自己観察さん135/「ない」と思うから、欲しいと思ったり、叶えたりできる。 最初から全てがあれば欲しがるのも、叶えたりすることも出来ない。

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882 :幸せな名無しさん:2014/01/11(土) 20:44:42 ID:z.eIugec0

自己観察さん

以下の考え方は自己観察さんと大体同じですよね?違う所があるとしたらどこですか?

 

119 :本当にあった怖い名無し:2014/01/10(金) 05:41:52.26 ID:9yKgLG1W0

夢の中で何が起ころうと、全て自分の内部で起こった事だと思うだろう。

現実も同じなのだ。全てはあなたなのだ。

ある部分までは干渉、コントロール可能で、それ以上はそうならない、

などと言う中途半端は無いのだ。世界は全てあなたなのだ。

だがここで考えなければならないのは誰が引きよせを行っているのかということだ。

もちろんあなただ、だがあなたはあなたを知らない。

あなたは引き寄せで世界をコントロールしたいという思いがあるかも知れないが

そういう思考にあなたが自分で到達したわけではない。

気が付いたらそうなっていたのだ。

つまりあなたは根幹の部分をまるでコントロールできていない。

それどころか今後もコントロールできない。

世界で起こる出来事は全てあなた(真我)の支配下にある。

例えばあなた(自我)がこういう事を叶えたいという欲望がわいてきて

実際に引き寄せでそれを実現したとしても、その欲望のわきかたをあなたは

まるでコントロールできていないのではないか?

欲望はわいてくるし、地震は起こる。

あなたは起こる事に対しては極めて無力である。

引き寄せでどうにかできるのは起こった後の世界である。

だが起こった後の世界に対してはあなたは万能である。

もし災害で失った命を取り戻したいのならそれもまた可能なのだ。

 

886 :幸せな名無しさん:2014/01/11(土) 23:30:18 ID:24eG7nPc0

≫882

理論で何かを解明しようとするのは、地図でゴールに辿り着こうとするようなものですよ。

実際に歩いてる人と話すのに地図を見るのは楽しいけど

より正しい地図を探したり、地図の細部について議論するのは好きじゃないんです。メンドクサイし。

地図でゴールを見つけても、実際にその場所に立つことは出来ませんしね。

 

885 :542:2014/01/11(土) 21:36:17 ID:cCsXV7/k0

自己観察さんに質問なのですが、自己観察して気づいている主体ないし意識にきづくことと、

そこから事象を選択できる位置にいる、あるいは願望をかなえることは、どう繋がるのでしょうか?

自己観察さんの過去レスを読んでみて、いまいち理解できないのですが。

 

886 :幸せな名無しさん:2014/01/11(土) 23:30:18 ID:24eG7nPc0

≫885

簡単に言えば、根源である意識に目覚めること(=気づいている意識に気づくこと)は

自分が世界そのものであることに気づくことです。

 

選択とか叶えるとか以前に、起こること全てが自分、

自分以外が存在しないので完璧でないことがありえない。

人間視点からすると「叶う」という表現になるでしょう。

 

890 :542:2014/01/12(日) 01:43:20 ID:SwAXLfhA0

≫886

≫自分が世界そのものであることに気づくことです。

≫選択とか叶えるとか以前に、起こること全てが自分、

≫自分以外が存在しないので完璧でないことがありえない。

≫人間視点からすると「叶う」という表現になるでしょう。

自己観察さん、人間視点からすると「叶う」という表現になるでしょうとは、

世界が自分で、自分以外に存在するものはないのだから、願望は必ずかなっているという意味ですか?

例を挙げると、お金を欲しがっている者に対しては、世界に必ず金持ちが居て、

あなたは世界なのだから、あなたはすでに金持ちなのだという意味でしょうか?

それとも、常識的な意味での解釈で、人間視点からすれば、貧乏である何某が、自分の願望を、

気づいている意識に気づくことで、金持ちになるという願望をかなえるという意味でしょうか?

もし、後者(常識的な意味の方)であれば、なぜこのような表現になるのですか?

 

895 :幸せな名無しさん:2014/01/12(日) 06:41:32 ID:oIaMR9EE0

≫890

「ない」と思うから、欲しいと思ったり、叶えたり手に入れたりできる。

最初から全てがあれば欲しがるのも、叶えたり手に入れたりすることも出来ない。

自分以外存在しないなら、「ない」と認識できるものは存在しない。

 

ということは「欲しい」と思うとき、自分と世界(その欲しい対象)は分離してるってこと。

本来自分以外存在しないなら、分離するとかありえないからそれは幻想ってこと。

だから「ない」から「欲しい」とか「叶える」とか「手に入れる」とかやってるのは

全部幻想、錯覚ですよって話。

思考っていうのは「私が○○をする」という形態を見ればわかるけど、「私」と「対象」が存在するよね。

つまり分離がデフォ。「私」も「○○」も全部自分なのに「する」とかできない。

できないものを「する」とか言ってる虚構。錯覚。

自分が世界そのものなんだから、欲しがってれば「ない世界」で欲しがることになるし

貧乏だと思ってればで貧乏な生活を、満たされてれば満たされた生活を送るでしょう。

「理解したい」とすれば「理解したいと思うような難題」が次々でてくる。

何とかしようと思えば思うほど、何とかしなくちゃいけない世界になる。

思考では望めば望むほど遠ざかるんですよ。

欲しがらなきゃいいんですよ。欲しがるから「ない」を見てるだけ。

だから思考に気づきましょうっていってるんですよ。どういう認識から生まれた思考なのかです。

「お金が欲しい」という思考に気づいた。

「お金がない」と認識してるから欲しいという思考が出てきたんです。

その認識どおりに世界は展開してるでしょう?

世界(自分)は「叶える力?仕組み?」そのものですよ。

既にあるとか、全部自分とかどころじゃない。

そこに気づけば今までのように当たり前に欲しがることが出来なくなる。単純でしょ。

これ自分で気づけないと「裕福だと思いたいけど思えません」とかなりますからね。

これは信じるとかそう思いたいとか、そんな話じゃないんです。

思考は認識から生じます。認識は自分で気づけないと変わりません。

思考であれこれ考えたって認識は変わりませんよ。

今までのように「ないから欲しいんだ」という思考をそのまま信じ続けるか、

その「欲しい」という思考が「ない世界」を展開させてると気づくか(そういう見方をしてみるか)

ってことですね。

あとですね、あなたに限ったことではないんですが、ふと思ったので書きますが。

とある説明に対して、それがどういう意味なのか理解しようとして、別のところに書いた話との

整合性を見つけようとしたり、違う人との話との違いについて考えたりとかなんですけど、

この世界は多様性の世界なので、一つの真実について様々な見方が出来るんですよ。

質問によって、今日はこの角度から見た話をしますが、明日は全然違う角度から話をしたりします。

今日の話はわからなくても明日の話はわかるかもしれません。

でも全ての話を理解しようとすれば、矛盾した話に見えるかもしれません。

言語にした時点で分離、相対性ですから、絶対的な真実ではないわけです。

だから理解しようとして読むのは混乱すると思いますよ。

読み流すくらいでちょうどいいし、「わかろう」という思考の不毛さについては↑の通りです。

私の書いてることなんてありがたがって読むようなものじゃないんですよ。

こんな人に質問繰り返すより、その自分の思考、認識に気づいてください。

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