628さん01/既に在るお金に意識を向けたときには渇望はおこりません

この記事は約5分で読めます。
PR

既に在るお金に意識を向けたときには渇望はおこりません

628 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/02/19(日) 22:45:46 ID:sB4ZHTV20

はじめまして。ちょっと変な感覚になってしまって、このままでいいのだろうかと。

願望というのはそもそも、
“求めているものを得る”ことではなくて“得ている状態になっている”ことじゃないのかと思いついたとき、
もうすでに持っているが願望?なんで求める必要があんのか?もうすでにあるのに?
“既にある”ことが願望なら、願望抱く必要なにもないやんけ。

すいませんうまく説明できません。
ただ、そう思いついてから今までの渇望が消し飛んだというか。

これが噂の7章なんですか?
さっきも求めているものとは真逆の現実見ましたが、今まではそれ見て焦っていたはずなのに、今は
なんでずっとこんな求めていないものを変えようとばかりしてたんだ、これはもともと求めてないんだから
自由にさせといていいやんかとしか思えなくなりました。

うまく言えなくてすいません、ちょっと脳が混乱している感じで、
もしやただの現実逃避なのか蓋なのか、判断ができません。


631 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/02/20(月) 02:29:14 ID:Jl3pFrE.0

>>628
すみません、質問ですが、
自由にさせといて良かったのにと思う求めていないものって何ですか?
自由にさせるって「あるがまま受け入れる」とかそういう感覚ですか?


632 名前:628 投稿日:2012/02/20(月) 04:10:18 ID:sB4ZHTV20

>>631
あ、まさにそんな感じです、あるがまま受け入れることが出来るようになった…。

今まで、求めていない現実→求める現実(にしないとならん)、
の矢印がどうしてもくっついて消えなかったのが、
まさにパンツのゴム切れるかのごとくスパーンと関係性無くなったです。

なので求めていないもののほうはあってもなくても別にどうでもいい、
日常生活におけるセロハンテープくらいどうでもよくなったとでもいいましょうか…
どうなったってそのままでいいよ関係ないからみたいな。

なんでパンツのゴム切れたのかは…ちょっとわかりませんが…うーん。


639 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/02/20(月) 23:06:17 ID:Jl3pFrE.0

>>632
ありがとうございます。
なぜ願望=既に持ってると思えたんですか?
たとえば現象化が進んだとか、そういう事でしょうか?

あと、他の皆さんにも聞きたいのですが、
ここ数日、耳に入る音を全部聞いたら思考止まる=別の領域なのかなと思ったのですが、どうでしょう?
今、パソコンのジーって音、テレビの音、エアコンの風の音、全部聞いたら思考沸かないです。。


642 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/02/21(火) 12:01:18 ID:lxLg9SUwO

>>639
最終的に現実(願望)と感情は分離するようなので、
階段を一歩登ったと言う感じでは?
私も一瞬そうなっただけで詳しくは分からないけど…

後者の疑問はあなたの考える通りです。
その状態の時不安はありましたか?時間は存在しました?

その状態こそが本来の自由です。
自由は本当はすぐ傍にあるんですよ、あっけないほどに
ただエゴが「自由とは云々」と囁くのでエゴの定義から離れているそれを自由と信じきれないのです。
その状態を少しでも感じることを日常化させると良いです。


649 名前:628 投稿日:2012/02/21(火) 19:28:22 ID:sB4ZHTV20

>>639
こちらこそありがとうございます。
今までよくわからなかった“既に在る”が何故理解できるようになったのかは、
すいません、わかりません。

ただ、まさに>>642さんがおっしゃられているように、
何度もこういった気付きの段階がありました。
まさにその階段の一歩という感じです。

現象化に関しては、常に全てが現象化している、としか言えません…。
既に在るの感覚を説明しますと、
お金を例にします。

お金が欲しいと思います。
普通、まだ手に入っていないから、お金が欲しいと思います。

ですが、本当に欲しいのは、
友人の財布に入ってるお金とか宝くじ当たった人が持っている大金とかの
“手に入っていないお金”ではないはずです。

自分の財布とか自分の口座にどっさんたぷたぷとある、
“手に入っているお金”が欲しいはずです。

手に入っているものが欲しい…これはちょっとおかしいです、
手に入っているならもう欲しいと思わないはずだからです。
既に在るお金が欲しいをイメージすると、欲しいの部分が消えるはずです。

既に在るお金に意識を向けたときには渇望はおこりません、せいぜい
「ああ…これでどれだけのセロハンテープが買えるだろう(うっとり)」とか、
ありがたやぁ~とか安心感とかお金のことすら忘れてるとか、そんな感じだと思います。

まだ手に入れていないお金が欲しいと思うとき、ネガティブさがわいてきて当然です、
何故なら望んでいないものを望んでいることになっているからです。
“手に入れていないお金”の状態を望んでいるからです。願望と意識との矢印逆向き状態です。

手に入れていないお金は、例えば友人に財布の中身を見せろと懇願すれば、
友人の不振な視線と共に得ることが出来ると思います。

こんな感じで、もともと、
欲しいと思ったものにはすべからく最初から“既に在る”という性質があるではないか。
ということを思った次第です。

ためしに既に持っているセロハンテープを意識してみてください。
何故そのセロテープはもう持っていると言えるのか。
家にあるからとかどこぞで自分が買ったからなどは全て無視すると、
そこにはただセロハンテープがあるだけです…。

モノ自体には持っているとか持っていないとかの性質はもともとついていません、
意識が勝手に持っているか持っていないかの性質を選んでつけているだけです…
そして選んだとおりにモノがふるまってくれているだけです。

望んでないものを選んでいるときはネガティブな気分に、
望んでいるものを選んでいるときはポジティブな気分になるのでしょう。

いかに今まで、望んでいないものを望んでいると勘違いしていたか、わかるようになりました。

この脳の語彙力では多分今はこれが限界です。
まるで言葉遊びみたいですね。なんじゃこりゃ。

タイトルとURLをコピーしました