Wildさん-27/全部「私」なんですから、不安という私に抵抗する必要はないんです。 そして抵抗してもいいんです。 抵抗して苦しんでもいいんです。

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489:477:2016/09/10(土) 18:29:27 ID:u3gET3a20

真昼さん
最近の俺のテーマは自愛だった。
だから、真昼さんの自愛の本質「NO FOCUS」は俺の中の何かに触れ騒いでいた。

>要は五感も思考も感情も、「それを感じている」だけで、それはあくまでも「感」に過ぎないもの

特にこのフレーズはマジスゲーッスよ。真昼さんありがとう。気づきをありがとう。
わかったつもりでいた自分が恥ずかしいッスw 許容してくれてありがとう。

≫487

>実際に見えるのは1㎝の黄色い丸だけですよね。「月、地球の衛星、太陽の光を反射している等など」というのは、自分の知識・記憶です。その知識や記憶をその黄色い丸に張り付けてるだけなので、それらを剥がしてそのままを見る。そしてその黄色い丸はどこで見ているのかというと、自分の眼球です。つまり、その黄色い丸は自分の眼球の中にある。ゆえに、自分の目(視界)は月より大きい。すべてが自分の目の中に収まっている。なので自分の目で見てるのではなく、自分の目を見ている、ということになりますね。僕はこの理解で、スクリーンの感覚を掴めました。

 

惜しみなく体感を伝えてくれること、またわかりやすい説明に超感謝します。月が見えたら早速試してみます。月とはまたスゲー!ロマンを感じるものが対象とはカッコイイよな~。

 

実験結果と俺の経験でよければ自販機wまとめてから書きますね。

wildさん

>皆さんそれぞれに見解があるので読み込むのにかなり骨が折れるかと思いますが、なんか嬉しいですね!

かなり骨が折れた~w けどガシガシエネルギーがあがる感じがしました。こちらこそありがとうございます。

俺の中でヒットしたのが
≫9

>変な例えですが、ポンデライオンになったみたいな感覚でしたw

これ秀逸だったッス。

≫134 :現象

>こうした思考・レッテルを全部、全て、放り出してしまえばいいんですね。

これに気づくのに色んな達人の方法があるのを知った。現象さん半端ねぇ~ッス。

≫401 :真昼

>僕はどうも感情を感じきるというヤツが苦手でして、感情を相手にしない、またはうっすらとした幸福感を胸に持つようにしています。

「安心してください。履いてますから」って言われた気がしたッスw 首を大きくたてに振りました。

≫415 :wild

>苦を収めさせるには普通、五感+思考で味わい尽くさないと収まりません。

生々しくてすみませんw

なので、自愛はじめましたw
ワ○ピースより
「どんな船でも造り出す事に”善”も”悪”もねェもんだ…!この先お前がどんな船を造ろうと構わねェ!だが、生み出した船が誰を傷つけようとも、世界を滅ぼそうとも、生みの親だけはそいつを愛さなくちゃならねェ!!生み出した者がそいつを否定しちゃならねェ!!」というフレーズを思いだした。

>ただひとつ一貫しているのは、私個人を含めたこの世界は、ストーリーを展開させている意識みたいなものという点ですかね。

今の俺にはとてつもなく大きな気づきを与えくれた言葉でした。すべてに感謝したいです。
あー言葉にするとスゲーちっぽけになってしまうのが残念です。

神社でよく目にする鏡は 世界は内面を映す鏡といわれるが、うまく言えないけれど、感じとれなくても世界は滋愛に包まれているし、愛そのもの。 

みんな一人ずつ愛そのものッス。愛に気付くまで色んな愛の形を送りつづけている。そしてそのことに気づかなくてもいい。表現しにくいけれど今はそう思う。

文字にするとなんかこうアー恥ずかしいなぁ。

 

490:477:2016/09/10(土) 18:30:47 ID:u3gET3a20

連投失礼します。
気づいたこと書き記します。

俺もしかしたら本気で潜在意識を信じる。って腹から決めきれてなかった気がしたから、潜在意識に語りかけてみたんッスよ。

「潜在意識、今までどこか半信半疑だったかもしれないかった悪かった許してくれ 俺はお前を信じる」っと。同時に俺は今まで信じていなかったのかということに気付いて愕然とした瞬間だった。

それからあらたためて、潜在意識が?キーワードを示してくれているとハッキリ気づいた。

朝、自愛か~と考えたとき「信じる」というフレーズがずっと色んなところで見受けられたことを思い出した。

その瞬間
Fight Song/Rachel Plattenの曲が流れてきて、確信に変わった。

そして俺は知った。
俺は空っぽだった。
俺は俺というものにしがみつきたかっただけだったみたいだ。

「無」がただここに「在る」。
「何者でもない」ものが、ただここに「在る」。
それでいいんだと納得した。安心感がゆっくりさざ波のように寄り添ってくる。
あの不安感は、まだ思考で俺は俺でないものになろうろとしていたのだろう。
何者かになろうろとしていた。自愛が少し進んだ気がしたッスよ。

今の自分でいいとはっきり受けいれることができた。
「0」であることを体感したことは大きな気づきと思えた(俺の中の0の発見)。
気分は Alexandros/ワタリドリでした。

491:wild:2016/09/11(日) 23:51:51 ID:a9hNEMQ.0

≫486

真昼さん。
レスありがとうございます。

 

≫ 確かに自分の背景に無の空間があり、その無があるから有を感じることができる。真の静寂を知るからこそ、音を聞くことができる。その静寂こそ自分である。

空の思想は釈迦の縁起を龍樹がまとめたと言われ、どちらも同じものと言われてます(違うという説もあり)
しかし私なりにですが、空と縁起の関係が繋がったんです。
完全にとは言いませんw
釈迦が言った縁起って、もしかして本当はこのことなんじゃないかな~程度ですw

今まで現象など「ある」に拘ってましたが、「ある」は「ない」と相互依存関係であり、これら含めて私であると納得できました。

真昼さんもすでに気づいておられるかと思います。
体感で具体例をあげますと、
例えばカップを触る時、触るものの感覚はなく、そこにあるのは触られるもの=カップの固くツルツルした冷たい感覚だけです。
これはすべての感に言えることで、無があるからこそ感(有)があり、その逆もしかり。

どちらが本質なんだ?となりますが、どちらが欠けても成り立たない関係であります。
触るものは触られるもの、
触られるものは触るもの、
ですね。

あるひとつの感(有)から、後の感に連鎖して変化し流れていく様も縁起ですが、
大きな視点で見ると、有と無の関係も縁起だったんだなと私なりに納得しました。
全部「これがあるからあれがあり…」の世界でした。

と、ここまで納得しましたが、結局ハーディングの世界観に行き着くなーと思うのです。
私をいろんな角度から探求してみましたが、やっぱりハーディングの太極図のような絵(実験サイトにあるI am all、I am notの丸い図)通りのイメージが想起されます。
I am allの有の側面も私であり、l am notの無の側面も私であると考えます。

≫う~ん、深遠なりwild哲学w

私のはおそらくこじつけですw
おそらくまだまだ天狗道の妄想は続きますw

492:wild:2016/09/11(日) 23:53:56 ID:a9hNEMQ.0

≫488
真昼さん連投すみませんw

≫ コテ付き会員制サロンてwwwまあ、確かにそんな風情を醸し出してますからねw僕がでしゃばりすぎてるのかな?

でしゃばってなんかありませんよー。真昼さんの書き込みには私も多くの気づきを得てますからね!
どんどんお願いします!w

 

≫ 迷いの中に悟りあり。悟りの中に迷いあり。このスレの流れ自体が悟りであり、禅なのかも知れませんよ。

なんかカッコいい!www
しかし、迷いの中に悟りか…。
ああああぁぁ!またあれこれ考えてしまう!w
いつもありがとうございますm(__)m

493:wild:2016/09/11(日) 23:55:44 ID:a9hNEMQ.0

≫490

477さん。
レスありがとうございます。

そうなんです。
ここのスレは探求者の皆さんがそれぞれの生活で得た知識や気づきを投下されるので読むも書くも非常に骨の折れるスレなのですw

しかし私自身感じているのですが、レスを読んで理解し、思考錯誤し、また実践し、そこでの気づきを皆さんが理解できるよう考えて書き込んでいるうちにどんどんと気づきが深まっていくのです。
(あ、簡単な書き込みでも全然良いんですよ)
真昼さんがスレ自体が禅とおっしゃってますがその通りかもしれません。
カッコいいwww

ところで477さん、そのままの自分自身を認め信じることで
気づかれたようですねー!

そうです。
そのままで良いんです。
全部「私」なんですから、不安という私に抵抗する必要はないんです。
そして抵抗してもいいんです。
抵抗して苦しんでもいいんです。
そのまま今の私を認めればいいんですよね。

非常に感覚的な話ですが、
私は0であります。
しかし1でもあります。
アルファでありオメガってやつです。
(アルファが1じゃないの?と言うツッコミは置いといて…)

私が0であるから1の私もあります。
しかしどの私でも私は「私」ですね。
常に「私」を認め、信じ、拠り所とし基準にする。
釈迦の「自明灯」とはまさにこれのこと。自愛です。

てなことを私自身改めて気づかされたレスでした!
ありがとうございます!

494:wild:2016/09/12(月) 00:23:20 ID:9uW/Z0pA0

またまた連投すみません。

477さんは音楽がお好きなんですね?
音楽で思い出しましたが、私wildはその昔バンドマンでしたwww

パートはボーカルでしたがギターで作曲もしてました。
NO MUSIC NO LIFEを地で行ってたロックな若者だったのですw

その頃を思い返すと、演奏中は「没頭」してたなーと思いましたね。
ステージの空間、観客、声、スポットライト、楽器の音、自分の身体、動悸、歌声、リズム…etc
それらが瞬間瞬間に渾然一体となり、大きなうねりとなってひとつの世界ができあがっていたなーと思い出しました。

今考えると、その時エゴの私は無であり、世界という有がありましたねー。
これは演者でなくとも観客側でも感じられますね。
クラブで踊っても良いかもしれません。
瞑想と同じ感覚だと思います。

結局、私の俺様な性格が祟って解散してしまいましたが…
なつかしす…。
自分語りすみませんw

495:真昼:2016/09/14(水) 13:18:01 ID:NoXlOHyQ0

≫489
477さん、レスありがとうございます。遅くなりました。
なんか477さんは、スゴいですね。とてもエネルギッシュで、477さんの文章は読んでて元気になりますね!

さて、

≫神社でよく目にする鏡は 世界は内面を映す鏡といわれるが、うまく言えないけれど、感じとれなくても世界は滋愛に包まれているし、愛そのもの

素晴らしい気付きですね。自愛が正しく実践されている証なのでしょう。
鏡はとても不思議で、目の前を全部映します。好き嫌いせずに、目の前を映します。なんの努力もない、力みもない。ただ目の前をありのままに映すだけ。
たぶん私たちも同じじゃないんですかね?ただそこにあるものを見て、そこにある音を聞き、そこにあるものに触れている。それは努力や集中力ではなく、私たちに元々備わっているもの。
その上で、エゴが「あれが欲しい、これは気にくわない」と騒いでいる。
あれ?僕はこれを書いてて何かピンと来てますw
これはいい気付きですよ。なんかありがとう477さんw

≫「無」がただここに「在る」。
「何者でもない」ものが、ただここに「在る」。

そうですよね。全ては「何者でもない(何者であってもいい)」ということの上にあるのだと思いますね。無が有る、なかなか簡単なようでとてつもなく深いですw
また、引き寄せについての書き込み楽しみにしています。
毎日自販機で買ってますが、まだ当たりなし!w

 

497:幸せな名無しさん:2016/09/14(水) 15:23:53 ID:iZnjEvY60

 

≫鏡はとても不思議で、目の前を全部映します。好き嫌いせずに、目の前を映します。なんの努力もない、力みもない。ただ目の前をありのままに映すだけ。
≫たぶん私たちも同じじゃないんですかね?ただそこにあるものを見て、そこにある音を聞き、そこにあるものに触れている。それは努力や集中力ではなく、私たちに元々備わっているもの。

素晴らしい!!!まさにこれですね!!!

 

 

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