268さん-03/何を見ても、聞いても、それは、叶っている過程であり、 それは願望の一部分であり、願望かなうそのものになります

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231 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2011/08/05(金) 00:05:33 ID:pLA8e/RI0

268さん
>>194で言ってるエッセンスという言葉について、
もう少し説明して頂いてよろしいですか?
本質?抜き出したもの?何から抜き出したものなんでしょう。

245 名前:268です。 投稿日:2011/08/05(金) 16:40:06 ID:/XnhaO0A0

p1

漫才の ぼける(伏線)です。
漫才を落とす、オチをつけたい←願望
①そうすると、ぼけなければならない
②そして、つっこむ
これで完成です。

ぼけて、なおかつ、突っ込まれなければ、完成となりえないわけなんですが
その為のこのボケが重要なのです、じゃあ、突っ込みはとなると、重要なのです。
これだとボケ・突っ込み パートがわかれているので、わかりやすのですが。

ドキンちゃんを見て、それも願望のかなう過程となるんですよ。
この世に全て、不必要なものなんてない、全てがつながっている、
全てがつながっていることが分かると全てがひとつになる。

だから、石ころがころがろうが、雨がふろうが、
自分の自分の願望が(世界の左足の一歩)になると、
何を見ても、聞いても、それは、叶っている過程であり、
それは願望の一部分であり、願望かなうそのものになります。

漫才は ボケ、突っ込み→落ちる
これが分かりやすいのですが、落ちてこそ、漫才なんです。

視聴者は漫才をみているのであります。
ボケやら、落ちるやら、突込みやらどれを見ても漫才なんです。
どれを見ても(漫才ゴールなんです。)

そして、見ている視聴者がいて、その視聴者が腕時計を見た、
それも漫才にかかわっているのでその視聴者が腕時計を見たという行為さえも漫才なんです。

だって、
その見てもらってる、視聴者がいて、初めて漫才といえるから
そのとき、その時間、その場所で視聴者が腕時計を見たことによって、
その時の漫才がなりたつんですよ。腕時計の見る行為、それさえも漫才といえるんです。

人間(エゴ)というのは白黒つけたがるんです。
本来、この白黒なんて、つけれるものではないんですよ。

246 名前:268です。 投稿日:2011/08/05(金) 16:41:23 ID:/XnhaO0A0

p2

3.14がなぜつづくか?
この世に完璧な円なんてないんですよ。
ほんとは、線のかくかくしているものがつながって円なんです。
いくら、その線を永遠に細かくして、円に見せようとしても3.14以降が続くんですよ。
3.14くらいが人間から見て円にみえるんじゃね?ってことで
3.14にしてると思うのですが(詳しくわかんないんで、間違いあったらプロに補足をまかせました)

人間はね、はっきりしたいんですが 区切れないんですよ。
ある、ないを区切りたい、白黒つけたいけどできないんですよ。

スタート(意図を放った)→過程→ゴール(願望達成)なんですが
願望実現的に スタート→ゴールを設定したと、

もっというならスタート=ゴールだと、できないことはないと思いますが
いきなり、目の前にあらわれる、これだとやはりプロなんです。

いきなり、願望現実をプロなみにしようとしてもなかなかなれないんですね。

これさえも私だけの文章でわかりやすくたとえ話をいっているだけなので
いきなりプロ並みにできないんだといって辞書に書き込む必要なないんです。

でも、その認識の変更がまだ、できていない人にとっては
最初はくぎるやりかたの方がいいんじゃないかなー?ってくらいなんですよ。

これがねぇ、パラドックスなんですよ。
やり方を説明する→認識の変更ができていない人は
そうすると辞書にやり方を書く→ある、ないで判断、→初心者はこうやるべきと思ってしまう→
こうしないとできない、できるをマニュアルにしてしまう

マニュアル=機械
あなた方は機械だ。

やり方を説明されると、インプット、ダウンロードされてしまうですよ。
自動的に、観念化してしまうんです。(はい、これあなたインプットされましたか→?)

あなた機械じゃイヤでしょってことで
だからよく言われる、何も考えず直結しろとか、、黙って座れとかいうんです。

247 名前:268です。 投稿日:2011/08/05(金) 16:42:17 ID:/XnhaO0A0

p3

ものさしのメモリが1センチだと1センチのところの縦線があり、
線の右端が1センチだろうか?線の左端が1センチだろうか?
いやいや、線のちょうど真ん中が1センチだろうと迷っているです。人間はね。

あなた、小学生の時そんな事迷いましたか?
何も迷わず、1センチひけたでしょう
それに今でも迷わず引いているでしょう?

どんな問題の事でもいいですが迷っているということは、
「宇宙の端っこってあるのないの?どこから、宇宙の外って?宇宙ってなに?」
って考えてるのと一緒です。

だいたい質問自体が間違っているんですから。
分からないからこそ、たしかめようがないからこそ、宇宙なんですよ。

「ある」「ない」にとらわれず、答えが「わからん」でもいいんですよ。
わからないから決められないでいいんですよ。
わからないなら、決め手イイ、決める、決めない、わしゃしらんでもいいんですよ。
わからない→自由なんです。

U4さんがいっているように加速するためにですが、もうあなた方は、
発火点に火がついているんですよ。じゃあ、加速はまだなのか?ってことなんですが、
発火点があり、加速する、それまとめてひとつの動作です。

だから、どこから、どこまで、細かく区切らんでいーよ
めんどくさいから、ひとつにしちゃえということなんです。

248 名前:268です。 投稿日:2011/08/05(金) 16:43:09 ID:/XnhaO0A0

p4

①とんかつをさらにもり、ご飯をまたべつの茶碗にもる。→カツ定食
②どんぶりひとつにかつとご飯をもる→かつどんぶり

細かい人は、かつ定食やら、かつどんぶりやら、こだわりの言い方をするんですけど
細かくいうとめんどくさくないですか 辞書分厚くなっておもいでしょ?

①と②でも「飯!!」たとえ③の親子どんがでてきても

「飯!!」

これでいいんです。
男ならだまって何も言わず飯を食え!!です(女でももちろん可)

いやいや、俺は、加工された食べ物を○○とよぶぞ、
そうだごはんと呼ぼうでもいいんです。あなた決めてください。
色んな食べ物の名前が辞書にあったのが、「飯」一言に書き換えたら
だいぶ辞書の分厚さがへりました。

今までの観念とは逆に、色んなものを大きく区切る作業していくんですよ。
全部全部全部。アメリカ人、韓国人、日本人、その他 これさえも、辞書に人間と書き換えるんですよ。

辞書がノートくらいまで薄くなったら、書いてる文字がひとつになったら
捨てるか、わすれるかするんですよ。とりあえず覚えていてノートを家のすみにおいておてもいいし、
手ぶらが楽ですよ。そうしたら、いつも辞書をかかえていた手が空くでしょ。
そうしたら、いつも辞書を持っていた手が自由になりましたね。
あなたはなにをつかみますか?ってことです。

つかむまでもないです。あなたは自由をもうすでにつかんでいますってことです。
辞書をはなしたとたん(ない)=つかむまでもなく自由をつかんでいる(ある)
これが直結です。

私の場合は
選べない 選ぶ 選ばないがあるとすると、
選ばないを理解してやっと、選ぶをいう意味を理解ができたような気がします。

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