108さん122/事件の被害者は引き寄せの法則的には被害にあうことを望んだのだということなのか

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事件の被害者は引き寄せの法則的には被害にあうことを望んだのだということなのか

 

970 :本当にあった怖い名無し:2008/07/29(火) 06:51:49 ID:W+CKLEM/0

108さんへの二つの目の質問です。
メディア等が報道する残酷で悲惨な現実については、
引き寄せの法則を学んだ者は、どう対処すべきでしょうか。

社会面では、派遣や無職による無差別殺人事件等凶悪犯罪が相次いでいます。
硫化水素自殺も相次いでいます。自殺者もこの国は年間3万人超えると報道されています。

政治行政面でも、官僚・公務員の不正が次から次へと発覚し、政治行政の腐敗が暴露されています。
経済面でも、昨年のサブプライム問題に端を発した、世界的な経済危機は、まだ終わっていません。
金融不安、不動産不況、スタグフレーション、そして原油価格の高騰(→物価高→生活苦)。
こういったネガティヴな事象は、引き寄せの法則的には、見てみぬふりをすべきなのでしょうか。

しかし、経営者・事業家・投資家はもちろん、一般のビジネスマンだって、
時事問題に対して、関心もち、分析・総合し、自分なりの見解を形成するのが普通でしょう。
時事問題に対してまったく無知では、社会人失格でしょう。

昨年の7月の段階で、ネガティヴな経済予測(これからますます世界経済は悪化し、
株は暴落する云々と予測)をしていたエコノミスト・アナリストは結果的に
正しかったと思いますし、そのエコノミスト・アナリストは、優秀だと思います。
ネガティヴな経済予測していた投資家も「勝ち組」でしょう。

暗くてネガティブな現実から目をそむけ、そういった現実を否定するのではなく、
現実と直面して、分析総合して、時には現実に対する批判的な見解やネガティヴな予測を
明らかにすることも必要ではないでしょうか。

「引き寄せの法則」の見地からは、暗い現実は否定すべきものなのでしょうか。

追伸
無差別殺人事件に被害者について。
引き寄せの法則的には、
「被害者たちは、被害にあうことを望んだのだ」
「被害者たちは、自らそういった現実を選んだのだ」
と、解すべきなのでしょうか。

983 :108 ◆90KoxUVipw :2008/08/07(木) 04:28:48 ID:KOkXN3PC0

二つめの質問に関しては、
引き寄せ(エイブラハム)の観点からすれば、「見て見ぬふりをする」のではなく、
逆の(望む)方向に焦点を合わせ続けることです。

悲観的現実を否定するのが「引き寄せの方法論」ではありません。

否定は肯定と同じです。
どちらにしても、その悲観的現実に焦点を合わせていることに変わりないからです。
悲観ではなく、希望に焦点を合わせるのです。

ニュースや報道は、悲惨な面を強調する傾向があります。
常にその情報にさらされていると、「世間に関する否定的な見解」を無意識に蓄積
してしまうため、その人にとって、世間は「悲惨である」という属性になってしまいます。

ということは、世間と関わっているとき、その人の現実では
世間はその属性を帯びたものとして現れてくる、ということです。
だから「否定的情報を遮断する」ということに意味はあります。

しかしあなたの仰るように、一般的社会人の立場からすれば、
時事問題や社会情勢について、一定の知識や常識的見解を持たないと
ちょっとやりにくいと感じる場合は、往々ににしてあるでしょう。

人里離れた場所に隠居でもしない限り、否定的情報を完全に遮断するのは
実際問題としてかなり困難です。

それなら、世間の楽観的な部分に、より焦点を合わせ続けることです。
悲観的な部分は、世間の「ごく一部」であるかのような配分で
情報を取り入れたり、別の面に焦点を合わせるようにすればいいわけです。

984 :108 ◆90KoxUVipw :2008/08/07(木) 04:31:17 ID:KOkXN3PC0

「被害者が事件を引き寄せたのかどうか」

これは、かつてこのスレで何度も議論になりました。
エイブラハム的にいえば「被害者が引き寄せた」ということになりそうですが、
私は少し違った見解を持っています。



「被害者は、事件も被害も引き寄せてはいない」
「実際には、事件も被害も起こっていない」
「つまり、被害者など実際にはいない」

ということです。
現実世界での現象を揺るぎないものと考えている以上、この見解は到底あり得ない考え方でしょう。

現実と見えるものは投影です。幻想です。
それについて、さも辻褄が合うように合理性を求める必要はないのです。
思い切って「これは投影に過ぎないのだ」という見解を持てば、
それについて思索にふける必要がないということが分かってきます。

投影について、何がどう作用してこれを見せているのか、
投射されている映像内で解釈しようとしても無理なのです。

投影を分析しても、その構造は理解できません。
しかし投影は、何がそれを見せているのかという手がかりにはなります。

つまり、この命題は「被害者が事件や被害を自ら引き寄せたのか?」ではなく、
「私のどの部分が、被害者や加害者と見える投影を映し出したのだろう?」です。

つまり、あなた自身の個人的・内部的な問題なのです。
現象面から客観的な解釈を導き出して、敢えて一般化しようとする必要はありません。
そんな取り組みは、時間を無駄に浪費するだけです。

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