自己観察さん−011/目の前に広がってる空間、視界に入るすべてのものは、 全部フィルターを通したあなたの意識体です。

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244 :もぎりの名無しさん:2011/03/09(水) 12:30:49 ID:psg5Ebes0

大海にはもともと「意思」はありません。
「空」とか「ゼロ」とか「無」とかで表現されますが、ただ在るだけの純粋な意識体です。
空気みたいなものです。

 

あまりエゴが活発でないとき、例えば自然に触れてるときとかリラックスしてるとき、
自分の心の中に静かな空間(感覚)が広がっていることを、なんとなく感じることができるのでは
ないかと思いますが、その自分の内的な意識空間が、肉体を媒体としてこの物質空間に
そのまま広がっています。自分の体が、意識と物質を転換する装置です。

 

私という肉体を通して、本来は静かで空気みたいにニュートラルな意識体である空間を
見てるだけなんですが、様々なフィルターを通して見ているので、現実にいろいろ
起きてるように見えます。

つまり、目の前に広がってる空間、視界に入るすべてのものは、
全部フィルターを通したあなたの意識体です。

「私=世界」です。

肉体が媒体となって、観念を振動として空気中に伝え、その振動が電気信号として眼球に伝わり、脳に伝わり、そこで作り出した3D映像を現実として認識しています。

物を触って感触を確かめられるのも、ただ脳でそう処理されてるだけです。

 

なので、自分の観念以外に自分の願望や意思を妨げているものはありません。
「世界=私の意識が物質化したもの」なので、「願望」という概念自体も本当はありません。

 

ただ「○○が欲しい」というフィルターをつけていながら、たくさんの矛盾するフィルターをつけてるだけです。

「大海全体が自分」である「本当の自分」として生きるとき、それらの矛盾したフィルターは無効になります。

それらのフィルターは「ない」ことを前提にしないと維持できないものなので、
自分が望むものがすべてあることが実感できると消えてしまうのです。

 

これは自然に気がつかないうちにそうなる人もいると思うし、
突然世界の見方が変わったことがわかる人もいるのではないかと思います。

 

自分の世界にあるものが本当はすべて自分のものであるのに、
「それは自分のものではない」「他の誰かのものだ」というフィルターを通して
みることによって、それは他人の所有物として世界に登場することになります。

本当の自分を認識できるようになっていくと、それらの制限フィルターが段々少なくなっていって、
自分のものであることがわかるようになってくるので、望むものが手に入りやすくなったりするのです。

 

なので、「本当の自分」と今の自分を違う存在のように思って「どうやって願いを叶えて貰うか」
とか、

「別の領域に立ったときに願望をちゃんと意図しなきゃ」とか考える必要はないのです。

 

本当の自分は、今の自分(「ない」ことを前提にして願望を巡らせている自分)よりも包括的に物事を把握しているのです。

実際には、昨日までなかったものが今日突然出現したというような、前後の繋がりのない事態が起こることは殆どないと思いますが、(でも可能性はあります)自分のものになっていくプロセスも、自分や周りの人にとって自然で納得いく方法で全部整えてくれます。

 

そしてそれは限られた範囲のことしか想像できないエゴ(思考)では予測できません。
エゴは自分の経験や他人から聞いた話しかデータがないので、それ以上どこにも探すことができなくてぐるぐる停滞するしかありません。

 

本当の自分はそんなとこに興味ないのです。
本当の自分は、もっと自分の壮大さに気づいて知覚できる範囲を
拡大していきたいのだと思います。そのための現実です。

たぶん続くと思いますが、またにします。

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