自分の中で印象や感情が変われば、その過去の事実も変更されている。過去というのは、そのくらい「どうでもいいこと」
240 :本当にあった怖い名無し:2008/04/27(日) 10:15:04 ID:z9FYbS3h0
お酒を飲むと、絶対しらふではしないことをしてしまう。
これは、むちゃくちゃに見えますが、理性(エゴ)が外れた理想な状態なんでしょうか、、、、、、、orz
108様。
298 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/10(土) 19:59:54 ID:JM0xkhuM0
豚斬り失礼。お久しぶりです。
皆さん、GWはいかがお過ごしでしたか?
ボチボチと、ご指名の質問へのレスから再開します。
>>240 前々スレ(20スレ)
>お酒を飲むと、絶対しらふではしないことをしてしまう。
>これは、むちゃくちゃに見えますが、理性(エゴ)が外れた理想な状態なんでしょうか
理性の働きは相当外れた状態ですが、エゴから自由になっているわけではありませんw
むしろ、肉体的感覚に極めて依存している状態です。
ただ、ふだんの制限が外れている状態なので、開放感があって楽しく、自由な感じを味わえるのです。
ムチャクチャということは、自由だということです
ただし、自由はムチャクチャと同じではありません
制限が外れたとき、あなたの精神部分はどの状態にも位置することが出来ます。
それが別の領域に解放されれば、最も自由で適切なポジションを取れます。
エゴの範囲内で解放が起きれば、それは混乱して無茶苦茶なポジションになります。
あらゆる方向に飛んでいき、ぶつかってはまた別の方向に飛ばされ、乱暴で無軌道な動きをし続けます。
しかしそれは、通常の制限された状態からすれば自由な状態なので、
ムチャクチャであったとしても、開放感を感じているわけです。
逆に言うと我々はふだんから、それほどまでに自分を制限しているということです。
そこに気づくことが出来ると考えれば、お酒でのムチャクチャも意義があるわけです。
ただ、飲み過ぎには注意しましょうねw
174 :五:2008/05/02(金) 19:33:41 ID:pB2Qs7Xa0
流れ豚義理ですみません。
1つスレまたいで「過去が変わる」ということで、108氏に質問です。
(もちろん掲示板のことですので、関心のある人へ、でもあります。)
前レスではわけのわからないことを書いてしまったんだけど・・。
改めて、書き直しますと、こんな風になりますが、どうでしょうか?
(例えば子供のときの友人との関係を例にしていいますと。)
昨日ケンカして別れた後、今日とても面白いゲームが手に入って、うれしくなって
昨日のケンカ忘れて「そうだ、その友人とやろう」と思いついて「いやぁ、これ面白いんだよね!!、
やろうぜ!!」といって、友人に会う。友人は、苦々しい顔をしている。昨日のことが頭に残っている。
一方自分には昨日のことが思い出(事実)としてあるけど、それにはもう何の感情も湧かず、
もっと面白いこと(ゲーム)に感情の中心がある。こんな時って、友人も自分の気持ちに影響されていく。
友人の中の過去(事実や感情)が薄れていき、変わっていく。
こんなように、過去とは関係のない新しい「感情」が出来て、それが確固なものになると、
その「感情」に影響されて、過去の印象が変わる。こういうしくみで、自分が「今」を感じたり、
エゴ以外の領域からの感情に浸ったりして、満足した気持ちでいることで、自分と周りの人と
関係してきた過去への印象が変わるのではないかと。
最近の自分と周りの人たちとの関係性も、昔の汚点に影響されなくなってきたので、
そういうことからの感想でもあるわけですが、どうでしょうか?
181 :本当にあった怖い名無し:2008/05/02(金) 20:08:27 ID:Nz9gNivHO
>>174
それは過去の記憶に対する解釈が変わっただけで過去に起きたことは変わってないのでは?
関係者全員の解釈や記憶が変わるなら同じようなものではあるけどね。
108が言っているのはそれも含むだろうが、そんなレベルの事ではないと思うよ。
過去ごと創造するんだよ。というか、そういう事は既に起きているかも知れないと考える。
たとえば昨日友達と喧嘩した、という過去はたった今作ったばかりの過去かも知れないということだ。
もちろん自分の記憶ごと全部作られるから自分では確認出来ない。
299 :108 ◆90KoxUVipw :2008/05/10(土) 20:01:46 ID:JM0xkhuM0
>>174:五さん(前スレ)
> 昨日友人とケンカをしても、自分が別の楽しい感情に満たされて彼と接すれば、
> 友人もそれに良い影響を受けて、感情や過去の出来事への印象に変化が起きる
> それが「過去を変える」ということなのか?(質問の要約)
私が言っていた「過去が変わる」というのは、そのあとの>>181さんの指摘したような事ですが、
五さんの仰ることも実は同じことです。
「実際に(現在の認識とは異なる)過去の現実を創造する」
ということと、
「単に、現時点で過去の出来事への感情の持ち方が変わる」
ということは、ほとんど同じ事です。違いはありません。
何故なら、我々は「過去を経験すること」が不可能だからです。
我々が経験できるのは、いつでも「今、この瞬間」だけです。
その意味で、過去への印象や感情が変わることと、実際の現象としての過去の事実が変わることは、
全く同質なことです。どっちだって良いのです。だって、過去なんですから。
大胆に、
「自分の中で印象や感情が変わることは、
その過去の事実も変更されている」
と考えてください。ずいぶんと気分が楽になるはずです。
過去というのは、そのくらい「どうでもいいこと」なんですよ。
これは未来に関しても同様です。