Wildさん-30/全てが幻想だと見抜いたら(空観)、自分が望む幻想を映し出しましょう(仮観)。

この記事は約11分で読めます。
スポンサーリンク

 

530:wild:2016/09/18(日) 00:55:52 ID:X1kLrtvo0

独り語りすみません。
神通力で思い出しました。

今日信号が赤になり立ち止まったのですが、風景の奥行が無くなりまるで一枚の写真のようになりました。
これはたまに起こるのですが、いつもと違うのは、目の前の風景が急に彩度が落ち、カラーともモノクロとも言えない色合いになり、かつ1~2秒程時間が止まったのです!
歩行者も自転車も止まってましたw

焦って「解除!解除!」と心で思うと同時に、普通の風景に戻りました…。
とうとう私はスタンド使いになったのでしょうか???笑

「時間よ~とまれ~♪」と矢沢の歌が頭をよぎる午後のワンシーンでした☆
おわりm(__)m

 

531:真昼:2016/09/18(日) 13:01:00 ID:6o5K4Ou20

≫512
498さん、レスありがとうございます。
色々勉強になります。十二縁起について今色々と調べたりしていますが、奥深いですね。良いきっかけを与えてくださり、ありがとうございます。

確かに「空」などという抽象的な言葉の定義はとても曖昧で、個人差などがあったりしますよね。
おそらく、498さんと僕の「理解」は共通の部分が多いように感じます。

≫「言葉と記憶と情動が織り成す幻想」という言い回しを読んでピンときました。
たぶん真昼さんはエゴの幻想的性質を強調してらっしゃったのかな、と。

そうです!幻想を見せているのもエゴですし、そのエゴ自体も幻想です。
ではなぜ、幻想が幻想に見えないのかと言うと、欲(苦、煩悩、執着)があるからではないでしょうか?

ふと、思ったのですが「空」を定義している時点で、それは「空」という何かになってますね。それは空ではなく色ですね。まさしく空即是色。全然成り立ちますねw

ともあれ、498さんは、深い見識をお持ちですね。
僕はこのアドヴァイタというのが、未だによく理解できていません。周回遅れを痛感しますw

532:真昼:2016/09/18(日) 13:06:52 ID:6o5K4Ou20

≫517
wildさん、レスありがとうございます。
こちらこそ、遅くなりました。やっと少し落ち着いて書き込みできます。

自分のヘンテコなメソッドを、詳細に解説していただいて、ありがとうございます。
wildさんの説明で、なるほど、このメソッドはそういう意味だったのか!って自分で作ったんちゃうんかい!w

ちなみになんですが、苫米地式中観論では、空観を理解したら次は仮観です。平たく言うならば、全てが幻想だと見抜いたら(空観)、自分が望む幻想を映し出しましょう(仮観)。この空観と仮観の両輪を回すのが、博士のいう中観です。完全に空観のみで生きるには山籠りでもするか、お釈迦様のように全てを捨てて社会という幻想から離れなくてはなりませんね。

ラジニーシも同様のことを言っています。
東洋は内面の豊かさを求めて来た。西洋は外面の豊かさを求めて来た。それでは不十分であると。そのどちらかではなく、内外両方が豊かであるようにありなさいと。

さて、wildさんが書いてくださったレスについてですが

≫リンゴは見たから現れたのであり、現れたから見たのであると。

これは私個人という自我がリンゴを見たわけではなく、リンゴがリンゴ自身を見たという言い回しになります。

これはあらゆる覚者が言っていることですね。僕はここまでの認識には至ってないですね。目が目を見ていて、目しかない。という表現にとどまります。

≫この現象=認識のシステム?が鏡であると考えます。
こう言った意味で、この現象世界には「実際にそのものがある」とは言えないのかなと思います。

なるほど。「そこにある」という認識のみ、ということですよね。「感」の移ろいですね。なかなか鏡としての自分で居続けるのは難しいです。
この辺は僕も感じるところがあります。また後程書き込みできればと考えています。

≫あ、だから坂田明という昭和の名前が出たわけですね?

いや、坂田明を出したのは現象さんですよww
現象さん、元気してますでしょうか。

533:真昼:2016/09/18(日) 13:08:26 ID:6o5K4Ou20

≫523
477さん、レスありがとうございます。
477さんも凄い方ですね!進化が速い。
認識の変更をすると、色々と数珠つなぎで一気に分かってくると言われますからね。

≫俺の潜在意識の活用の流れはどうやら元祖1式に近い形で進行したもようで、メソッドはほとんど活用していない。

引き寄せの解説ありがとうございます。
おっしゃることはよく理解できました。元祖一式は僕も時々読み返したりします。いかに「自分」でやらないか、流れを信じて任せられるか。
やはりここですよね。

言葉から自由になることは僕もそう思います。

≫引き寄せという言葉にこだわら無い方が悟りに近づけます。人人悉道器(にんにんことごとくどうきなり)です。最近は伝説の弓道家、阿波研造さんの逸話が参考になりました。

弓と禅」ですね?僕の愛読書です。カッコいいです。少し引用したいと思います。

「あなたは、真に自分自身から離れていないからこそ、そう感じるのです。それは、単純なことです。何が問題であるのかは、ありふれた笹から学ぶことが出来ます。雪の重みによって、押えられ、より深くなると、常に笹は身動きしないでも、雪は重みで突然、滑り落ちます。これと同じように、一杯に引き絞って満を持して待っていなさい、射が生じるまで。そうすれば、本当にそうできます。引き絞りが充実して〔機が熟せば〕、射は生じざるを得ません。雪が重みで笹から離れるように、それを考える前に、発は射手から生じざるを得ないのです」

これぞ達人!!

≫ー誰かの言葉より、自らを信じ続けることが強さであり、愛であり、すべてにつながる。
力はみんな内側からやってくる。その力はみなさまひとり一人が持っているものです。

力強いメッセージありがとうございます!

 

534:498:2016/09/18(日) 15:35:48 ID:NFdaQ6j.0

≫531
真昼さん、ありがとうございます。
幻想はリアルですね。ですから、コントロールしないで放っておくことですよね。できないし。
私にはまだ幻想がありありと見えるのでw

長々としたのを書き込もうと思いましたが、やっぱやめました。意味なく思えてきたのでw
私は真昼さんほど幻想を幻想と見抜けていないのかもしれません。
本当のところはわかりませんが、そうだとしてもそれはそれでいいかという感じですね。
昔ならむきになって論破しようとしたでしょうwww

>僕はこのアドヴァイタというのが、未だによく理解できていません。周回遅れを痛感しますw
知識があっても荷物が増えるだけですしねえ・・・。
おしゃべり自体は楽しいですが言葉にすると途端に無意味に思えてくるんですよねw

アドヴァイタっていうのはインドのシャンカラ(たしか8世紀くらい)がヴェーダ哲学をまとめ上げたもので、
現代においては20世紀のラマナ・マハルシが再興したとされているようです。
日本語訳すると「不ニ一元論」です。これだけで真昼さんならおおよそがわかるでしょうw
現代のアドヴァイタ論者は、ガンガジさんですね。
ttp://gangaji.jugem.jp/
素晴らしいと思います。

≫523≫533
弓と禅いいですよね。内容もさることながら超かっこいいw
人人悉道器(にんにんことごとくどうきなり)
この言葉は弓と禅になかったような気がしますが(忘れてるだけの可能性大)素晴らしい言葉ですね。

 

535:M:2016/09/18(日) 16:49:37 ID:FE8cJ/n20

体験なしの知識だけであれですがアドヴァイタは不二一元論であり非二元論とはまた違いがあるようですね
一般的な非二元論は主客のないすべては自分の意識であると捉え
不二一元論は純粋非二元論とも言うことが出来てその意識も一なる神ブラフマンとひとつであるということらしいですね
非二元論はすべては夢であるという考え
不二一元論はすべてが夢なら現実とは何かそれは神であるという考えと言えると(またしてもACIMの受け売りですが)

悟りにも小悟と大悟というのがあるとされていますがこの差なんだと思いますね
一般的なスピリチュアルの次元では前者止まり本格的な悟りでは後者までいくという感じでしょうね

 

536:真昼:2016/09/18(日) 19:18:13 ID:lnT7DGWI0

≫534
498さん、レスありがとうございます。
僕が幻想と表現しているのは、リアルというものはなく、リアリティーしかありませんという意味で書いています。
客観的な事実ではなく、主観的な現実感の中に存在している。そして、その存在すら存在感しかない。「感」しかないと理解しています。

また、アドヴァイタのリンクありがとうございます。
ガンガジさんの、思考を止める方法は大いに役立ちますね。
議論は議論で楽しかったりするのですが(なかなかこういった話ってする相手が僕の周りにいないので)、やはり僕の場合は主体的な体感の話になってしまうんですよね。

人人悉道器は「弓と禅」にはなかったですね。
ああいう道の達人の話には禅が関わっていますから、絡めて読んでも面白いですし、新しい発見があったりします。
弓と禅のなかでも、「それ」という表現で語られていますが、「それとは何ですか?」と問われると、「そんなことを考えているなら、とにかく稽古をしなさい」とたしなめられるシーンがあります。
そこに禅の心髄が垣間見えます。
この凛としたカッコよさw

537:498:2016/09/18(日) 19:55:52 ID:tuTlEbj20

≫536

なるほど、よくわかりました。
納得できました。
主客の別はありませんものね。

ガンガジ対話のブログに出てくる彼女の時折見せるユーモアが大好きなんです。

≫535
夢とか神とかいうとものすごい仰々しく聞こえますねwww

 

539:wild:2016/09/24(土) 18:07:02 ID:ffuGQVzk0

≫532
真昼さん。

≫ 全てが幻想だと見抜いたら(空観)、自分が望む幻想を映し出しましょう(仮観)。この空観と仮観の両輪を回すのが、博士のいう中観です。完全に空観のみで生きるには山籠りでもするか、お釈迦様のように全てを捨てて社会という幻想から離れなくてはなりませんね。

へえー!仮観ですか。
ことばは知ってましたがそういう意味なんですね。
ちょっと今の自分に当てはまる内容ですねー。

空観を完璧に理解した訳ではないですが、この世は夢と同じであることが完全に腑に落ちた今、このまま流れるまま流れて行くのも悪くないのですが、夢なら夢を楽しもうかなという心境になっています。

明晰夢ですからね、どうにでもなるなとw
仮に死んでもやりたいことがあるならまた意識は復活するのですよw
それはまるでドラクエみたいに教会で復活するようなもんだと思ってます。

しかし両輪を回す難しさというか、エゴの引力というものは強力で、バランスよく両輪を回すってなかなか難しいなと感じているところですね。

≫ いや、坂田明を出したのは現象さんですよww現象さん、元気してますでしょうか。

あ!そうでした!
失礼しましたwww

540:wild:2016/09/24(土) 18:08:50 ID:ffuGQVzk0

≫534
498さん

時間が止まったのはあれきりですね。意識すればまたできるのかな?
不思議体験は魔境、結局は夢の中ですからね、あまり囚われないようにしようと思いますw

ところで非二元にお詳しいんですねー。
私も以前ラマナ・マハルシ、ガンガジ、アジャシャンティエックハルト・トールなどなど読みましたが、さっぱりでしたw
あ、トールはけっこうわかりやすかったですね。

そんな中で一番キタ!のがダグラスハーディングだったんです。
覚者の言っていたことはこれだったのか!と衝撃を受けたものです。
その後にグレッググッドのダイレクトパスを知り理解が深まりました。

ダイレクトパスはアドヴァイダ系のシュリ・アートマナンダ・クリシュナ・メノンという覚者が提唱した、頓悟の方法と言えるかもしれませんね。
もしかしたらすでに知ってらっしゃるかもしれませんね。
興味ありましたらぜひ(^^)

541:wild:2016/09/24(土) 18:10:42 ID:ffuGQVzk0

≫535
Mさん

≫ 一般的な非二元論は主客のないすべては自分の意識であると捉え不二一元論は純粋非二元論とも言うことが出来てその意識も一なる神ブラフマンとひとつであるということらしいですね

へー!これも知りませんでした。
どちらも意味だとおもてましたよw
皆さんほんと詳しいな!

≫ 非二元論はすべては夢であるという考え
不二一元論はすべてが夢なら現実とは何かそれは神であるという考えと言えると(またしてもACIMの受け売りですが)

私はどちらかというと前者の考えなんですけどね、その夢が起こっている場所が表裏一体としてあるなと感じているのです。
熟睡と起きてる時+夢見中。
意識ない時とある時。
これふたつ合わせて私の世界ですもんね。
これで後者なんでしょうか?
あれ?ちょっと違うかな?w

542:wild:2016/09/24(土) 18:12:54 ID:ffuGQVzk0

≫538
現象さん。
ご無沙汰しておりました!
生きててよかた!w

≫すべては自分ということがわかりかけた

素晴らしいじゃないですか!
なかなか難しいなと思うことも完璧に起きている。
私の思考も感情も、責任感も、奥さんのイライラも?w、すべてパーフェクトに起きていることであり、私個人の自由意思は介在する余地なんてないんですね。
こんな感じで丸投げすれば、やるべきことはちゃんとやりつつ、よりわかってくるかと思いますね。

ところで現象さん、私のイメージ像ですが、その通りでビビりました!(なんて自分で言うなw)
千里眼ですか?w
素敵なイメージ像ありがとうございます。

タイトルとURLをコピーしました