Wildさん-18/自我に自信を持つのではなく目の前に見えているものを信じるということ。内側ではなく外側を信じることが「根拠のない自信」というもの

この記事は約13分で読めます。
スポンサーリンク

 

284:現象:2016/06/10(金) 05:10:59 ID:IvH3P94I0

≫271
真昼さん

書いてくださいとお願いしておきながらレスが遅くなりすみません。
仕事に忙殺されて書き込む気力が。。今日はとうとう事務所で徹夜となりましたが、
もう知らん、なるようになるわ、と悟りの境地?で休憩がてら。

 

>「今」とは記憶であり、全ては消え続けている。

例えば、雲みたいなもの、でしょうか。
刻一刻と、カタチを失うことがそのままカタチに成ること。死滅=生誕。
新しいカタチになった、と認識した瞬間にはもうそのカタチは滅びています。

だから全て(世界)は記憶(過去)でしかない。実物を確認しようとした時にはもう無い。
記憶とは、それが存在した(はずだ)という痕跡であり、もっとシンプルに言えば「記号」。

記号とは、代理物で本体を指し示すもの、
現前することで不在を指さし、何が不在なのかを示すもの。
でも、本体を探しても、どこにも無い。私たちは常に、現前する記号だけを見ている。
で、この記号がすなわち「思われ=現象」だ、なんてことを現象学では言ってます。
「在ることによって在らぬのであり、在らぬことによって在るのだ」とか。

この記号がつまり「概念」「レッテル」てことになるのではと思ったり。
私たちが常日頃、記号=概念を見ながら暮らしているなら、
それは思考の中にどっぷり浸かっているということですよね。

という理屈はある程度わかっているつもりですが、なかなか体感にまで落とし込めません。

 

302:真昼:2016/06/13(月) 11:51:28 ID:TcDs6NIw0

≫284

現象さん、お忙しい中レスありがとうございます。
僕の雑記をアカデミックに考察して頂けて嬉しいです。
書き込みしてよかったです。現象さんの説明で理解が深まりました。

 

≫例えば、雲みたいなもの、でしょうか。

そうです!僕のイメージでは波、滝、風のようなものです。
波や滝をコップですくったら、それはもう波でも滝でもなく「ただの水」です。
風を袋に入れたら「ただの空気」です。捉えたらそれは消えてしまいます。

認識したら終ってる、全ては消え続けている、というのはそういうイメージです。
この例で言うところのコップや袋にあたるのが、自我・記憶だと思うんです。
「私たちは自分の知っていることしか認識できない。しかし、認識したものは既にそれそのものではない。つまり自分の記憶を認識しているのであり、記憶の中に生きている」
なので、そのものを見ようとするのではなく、そのものになる。
そこの抜けたコップで滝の中に飛び込んで行く。水が通過しているだけのものになる。

それが純粋な体験者と書いた状態です。
感覚的で伝わりにくいかもしれません。すいません。
現象学、僕も勉強してみうかなと思い始めていますw

 

303:真昼:2016/06/13(月) 12:31:19 ID:TcDs6NIw0

≫299

≫私はWild(神でも源泉でもOK)を信じて下さいとお話してますが、上記の通り、Wild=私です。

この話と同じ主旨のことを書き込もうと思ってたら、書いてありました。
まさに「既にある」ですねw
自分(自我)に自信を持とうと思うと、その根拠が必要なんですよね。
根拠のない自信を持て、ということをよく目にしますが、ずっとその意味がわからなかったんです。単に独善的なだけではないのか?という風に。

ハーディング実験をやっていて分かったことが、自我に自信を持つのではなく、目の前に見えているものを信じるということなんですね。内側ではなく、外側を信じることが「根拠のない自信」というものなんですね。内側などないのですから。

wildさん開発のRYMを時々試していますが、面白いですね!
ラジオから流れている歌を聞いてると思ったら、いつの間にか思考に興味が移り、興味のあるトピックがラジオから流れるとそっちに移り、また思考に移ります。
音と思考の間を行ったり来たり。

そこで僕も自分用のメソッドを開発しようと思いまして、やってみると案外しっくりきたので書いてみます。(wildさんのスレなのに調子に乗ってすいませんm(_ _)m)

それは、カメラを目の位置に固定して自分の目線から動画を撮影する、というもの。
後でその動画を見返すと、観察者視点というものが少し垣間見えて、頭がない状態をインスタントに感じることができました。
スマホを頭にバンドで固定して家の中をうろついてたので、家族には心配されましたが…
動画には「バカじゃないの?」という家族の顔が映っていますw

wildさんに色々気付きを促して頂いて感謝しています。
スレ汚し失礼しました。

 

307:wild:2016/06/13(月) 16:48:59 ID:LQ.aqcis0

≫303
真昼さん。
いえいえ、私は好きなことを書いてるだけですw
これもWildの仕組んだことなのでしょうw

≫ ハーディング実験をやっていて分かったことが、自我に自信を持つのではなく、目の前に見えているものを信じるということなんですね。内側ではなく、外側を信じることが「根拠のない自信」というものなんですね。内側などないのですから。

そうですね!
世界とは外側でもあり内側でもあった。
つまり一つ。
本当は一つなんですから、外側と思っていることを信じれば、必然的に内側と思っていることを信じることになりますね(^^)

RYMやられてるんですね?
嬉しいなあ!
あれ?RYM!?
「Radio earphone method」なのですから、REMですよね(^^;
わたくし、またまたアホな略をしてしまいました…orz
誰も突っ込まないところが皆さんの優しさを感じますw

 

≫ ラジオから流れている歌を聞いてると思ったら、いつの間にか思考に興味が移り、興味のあるトピックがラジオから流れるとそっちに移り、また思考に移ります。音と思考の間を行ったり来たり。

これが自我の働きですよね。
意識を向けた方向に現象が起きる。
そしてレッテルを貼る。

一瞬なので現象の後に意識が向くと感じますけど、
厳密には意識の向きと現象を同時に創っているのかと。
これがWildの創造の瞬間なのかな?
この辺りまだ推測なので実感が足りませんけどね(^^;

 

≫ 後でその動画を見返すと、観察者視点というものが少し垣間見えて、頭がない状態をインスタントに感じることができました。

これは活気的ですね!!
早速私もやってみましたw
なるほど…「私はスクリーンである」がわかりますね。
ついでにスクリーンと現象が一体であることもうまいことわかります。
これはすごい!シェアありがとうございます!!

全然関係ないんですけど、頭にカメラ巻いてやってる最中、なんとなく「八つ墓村」の田治見要蔵的な気分になったのは私だけでしょうか?www

で、この田治見要蔵は懐中電灯を頭に巻いて人を××しまくるのですが、暗闇の中で要蔵が向いた方に被害者が照らされる。そして××す。
Wild視点だとやはり、要蔵=被害者となるとw

ワケわからない気づきですみません…。
wildスレは掲示板なのでお好きなようにお書き下さい!
私にとっても新たな気づきに繋がりますので(^^)

 

313:真昼:2016/06/14(火) 12:45:37 ID:mKOVlYRg0

≫307
レスありがとうございます。REMには全然気がつかなかったですw

 

≫一瞬なので現象の後に意識が向くと感じますけど、
厳密には意識の向きと現象を同時に創っているのかと。

なるほど。仏教には「刹那」という時間の単位があります。1秒=75刹那だそうです(諸説あり)。意識が刹那単位で動いているとすれば厳密にその後に動きを把握するのは至難の業でしょうね。でも、その意識の流れに寄り添って行けば、創造の先端が垣間見えるのかもしれませんね。

 

≫早速私もやってみましたw

なるほど…「私はスクリーンである」がわかりますね。
ついでにスクリーンと現象が一体であることもうまいことわかります。

お試し頂いてありがとうございます。僕の伝えたかったことが伝わったみたいで感激です。
このメソッドのコツは、自分が普段している行動をしてみること、手や足など身体をカメラに映すことですね。

そして僕の目下のテーマは「リアリティーとは何か?どこから来るのか?」ということ。
動画に映っている映像と、今自分の目で見ている映像は何が違うのかを理解したかったんです。

それはそうと、田治見要蔵ってw
懐かしいにも程がありますね。確かに少し狂気じみた感じがしますからねw
僕は要蔵ではなく、お札貼られたキョンシーになった気分でしたよ。何の話?w

昨日話してらした「まったき今」についてはまた次回。

 

315:wild:2016/06/15(水) 14:10:06 ID:zrdyOL3Q0

≫313
真昼さん。

仏教には「刹那」という時間の単位があります。1秒=75刹那だそうです(諸説あり)。意識が刹那単位で動いているとすれば厳密にその後に動きを把握するのは至難の業でしょうね。でも、その意識の流れに寄り添って行けば、創造の先端が垣間見えるのかもしれませんね。

仏教についてお詳しいんですね!
そうなんです。
ここが最近もっぱら気になるところ!w
しかし最近、私というエゴが消えて世界だけが在る状態と、この最先端に立つことは違うものなのでは?と思うようになってきました。
それとも角度の違いか…?
はたまた隠れたエゴがあるのか…。
至難の業とおっしゃる通りで、エゴでは認識できなさそうな事よねw
この辺り、再度ただ見るのみに成りきって検証してみようと思います。

≫ そして僕の目下のテーマは「リアリティーとは何か?どこから来るのか?」ということ。動画に映っている映像と、今自分の目で見ている映像は何が違うのかを理解したかったんです。

なるほど。
私はリアリティーの大元は五感と思考の連携だろうなと思ってます。
仏教だと六根と言われてますね。
本当は六根それぞれが独立しているのに、なぜかまとめあげて一人の個人を作り上げている。

もし視覚しかない世界、または聴覚しかない世界になったら、リアリティーは感じられないのかなと。
実際に六根のどれかひとつに成りきってみるとそのことが体感されることがあります。

≫ 僕は要蔵ではなく、お札貼られたキョンシーになった気分でしたよ。

www
どちらかと言うとキョンシーですね!
テンテンとスイカ頭は元気かなーw
もうオッサンオバサンなんだろうなw

「まったき今」について楽しみにしてます!(^-^)/

 

319:現象:2016/06/18(土) 06:47:59 ID:s.z5sUfE0

≫302
真昼さん
(このお名前、ニーチェの言う、一切の真実が示される真昼、あらゆる価値の転換の時である大いなる正午、みたいでカッコいいな、と改めて思いましたw)

私が哲学風に書いていることは、
単に哲学書からの受け売りですので、軽く読み飛ばしてくださいね。

>僕のイメージでは波、滝、風のようなものです。

随分と動的なイメージなんですね。なぜだか、ちょっと意外でした。

 

>波や滝をコップですくったら、それはもう波でも滝でもなく「ただの水」です。

この例え、新鮮でした。
今ここで経験している現実・体験は、「1枚の絵」という全体的なものなのですね?
この1枚の絵の部分に焦点を当てるのではなく、この全体が私、ということでしょうか?

 

>そこの抜けたコップで滝の中に飛び込んで行く。水が通過しているだけのものになる。

「底の抜けたコップ」、いいですねぇ。感覚的に伝わってきます。
変化・生成する世界に、常に晒されている。世界とは流動そのもの、ということですね。

>現象学、僕も勉強してみうかなと思い始めていますw

是非ぜひ。真昼さんがおっしゃていることは、現象学が言っていることと重なると思いますので、
真昼さんが感じられていることをスッキリと整理できるかもしれません。

おせっかいかもしれませんが、簡単に読書案内などを。。
以前、wildさん宛のレスで書いたことですが、
斎藤慶典という哲学者の本が、現象学の入門に適切かと思います。

「デカルト われ思うのは誰か」(斎藤慶典)は、哲学的知識がなくても読みやすい本ですが、
現象学的な思考を徹底して、思考自体が空転する地点(思考の臨界)まで連れて行ってくれる本です。

「思考する者と、思考された物、この両者を含んだひとつの統一的な事態としての、思考することこそが、私だったのである」
「私とは、行為遂行者ではなく、それを通して、そこにおいて、現象が現れる媒体である」
などなどが書かれています。最終的には、神に触れる、祈り、愛、などに話が及びます。

この次に現象学の入門書として書かれた「フッサール 起源への哲学」(斎藤慶典)をお読みになると、スラスラ入ってくるかもしれません。
そして、現象学の創始者・フッサールの原書(例えば「イデーン」など)にチャレンジされるといいのでは、と思います。

横ですが、

>「まったき今」

非常に興味があります。おヒマな時に、ぜひ真昼さんの実感をお聞かせください。

 

329:真昼:2016/06/20(月) 23:28:45 ID:7/98xa.U0

その話に僕も参加させてください!
まずは≫315
wildさんレスありがとうございます。仏教は詳しくないですw

≫しかし最近、私というエゴが消えて世界だけが在る状態と、この最先端に立つことは違うものなのでは?と思うようになってきました。

それは僕も思います。本質的には同じかもしれませんがアプローチが違うのかなと。
以前誰か宛のレスで空(くう)と色(しき)のバランスについて書いてらっしゃいましたよね?
これは非常に重要な考え方だと思います。

①ハーディング実験や自己観察、瞑想など自我から離れて世界だけがあることを観る。
僕なりの表現だと「全て(自我も含む)は外側」を体感する。

②今自分がやっていることに没頭することで自分の先頭に立ち、世界に飛び込んでいく。そして自我が落ちていき、世界そのものとなる。そこには観るものもいない。
僕なりの表現では「全て(世界の全て)は内側」を体験する。
この2つは真逆のようで本質的には同じことなのでしょう。まだ実感はありませんが…

この「全ては外側」と「全ては内側」の融合点が「全てはWild。そしてWildこそ自分」という事なんでしょうか?

あまり関係ないことですが、ハーディングの指さし実験があまりしっくりこない時に

「頭がないとはどういうことなのか?」と考えたときに、

headless(頭がない)=没頭している状態なんだ

と思い立ち、単に目の前に没頭してればいいんだと思ったんです。(言葉遊びみたいですが…)
そしてその没頭した状態こそ自分の最前線に立っているということなんだろうと思います。

 

≫実際に六根のどれかひとつに成りきってみるとそのことが体感されることがあります。

はい。僕も没頭状態に入るときは、聴覚だけを研ぎ澄ますようにしています。

長くなるのであとに続けます。

 

331:wild:2016/06/20(月) 23:41:47 ID:DPK9R0.60

≫329
真昼さん!!

私は明日早朝からお仕事ですのでもう寝なければいけません!
しばらく書き込みできませんが、真昼さんの投下楽しみにしてます!(^^)

332:真昼:2016/06/20(月) 23:43:36 ID:7/98xa.U0

≫319
現象さんレスありがとうございます。僕も何気に真昼というコテが気に入っています。

 

≫随分と動的なイメージなんですね。
≫今ここで経験している現実・体験は、「1枚の絵」という全体的なものなのですね?

この1枚の絵の部分に焦点を当てるのではなく、この全体が私、ということでしょうか?

そうなんです。僕のイメージではかなりスピード感があります。
なにしろ掴んだら終わってるんです。「全体が私」というよりは全体に溶け込んでいる、私という感覚すら極めて希薄な印象です。

また、本の紹介ありがとうございます。是非読ませていただきます。僕の頭でいけるか心配ですが…w

333:真昼:2016/06/21(火) 00:30:44 ID:En8J2OqY0

≫331
おやすみなさい。真昼に書き込めばいいものを、こんな真夜中にすみませんw
ちょっと長文下書きしてたのですがまとまりがなくなってしまって、頭がぼんやりして来ましたので、僕も改めてまた書き込みしますm(_ _)m

 

タイトルとURLをコピーしました