと思います。
ネガティブに気づけば再度(幸せな願望を既に実現した自分に)「なる」が基本なのでは。
あくまで現実は無視で、内面のすべてある領域から選択した「なった」自分であり続ける。
たとえ現実にネガティブなことがあっても、
内面のすべてある領域でネガティブを選択しないほうがよいのではと思います。
だって「なる」なら現実(のネガティブ)はどうでもよいのだから。
感じきるはネガティブを許し愛する(ネガティブ→愛)という自愛とは違いますし、
客観視することで同化をさける自己観察の考え方からもどうなのかなと思います。
181 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/15(火) 06:25:48 ID:/IrIuwWY0
感じきるはニュートラルで特に大きい悩み無い人にはそんなに必要ないんでね?
ただ大きい悩みを持つ人は巧妙に心と体の
目と眼を逸らして欲しい【結果と過程】をすり替えてるの
100%信じれてないのにねwwww
100%に近づけるならいいけど、いつの間にか
その一番恐れてることを考えてるとかが多いんじゃない?
起きた現象は現象、感じた感情は感情
今まで感じないように必死に避けてきた感情
一旦受け入れれば集中できるぜって話
「なる」が難しい、現実をじっくり見てる人に現実的観点で遠回しかつ最短をね
今は向いてないと 、一旦落ち着けって言ってんちゃう?
182 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/15(火) 07:08:35 ID:Y7EjZPxY0
関係ないものまで感じる必要は一切ないです。それこそ引き寄せてしまいます。
そうではないです。
感じきる。というのは、あくまでも今自分が抱えてしまっている
未完のものを終わらせるためにやるものです。
思いっきり泣いたらスカっとして全く気にならなくなった。ということはありませんか?
そんなふうに。感じきると消えますよね。
チラついて困っていた感情がなくなり自分の望むものに意識を向けやすくなります。
196 名前:719 投稿日:2015/09/15(火) 15:14:01 ID:qxSl9eCI0
>>180
>>181さん>>182さんが仰ってる事がもう私のそのままの認識のようで、
私のレスなど要らないですね。ありがたいです。感動しました。
そして本当にそのとおりなんですよ。
それでもお返事返さなきゃ失礼ですね。
>感じきるというのはその感情に同化するということになると思います。
>すべてある領域(内面)からあえてネガティブを選択してる感じです。
>現実=内面の投影からしてネガティブが投影されます。
「なる」は内面でなるんです。
ならば、現実に起こったネガティブな事に本来は何も影響を受けません。
「なった」んですから、内面に荒波が立つ事はないです。
「叶った」のだから「満たされてる」はずです。
ということは、「なる」をした内面にネガティブは選択されていないと思います。
満たされてるから。
もしネガティブが選択されてるなら、
それは現実を内面に関連づけてると思いますがいかがでしょう?
現実が思いどおりにいかなくても「なる」は内面の問題なので、独立しています。
つまり、現実のネガティブをを感じようと、「なる」に影響するはないはずです。
だってもう「なってる」し、叶った世界ですから、何が起きても叶った世界での出来事です。
現実のネガティブが内面へ影響を及ぼすならそれは「なる」ではないんじゃないでしょうか?
だって、現実と内面は別と考え、「なる」わけですから。
現実は内面の投影だと思いますが
潜在意識を顕在意識で100%管理する事は、どうなのでしょう?
できる方もいるんでしょうが、多くの方はできないでしょう。
というか、「この現実に起こったネガティブな事は自分の何が投影されたものか?」
なんてどうやって確認すればいいのでしょう?
もし体感してるのならば、ぜひとも共有をして頂きたい。
私もそのコントロール力が、素直に欲しいです。
というように私には現実のネガティブの管理ができません。
ですから、ネガティブを投影させるとかさせないとか、私には良くはわかりません。
ここまで話してなんですが、
そもそもネガティブと同化するのはダメということでしょうか?
そうならば、なぜダメなのでしょうか?
素朴な疑問です。
197 名前:719 投稿日:2015/09/15(火) 15:15:19 ID:qxSl9eCI0
>「なる」のであれば現実がどうであろうと幸せな自分を選択だと思います。
>ネガティブに気づけば再度(幸せな願望を既に実現した自分に)「なる」が基本なのでは。
何度「なる」をしてもいいと私も思います。
ですが、現実を無視し内面で「なる」をするのに
現実を見て生まれたネガティブが原因でもう一度「なる」をするのでしょうか?
それは、「なる」と関係ない現実を、関連づけてるのではないでしょうか?
そもそも「なる」なんて一回なってしまえば、それで終わりだと思っています。
ただ現実に振り回され、関係ない記憶や感情を関係のない願望や記憶に関連づけるので
「なってない」と思い「なる」を何回もするのではないでしょうか?
これでは認識が変更されているとは思えない。
基本的に一度「なる」をしたら、それで終わりです。
終わらないのは現実に振り回されてる。
「なった」のなら「なってない」がわからないと思うのです。
ということは「叶ってない」世界にどっぷり浸かってると思います。
>あくまで現実は無視で、内面のすべてある領域から選択した「なった」自分であり続ける。
>たとえ現実にネガティブなことがあっても、
>内面のすべてある領域でネガティブを選択しないほうがよいのではと思います。
現実と「なる」は関係ないです。
現実で起きたネガティブな事は現実で起きた事。
内面の「なった自分」に絡めない事が、「ある」世界だと思ってます。
というか認識変更されてたら関連づけません。
>だって「なる」なら現実(のネガティブ)はどうでもよいのだから。
はい、その通りです。
取るに足らないものです。
ならば、ネガティブは感じても、特に問題はないはずだと思ってます。
>感じきるはネガティブを許し愛する(ネガティブ→愛)という自愛とは違いますし、
>客観視することで同化をさける自己観察の考え方からもどうなのかなと思います。
自愛とは人それぞれなので、ご自分の心地よいものを選ぶのが一番です。
私は自分で経験し有効だったものを、共有させて頂きました。
「感情を感じるのが苦しいなら、しなくてもいいです」と何度か書かせて頂いたと思います。
180さんも、これほど確立した体感があるのなら、それでいいと思います。
私の体感が全てな訳じゃないですし。
私にしか体感できないものかもしれないですし。
ご自分が正しいと思うものを信じて頂けたらと思います。