496:真昼:2016/09/14(水) 13:21:26 ID:NoXlOHyQ0
≫491
wildさん、レスありがとうございます。どうも僕は言葉に酔うという悪癖がありますので、その辺差し引いてお読みいただければとww
≫釈迦が言った縁起って、もしかして本当はこのことなんじゃないかな~程度ですw
流石ですね。もうちょっと付いていくのでやっとのレベルです。僕も理屈的には理解できるんですが、実感というか認識的には、行ったり来たりなんですよね。
お聞きしたいのは、空とは有と無の上位概念だ、と苫米地博士は言っていますが、同じような感じでしょうか?
ちなみに博士は般若心経を大胆にも添削して書き直しています。「色即是無 無即是色 空包摂色 空包摂無」が正しい空の理解だと説いています。
≫例えばカップを触る時、触るものの感覚はなく、そこにあるのは触られるもの=カップの固くツルツルした冷たい感覚だけです。
これはすべての感に言えることで、無があるからこそ感(有)があり、その逆もしかり。
はい。これは僕なりのメソッドを開発したので、感覚的につかめます。
名付けて「キャンディーメソッド」です。
方法は、まず初めて食べる味のキャンディーを使います。
そのキャンディーを包みから出し、じっと見つめます。その時に自分に問います。
「今この瞬間、味はどこにありますか?」ただ持ってるだけなので、現時点では「味」はどこにもありません。それを理解したら、舌の上にのせます。
そして問います。「今この瞬間、味はどこに生まれましたか?飴ですか?舌ですか?」
そして、飴を食べる前に無意識的にその味を予測(思考)していたりします。
そして、実際食べてみて、予想が当たったり(思い通り)、外れたり(思い通りではない)という経験が生まれます。
このメソッドを使うと、僕はふわふわとwildさんの仰る意味を掴めます。
それはそうと、音楽やってたんですか?なんか意外ですね。音楽はとても感覚的な分野で、無我を感じられますね。
僕はというと、JAZZが好きで(オッサン丸出しとは言わないでくださいw)、トランペットを買ったのですが、すぐに飽きてしまいましたwww
517:wild:2016/09/15(木) 02:51:15 ID:lEeKjRPY0
あれ、うまく返信できない!w
スレ消費すみません汗
≫496
真昼さん。
レスありがとうございます。
遅くなりましてすみませんm(__)m
≫ ちなみに博士は般若心経を大胆にも添削して書き直しています。「色即是無 無即是色 空包摂色 空包摂無」が正しい空の理解だと説いています。
苫米地さんの動画は私もけっこう前に見ました。
その時はまったくピン!とこなかったので忘れてましたが、この改訂般若心経にはガツン!ときました。
そうです。私が今しっくりくるのはこれです!
「色即是無 無即是色」で空。
これが私そのもの。
と感じております。
なぜそうなのか?と言われるとハーディングの太極図通りのI am all、l am notの世界を改めて「知った」としか言いようがないのですけれども…
頑張って書いてみるとこのような感じになります。
まず、真昼さんもおっしゃる「鏡」。
この鏡は「有」「感」であり「色」に当たります。
この鏡に、私を含めた世界に起こるすべての現象が映し出されています。
私自身に当てはめてみると、認識するものはすべて五感+思考で捉えますが、
現象が起こることと、認識することはイコールであると感じます。
リンゴは見たから現れたのであり、現れたから見たのであると。
これは私個人という自我がリンゴを見たわけではなく、リンゴがリンゴ自身を見たという言い回しになります。
この現象=認識のシステム?が鏡であると考えます。
こう言った意味で、この現象世界には「実際にそのものがある」とは言えないのかなと思います。
それを感じるのがキャンディメソッドですよね?
いつも面白いメソッドを考えるなー真昼さんはと思いましたw
まずキャンディの形が鏡に現れ、自分の手という形が鏡の外からニュッと現れ、キャンディの形に接触した時、圧迫感というものが鏡に現れます。
そしてキャンディを鏡の下方辺りに持ってくると、鏡の下方辺りに何かが開く感覚が映ります。
その辺りになるとキャンディの形は消え去ります。
指先の固い圧迫感とちょっとした重さだけです。
これを鏡の奥に押し込むと、鏡の下方に甘い感覚が映り、「甘~い!!」という思考が鏡に映ります。
キャンディを見ている者、キャンディの重さ固さ甘さを感じている者は私個人ではなく、鏡自身でした。
ということですよね?
長くなりましたw
そしてこの鏡も絶対的な存在ではなく、この鏡はどこに現れているのかと言うと、無に現れている。
私が無の側面を持っているからこそ、キャンディの甘さが現れることができる。
ですからキャンディを口に入れた時、舌にはキャンディの固さ温度、甘さだけがあり、舌そのものの味というものは無い。
この有と無の相互依存関係が、空であり私であると、私は考えました。
以外とこのスレを見ている方がいらっしゃるんだなと思いましてしつこい感じの説明になってますが、すみませんw
バンドに関しては何というか…黒歴史ですねw
楽しかったといえば楽しかったですけども。
演奏中は我も忘れて没頭し、ああ!生きてる!って思いましたけど、演奏終わるとメンバー同士のエゴのぶつかり合いですw
真昼さんはトランペットやられてたんですねー!
カッコいい!!
あ、だから坂田明という昭和の名前が出たわけですね?
ハナモゲラw
498:幸せな名無しさん:2016/09/14(水) 16:39:34 ID:0JNRuVYI0
はじめまして。おしゃべりしたいのでお邪魔します。
よろしくお願いします。
≫491
インド哲学は細かくて難しいですねえ・・・
「此(これ)が有れば彼(かれ)が有り、此(これ)が無ければ彼(かれ)が無い。」
だけなら単純なような気もしますが、十二縁起になるとさっぱり
縁起説では、すべての物事は原因と結果の関係だから、
時間の始まり、すべての始まりを問うことはできないらしいですね。
しかし、
「世界の存在理由は?」「宇宙の始まりは?」「ビッグバン説が正しいとしたらビッグバン以前は?」
というようなことも気になります。
「無記!」でもいいんですけどあえて質問してみます。
≫496
>色即是無 無即是色
これはちょっと意味不明じゃないですか?
色の原語はrupaで、意味は「形あるもの」のはずです。
この文だけを訳すると
「形あるものは無く、無が形あるものである」となってしまいます。
さて、私から提起したいお題はですね・・・
「願望は一体どこから生まれるのか?」です。
自己啓発とかの考えだと、願望(目標)を設定して達成のために頑張る!
という考えが真だと思いますが、
はたして我々は「願望が生ずるのをコントロールできているのでしょうか?」
実は全然できてなくてすべてはオートマチックなんじゃない?という思いに至りました。
水飲みたいとかコントロールできず勝手にわいてくるじゃないですか。
解決も勝手に行われるじゃないですか。
でも願望がでかくなるとさもエゴは「コントロールできますよ」というふりをして
支配権をかざしてきます。で、かなわねーかなわねーと苦しみますw
オートマチックなそれに任せておけば、願望その他はしかるべき時に生じ、
しかるべきときに解決するから、エゴが頑張る必要は全くないですね。
そしてエゴは、自分の体すらコントロールできてないじゃないですか。
自分の体とか言いながら内臓はオートに動いています。
ならば、
「自由意志はない」すべてはすき家の意志のままに。という考えが私はしっくりきます。
皆さんはいかがお考えでしょうか?
499:真昼:2016/09/14(水) 17:40:18 ID:NoXlOHyQ0
≫497
レスありがとうございます!僕の気付きが伝播したみたいで嬉しいです!おそらく、とてつもなくシンプルなのかもしれませんね。
僕も自分で書いてて、神社にある鏡の意味が少し分かりました。
≫498
レスありがとうございます。
とても論理的ですね。一応僕の書き込みに対する事を書き込んでみます。
≫「形あるものは無く、無が形あるものである」となってしまいます。
まず、これはあくまで苫米地説なので、スレ違いになってしまうことをご了承ください。
氏の説に準じて言えば「形あるものは無く、無が形あるものである」という理解であってます。
色不異無 無不異色 色即是無 無即是色 というのは「形あるもの(物質)と無いということは同じことである(どちらでもある)」ということです。
そして、その後です。「空包摂色 空包摂無」でその理由が述べられています。
空というのはあらゆるものを包含する最上位概念として位置づけられています。
これを分かりやすく例えるなら、チワワとセントバーナードの上位概念は「犬」ですね?
もし、私たちに犬という言葉しかなかったら、チワワとセントバーナードは存在しません。
それはチワワとセントバーナードではなく、犬と犬です。
つまり、チワワとセントバーナードは本質的に同じものです。
チワワ不異セントバーナード セントバーナード不異チワワということですw
そのように考えると、色即是空は成り立ちます。ですが空即是色は成り立ちません。
チワワは犬ですが、犬はチワワだけではないからです。
僕個人は博士のこの説明でグッと理解が深まりました。
「はじめから形あるものがあるのではなく、私たちが形あるものと認識したから形あるものはそこに存在する。(かといってはじめから何も無いのではなく、有か無かは私たちの認識によって決まるという意味です)」
自由意志と縁起などもお話ししたかったのですが、ちょっと時間があるときに書き込みしたいと思います。
wildさんの認識とは違うかもしれませんので悪しからず。
なんか今日は自分で書いてることに自分でピンと来ていますw
なんか理解が深まりました。498さん、ありがとうw
500:幸せな名無しさん:2016/09/14(水) 17:49:55 ID:T5Sj9LMs0
はじめまして
認識の変更が進んだ方がたくさんおられるようなのでこのスレが気になりましたw
最近瞑想や自己観察などをしていて無思考状態になれるようになって気づいたのですが体を動かそうという思考をしなくても勝手に体は動いているんですね
飯食ってる時に気づいたんですけど別に何を食おうとか選ぼうとかどう食おうとか考えなくても勝手に体は動いて食ってるなぁと気づいて逆に全く別のことを考えてても勝手に食ってるなぁと
思考は関係なく意図=実現だと言われていたことがわかったと感じています
エゴ認識でいると自由意志がないというのもこういうことなのかと感じました
願望=実現は決まっていて自動的に叶えられていると言われているのもこういうことかと
まだ後半の方は多分そうなんだろうなぁというところなのですがこのまま進んでいけば認識も変更されてきますかね?
501:498:2016/09/14(水) 19:37:26 ID:8IIP2vZU0
≫499
ありがとうございます。
では、僕の考えも…
無はそもそも実体ではなく想念の中にしか存在しないはずです。
すなわち、「受・想・行・識亦復如是」といったときのどれかに含まれており、ことさら分ける必要があるのでしょうか?
んでもって、あるとかないとかに焦点を当てると、受・想・行・識はどうやって説明をつけるんだろうという疑問も出てきますね。
「最上位概念」というところも疑問符がつきます。
ブッダが排した永遠の実体(ブラフマン)に関する論争に戻っていないでしょうか?
私の考えですが、空とは不変のものは何もないというこの世の性質を後世の人々が理論化したものであり、あくまで全てに共通する性質であって概念などではないと考えます。
全てに共通する性質ですのでチワワやセントバーナード、あると無いを個別に分けて空即是色があてはまらないとするのも、なんか見当違いな感じを受けます。
≫「はじめから形あるものがあるのではなく、私たちが形あるものと認識したから形あるものはそこに存在する。(かといってはじめから何も無いのではなく、有か無かは私たちの認識によって決まるという意味です)」
これは賛同します。名(ナーマ)と色(ルーパ)の関係ですね。
さらに言うならば、有る無しもそれに対する認識も、不変のものではないので、それにこだわる執着が苦しみの元ですよ、というのがブッダの説明ではないでしょうか。
502:M:2016/09/14(水) 19:49:13 ID:T5Sj9LMs0
≫500
自己レスですみません
ただ疑問に思うのは自由意志がなくすべてが決まっているとしたら潜在意識や引き寄せで言われている意図、パラレルワールドの選択、アファ、感情ナビ、クレンジングなどによって願望を叶えるということもありえないということになりますよね
もう決まっているのだから選択ということはないということになりますよね
エゴが意図したとか選択したとか言ってても本当は決まったことが起きていてエゴは自分で選んだと思い込んでいるだけということになるわけで
ただエゴとは別のところ別の領域や真我というレベルでは選択ができるのかそれともそれすらも決まっているのかと気になり出しました
とここまで書いて ≫499 でちょうど自由意志について書く予定があるとのことなのでお待ちしてますw
≫498
僕は仏教のことは難しくてわかりませんし仏教論や縁起論とは関係ない話で申し訳ないですが
ACIMとその関連書籍の神の使者によるとビッグバンとは神の子が罪悪感を抱いたことによりその罪悪感、恐れを自分の中から排除するために自己の外に罪悪感を投影したことであると説明されていますね
503:498:2016/09/14(水) 19:50:51 ID:8IIP2vZU0
苫米地説にツッコミまくって少しスレの主旨とはずれたかも~ご容赦ください。
≫500
私もちょうどそんな風に思ってます!
詭弁さんというコテハンの方が
「自由意志はないけど自由選択の意志はある」と言ってたのに賛同します。
504:M:2016/09/14(水) 20:38:39 ID:T5Sj9LMs0
≫503
レスありがとうございます!
やはりエゴ視点では自由意志はないがもっと上のレベルでの意思の選択はあるということなんですかね
願望はどこから湧いてくるのかというお話とも繋がりますが願望すらもただ湧いてきていて
そしてそれも勝手に叶うとなるともう意思の選択すらないんじゃないかなぁとかも感じてきますがどうなんでしょうね
桑田さんは願望も勝手に湧いてきてるんだからそれを願望などと呼んで自分から切り離すな的なことを言ってたような記憶がありますしそうなるとやっぱり何もかも決まってるのかなぁとこんがらがってきましたw
まぁ今の僕レベルの認識では考えても答えは出ないんでしょうがw