自己否定とは、「自己を否定する自己」を肯定する遊戯に過ぎない
97 :本当にあった怖い名無し:2008/07/31(木) 06:46:56 ID:S4nehOmU0
108さんどうしたらいいでしょうか。そして痛い書き込みすいません。
自分を認めたいのに認められないんです。
何度も何度も自分は無価値なんかじゃない、願いを叶えてもいいって許可しても、
意図しても、頑なにそれを受け入れようとしないんです。
外面も内面も関係なく、自分は自分だと思いたいのにそれができない。
愛したいのに愛せない、それは自分を愛しているからだとか言われても認められないのが苦しいのは、
認めた状態が真の自分なんだとわかっていても、どうしても許可してくれない、がっちがちに固まった
観念があるんです。
全ての願いを叶えてあげたい、認めてあげたい、
自分は誰と比較するでもなく、自分自身として輝いていたい
外側にふりまわされない、穏やかな心を持ちたい。
でもそれを認めない強情な自分がいる。どうしたらいいんでしょうか?
106 :本当にあった怖い名無し:2008/07/31(木) 09:15:09 ID:XR5oHNjiO
>>97
こんな言葉をどこかで読んだな。
自己否定とは、「自己を否定する自己」を肯定する遊戯に過ぎない
ただ自を見る。否定したくなったら否定している自をただ見る。
それに対して判断を持ち込まないで他人ごとのようにただ眺める。
これやってみ、簡単にできると思う。
さて、自を否定している自を観察している自とは誰だ?
この視点に気付いたら少し何かが変わるだろう。今まで拘ってた自分だけが自分ではないんだよ。
114 :本当にあった怖い名無し:2008/07/31(木) 18:33:19 ID:S4nehOmU0
>>106
やってみました。
なんか、不思議な感覚でした。客観的に見ると冷静になれます。
しばらくやってみたいと思います。ありがとうございました。
131 :本当にあった怖い名無し:2008/07/31(木) 21:51:10 ID:XR5oHNjiO
>>114
これは仏教とかでやる瞑想のひとつなんだ。
例えば自分が何かを失敗したとする。
「また、失敗した。自分は何て駄目な奴なんだ。あの時もそうだった… 」
なんて具合に普通に生活してると思考が連鎖する。それを意図的に止めるのが目的なんだ。
「失敗した」で止める。
または「自分は今駄目な奴だと考えている」と観察する。
観察対象にする事で思考の連鎖をストップできる。
観察している自分に焦点を合わせる事で普段の思考する自分とは別の視点を確保できる。
興味あれば色々調べて自分に役立つ物を拾っていくと良いよ。
989 :108 ◆90KoxUVipw :2008/08/07(木) 04:47:40 ID:KOkXN3PC0
>>97
(>>106さんのアドバイスで解決済みのようですが、一応私からも)
> どうしても許可してくれない、がっちがちに固まった観念があるんです。
そこに気がついたということは、大変な収穫ですね。
その段階で、問題はほとんど解決しています。
では、この観念をあっさりと捨ててしまってください。
「今までありがとう。でも、もういらない。さいなら」
こんな風に、簡単に手放してみてください。
このとき、体にどんな反応が起きるのか注意してください。
何か(痛み・不快感・抵抗など)を感じたら、そのエネルギーを解放してください。
そのエネルギーを解放することを、単純に許可してください。
許可したら、そのエネルギーがどう動いていくのか観察してください。
どこかに消えていくようなイメージを持ちながら、じっと観察してみてください。
本当はその観念に気がついた時点で、あなたは既に、その観念を手放しているんですよ。
あとの行為は、セレモニーみたいなものです。
つまり、その事をあなたを納得させるために行っている単なる儀式に過ぎないということです。
(これは、あらゆるメソッド全てに共通して言えることです)
完全に手放せたかどうか分からなくても、解放できた実感がなくても構いません。
それらは残留思念みたいなもので、実際にはとっくに手放せています。
それを認識した上で、楽しんでやってみてください。