439 :幸せな名無しさん:2013/11/24(日) 02:04:00 ID:.4bLqsfY0
現象化について、こういう感じかなーと思ってることを書いてみます。
(これが真実ということではなく、あくまで一つの見かたとして書いてます。)
「私」という人間のエネルギーに共振した出来事が引き寄せられてくるとか、
「私」という人間の観念等が、世界に投影されているとか、
それらもある一つの側面からの見かた、表現です。
ここでは「私と世界」は全く切り離されていない
「自分がそのまま世界そのものである」という見かた、それらは瞬間瞬間、
エネルギーの収縮と緩和によって、現れては消えているという見かた、表現をしています。
広大無辺な何も無いフィールド。(実際には空間や場所ではないですが)そこには何も無い。
と同時に、あらゆる可能性を潜在的に含む素粒子が、全く何の方向性も無く中立に遍在しています。
「無」であると同時に「全て」である空間です。
そこでエネルギーの収縮が起きたときに「私」という感覚を持つことが出来ます。(≫404参照)
その「私」というエネルギーの収縮に絡まったエネルギーたちが、「私」の構成要素として、
性格、容姿、思考、感情、記憶、環境などを構成していて、「私はこういう人間でこういう環境に生きている」
という感覚を持つことになります。
例えば「お金」にしてみます。
お金はこの世界で生活のためだけでなく、多くの関心を満たしてくれる、
人生の可能性を物質化したようなものかと思います。
そしてその人生の可能性は、ただ中立に何の方向性も無くフィールドに遍在しています。
毎瞬毎瞬の「私」というエネルギーの収縮が起きたときに、
その「人生の可能性のエネルギー」が絡まったとします。
すると「私」は見せかけの分離(実際には分離していないが、分離したという錯覚をしている)ですから、
人生の可能性も、あらゆる可能性から分離して見えてしまう。
それが「お金が欲しい」「お金が無いから色んな制限がある」という形で「私と世界」に現れます。
で、それらは見せかけの分離として一部分だけしか見ることができないだけだから、
全体性に広がってる全ての可能性のほうに意識を向けましょう、という話なのですね。
気づくことは「私」という収縮を溶解させることです。
絡まってるエネルギーが解放され、広大無辺の全体性の中に溶けることです。
あとは全体性の中で調和が起きて、最適最善に物事が起こってくるでしょう。
440 :幸せな名無しさん:2013/11/24(日) 02:04:38 ID:.4bLqsfY0
そして現象世界とはエネルギーの波動、振動の世界なので、
収縮と緩和、現れては消えるということが瞬間瞬間に起こっています。
一つの瞬間に「私とその世界」という現象が起こり、次の瞬間には「無」のフィールドにさらさらと溶け去る、
この時間が存在する世界で、そんな風に全ての現象が、現れては去っていきます。
それらは瞬間瞬間全く別の現象であって、全ての現象はその瞬間だけで完結して現れ消えていくものです。
ですので、昨日と今日は繋がっていないし、この文章を読み始めたときと今の瞬間も全く繋がってません。
時間の概念があるので繋がって見えるだけなのです。
何かを叶えたいと思うとき、連続して見える世界の中では、今現れている現象を
変える必要があるように見えるので、どうしても今の現実を否定せずにいられなくなります。
ですが、瞬間瞬間一つの現象として完結している現れは、捕まえることも変えることも出来ません。
それはただ現れて消え去るのみ。私たちはそれをどうすることも出来ないし、どうにかする必要もありません。
「変えたい」と思うこと、それは時間が繋がった世界では自然なことですが、
瞬間瞬間が、まったく別の世界の現れであるという世界では、全くの見当違いで不可能なことなのです。
<「私」を含む世界>の現れは、たった今どう在るか、それだけなのです。
とはいっても、タイムラグなどの、即現象化が起こらないことに対して疑いがある人もいるでしょう。
「たった今そうなってるのに、いつ現象化が起こるのか」
現象化にこだわる人はそういう疑いはなかなか消えないでしょう。
それは「早く叶わないと困る」「そうでなければ幸せではない」という思いが根底にあります。
結局は、それがその人の在りかたとして、そのまま世界そのものとして現れています。
で、それもやはりエネルギーなので、気づけば解放されていくんですね。
ですので、変えられないものを変えようとしたり、掴むことの出来ないものを
掴もうとしたりすることは出来ません。それは疲れるだけの不毛なことです。
でも何かを「叶えよう」とすることは、まさにこういう行為です。
嫌なことが起きても、それは現れて消え去るものでしかありません。
それを起点にしてなにかを「叶えよう」とするのではなく、
「たった今どう在るか」の在りかたでしかないのです。
408 :幸せな名無しさん:2013/11/22(金) 14:31:36 ID:F8JMnxlk0
自己観察さんはじめまして。
私も自己観察さんのまとめを何度も読ませていただいていてすごくファンです。
リアルタイムでお会いできて本当に嬉しいです。
こんなことってあるんですね...奇跡みたい!
迷っていましたが思い切って質問させて下さい。
今現在、体調不良というか病気で悩んでいます。
一ヶ月ほど前に、仕事のストレスでパニック発作を起こしました。
今は薬で落ち着いてきましたが、乗り物とか新しい場所とかが怖くなり
普通の生活ができなくなりました。
毎日、このまま治らなかったらどうしようと不安で不安でたまらない日々を過ごしています。
早く治りたいんです。
過去レスで
『独立して完結しているというのは、「体がどんより重だるい」のはそれはそれとして
ただそうあるものだからです。そうであるものを変えることは出来ません。
それはただ現れて去っていくだけです。それは、全てが既にある中で、
完結して存在した「体がどんより重だるい世界」にピントを合わせているのです。』
というのがありましたが、(突然ここだけ抜粋してすみません)
すごくわかりやすくてなるほどーと思いました。
つまりわたしは今パニック発作の世界にピントを合わせている状態ですよね?
そこから治っている世界を選ぶにはどうしたら良いのでしょうか?
とりあえずは、不安に気づいて眺めるということはしてはいるのですが、
『無』な感じで安心感は特にないです。
ただ不安から離れられる感覚?!はあるので続けてみています。
もちろん通院は続けますが、それと平行して自分の在り方というか
潜在意識の面からもアプローチしていきたいという思いです。
是非何かアドバイスをお願いします。長文になってしまいわかりにくくてすみません。
424 :幸せな名無しさん:2013/11/23(土) 17:37:37 ID:SI.HRQ2g0
自己観察さんへ
上の方で五感で気づくのではないとおっしゃっていましたが
自分は思考、感情を観察しながらその背景として静寂、空間、広がりを感じるのです
この静寂、空間、広がりに自分は聴覚や身体の感覚で気づいているような感じです
自己観察さんのレスまとめに、上記のようなニュートラルな感じ、広がりがある感じはいいことだ、
それらの感じに気づいていることが重要、と言った内容があったことや様々な目覚め関連の本からも
自分の感じている静寂、空間は正しいと思っていましたが上で自己観察さんが”五感ではない”
みたいなことをおっしゃっていたので少し混乱しています
良かったらアドバイス下さい
441 :幸せな名無しさん:2013/11/24(日) 02:07:07 ID:.4bLqsfY0
≫408
上の話(今今スレのほうがわかりやすいかも)の通りですが、もう全部あるので
「私が安心して心地よく過ごせる私だったら、それはどんな私かな~?」
と問いかけて呼び出すというか、そのまま全体に委ねちゃうといいと思います。シンプルに。
そのときもう「そういうあなた」になってるから。
≫424
五感で感じるってことは外側のものを感じてる、内と外の境界を明確に感じてるってことだよね。
実際は自分が世界そのものなわけだから、外側に何かあるってのも変だよね。
最初は五感の感覚で感じててもいいんだけど、実際にはその内と外の境界なんてないんじゃないのかな。
自分の外に広がりや静寂を感じるんじゃなくて、
あなたが広がりそのもの、静寂そのものなんじゃないのかな。
445 :幸せな名無しさん:2013/11/24(日) 10:12:43 ID:YpSjaQug0
自己観察さん楽しい話をいろいろきかせてくれてありがとう!
446 :幸せな名無しさん:2013/11/24(日) 12:10:44 ID:.4bLqsfY0
≫445
こちらこそありがとう。
書きたいことをかけたのですっきりしました。
わからないところを追求したくなるのはわかるんですが、自愛と自己観察の違いの
ところでも書いたように、もう探求はやめましょうという趣旨です。
わかろうとするのではなく、わかろうとしてる自分、
なにかに到達しようとしてる自分に気づくことなのです。
そんな人もそんな場所も存在しません。
また思いつけば書くかもしれないけど、私宛にいただいてもすぐにはお返事できないと思います。
でも答えは結局「そういう自分に気づいてくださいね」くらいしかないんですけどね。