335 :幸せな名無しさん:2013/11/16(土) 05:49:56 ID:u0VdBd6I0
自己観察さんだ!過去スレ参考にさせてもらっています。
ありがとうございます。
空間・無の状態に入れるようになったのですが(不安などを全く感じなくなった)
ちょうど意図した期日の日に(ちょうど昨日でした)現実的にはまったく正反対な方向になって
自己観察しながらも必死にとれる手は探しまくってとっておくべきだったのかな、
みたいな後悔をちょうどしていたところです。
焦りを観察して、不安を形にしているとみちゃって
とるべき行動をストップしちゃったかもしれないと思ってるんですよ。心が。
別の領域の心地よさはずいぶんひたれるようになったのですが、
現実が思っていない悪い方向の事態になった(これもまあ、心の決めつけなのですが)
というのはどういうことかなーと、湧き出る気持ちを観察しているところです。
上記のことも、全部思考だってのもなんとなくわかるので
今回はこの現実を受け止めて、いい方向にむけて行きたい。
またいつこられるかはわかりませんが
自己観察さん&自己観察をわかっていらっしゃる皆様
気軽にアドバイスいただけると嬉しいです。
336 :幸せな名無しさん:2013/11/16(土) 06:23:13 ID:2mvspJq.0
後もう一つ
別の領域(多分)の安らぎや暖かさとか、思考の隙間にある無限の空間みたいなものに浸っていると
「なんだかわからないけどうまくいくよーOKだよー」(言葉にはならない)みたいな
わけわからん安心感があって、このまま大丈夫、上手く行っていると感じていたので
昨日はスパっとハシゴを降ろされた気分でした。
妙な表現ですが、
宇宙と一体になってるような、
自分でない大きなものとアクセスできてるような感覚があっても
意図したことが叶わないこともあるんだなーと。
340 :幸せな名無しさん:2013/11/16(土) 10:35:19 ID:gR19gG0U0
≫335
そうですねー。
≫焦りを観察して、不安を形にしているとみちゃって
≫とるべき行動をストップしちゃったかもしれないと思ってるんですよ。心が。
このへんに少し「行為」に囚われてる部分があるんでしょうね。
無の状態でいると自然に行動が起こるというか、「これをしたほうがいい」とか「この行動は不足なんじゃ」
とかそういう思考判断の前に、気がついたらしてしまってた、みたいな感じなんですよね。
例えば、いつの間にかトイレ行ってた、ぐらいの感じで。
上の「対処する」もそうなんですけど、マインドは行為を通して到達しようとします。
この場合、行動をストップすることで、無の状態をキープしようとしたのかもしれません。
(あくまでレス範囲で思ったことなので、後からではいくらでも理由はみつかりますよね。)
≫現実が思っていない悪い方向の事態になった(これもまあ、心の決めつけなのですが)
これも期待があると、それがダメだったときに「悪い方向になった」となってしまいますよね。
でも大きな視点で見ると案外そうでなかったこともよくあることです。
マインドにはそうは見えないですけどね。
≫上記のことも、全部思考だってのもなんとなくわかるので
≫今回はこの現実を受け止めて、いい方向にむけて行きたい。
私も以前、うまくやれてたのに何で??とすごく落胆したことがあったんですけど、
今思うとそれも楽しめばよかったなーと思うし、大きな転機になったと思います。
≫336
≫宇宙と一体になってるような、
≫自分でない大きなものとアクセスできてるような感覚があっても
≫意図したことが叶わないこともあるんだなーと。
なんだかすごくガッカリ感が伝わってきて切ない…w
いい感じが掴めてたときは尚更そうなりますよね。
この「掴めてきたかも」とか「だからうまくいくかも」がわりと最後のほうに出てくるんじゃないでしょうか。
どこかでコントロールできる「私」が主体になろうとしてるんですよね。
それは掴めません。ある意味心許ないです。
でも掴む必要がないです。
それは自分自身だし、自分であるものしか存在してないので。
かなりいろいろ出てきてると思いますが、気づけば落ちます。
抑え込まないで出し切ってください。
ではでは。みなさんありがとう。
342 :幸せな名無しさん:2013/11/16(土) 12:15:26 ID:0r8j2LR.0
≫339
観察してる自分がいるし、観察は行為じゃねーの?
「気づいてる意識」てのがさっぱりわからん。何でそもそもそれが「気づいてる意識」ってわかるの?
判断してるべよ。
五感で気づく以外に何で気づくんだよ?
マジ言ってる事がよくわからない
347 :幸せな名無しさん:2013/11/16(土) 14:29:27 ID:gR19gG0U0
≫観察してる自分がいるし、観察は行為じゃねーの?
自分が観察してる、というのは行為です。で、あるとき
「自分が観察してる」というのは錯覚で「観察してる人がいなかった」ことに気づくので、
実際は行為ではなく、気づきしかなかったってことです。
なので「気づいている」という表現に
「行為者がいて気づいてると錯覚してる状態」と「気づきだけがある」状態があります。
本当はどちらも同じですが。前者は幻を見てるのでどうしても複雑になりがち、
後者は真実なのでシンプルです。
以前は、「観察するという行為を通して意識に気づく」過程を行為であると
位置づけてたので、前者の視点で書いてたことが多かったように思います。
ですが実際には「気づいてる意識だけがある」わけで、自己観察が行為だと錯覚したままだと、
逆に「気づきだけがあること」を認識しにくいこともあるかと思いました。
あと「気づいたけどどう対処したら~」というのも、行為としてみるとどうしてもそうなるのかなと。
行為ではないから対処はできないんですよ、ということです。
≫「気づいてる意識」てのがさっぱりわからん。何でそもそもそれが「気づいてる意識」ってわかるの?
≫判断してるべよ。
判断ではないです。思考ではないところで認識が起こります。
それが分からないときはどんな表現でも分からないと思います。
それはそれが分かったときに分かるという感じです。
ですが、それが分かっても分からなくても「気づいてる意識」はずっと変わらずに気づいてるので、
それが行為なのかそうではないのかを判断する必要はないですし、
判断したと思ったとしたら判断できてません。
これは「気づき」と「判断、思考」の明確な違いが分かる人にはわかると思います。
≫五感で気づく以外に何で気づくんだよ?
五感は反応です。反応で気づくのでは「世界ありきの自分」になってしまいます。
自分の純粋な主観性、存在性に気づけば、そこがすべての実体、源であると分かるということです。
これも「気づき」と「思考(行為)」の違いが分かれば分かると思います。
≫マジ言ってる事がよくわからない
今に在るときに、本当の理解が起こります。それが気づきです。
それ以外に言葉で説明されてるものは、いくら真実のように見えても対極にある疑いは消せません。
頭で理解できるものではありません。それがマインドというものです。
すごくわかりにくいことを書いてしまいましたが、要約すると
「気づき」と「思考」の明確な違いを自覚できるといいですよ、ということです。
350 :幸せな名無しさん:2013/11/16(土) 14:43:54 ID:gR19gG0U0
追記。
思考で導き出した答え、判断には、裏に疑いあってそれは否定しても消せません。
むしろ否定することで、さらに疑いを強めることになる場合が多いです。
気づきは疑いようがありません。「それ」しかない、という感覚です。
思考は気づきを装って、巧妙に疑いを隠すかもしれません。
そこはやはり慣れ、繰り返しになってしまうのかなーと。
やっぱりたいしたこと書けませんねw
353 :幸せな名無しさん:2013/11/16(土) 22:27:12 ID:.LHgHyAQ0
≫347
ごめん。いい事言ってるのはわかるけど、それが真実とはなんか思えない。
なんかうまく言いくるめられてる気がするし。悪気はないんだけど何なんだろこの気持ち。
まず観察を錯覚と感じれないし、
観察を錯覚だ。と感じれたとしても観察を錯覚たらしめた者がいるもの。
それを錯覚とレッテル付けした者がいるしね。
「きづいてる者」だっていると思うし。
354 :幸せな名無しさん:2013/11/16(土) 22:50:17 ID:.LHgHyAQ0
まーそもそも「気づき」と「思考」の違い分かんないんだよね。
これは思考でこれは気づき。ってやっぱレッテル付けになるだろ。て思ってしまうし。
ちなみに「気づき」て何に気づいてるってことなんですか?
≫ある時「自分が観察してる人がいなかった」ことに気づく
とありますがその「ある時」までは行為者としての行為なんですか?
まずそもそもスタートが「観察しよう」と決めたのも自分だし。
355 :幸せな名無しさん:2013/11/16(土) 23:21:40 ID:29zmr4Cg0
≫354
んー。じゃあ何もかもすべてからレッテルをとったら何が残りますか?