自己観察さん-98/自分のことを無知だと思っていたのも、「知らない→知る」を経験しているのも幻

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420 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/15(月) 23:23:22 b8eagZCoO

≫417
>その「私は在る」という存在感覚を深く感じ、実感を伴う理解として腑に落とし
>これが本当の自分だという根本的な気づきがいわゆる「悟り」です。
>(これも何段階も無限にあって、私自身その途中にすぎません)

まだ途中なのになんで行く先のことがわかるの?
行き着く先はないのに何の途中にあるの?
行く道もないのに何で無限の段階があるの?
いったい何の理解を深めるの?
これがなんで批判になるの?

 

423 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/16(火) 11:48:36 ID:psg5Ebes0

≫420
言葉を超えた領域について言葉で表現したらそうなったんで。
表現上の矛盾は読んでる人も承知してくれてるって前提で書いてるんで、
そうじゃなかった人には申し訳ない。

批判ではないということは、表現上の矛盾をつつく質問と
「分かってないのに分かってるように書いている」という指摘と、それ以外に何かありますか?

まず、表現上の矛盾をつつく質問については上記のとおり。
「分かってないのに分かってるように書いている」という指摘については、
あなたがそう捉える分には私に異論はありません。
私の発言をすべての方に納得してもらおうとかそんなつもりはないので。

他のご意見ご質問がありましたらどうぞ。

 

429 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/17(水) 02:11:05 b8eagZCoO

≫423
>言葉を超えた領域について言葉で表現したら

まだ途中だと自覚してる人がこんなことしてるのはなぜ?
まだ途中なのになんでこんなことができるの?

 

431 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/17(水) 03:55:13 5bMfszh.0

429って昔からいるコテアンチのストーカー気質の人だっけ?
自己観察さんも、スルーでいいとオモw

 

437 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/17(水) 16:34:07 ID:psg5Ebes0

≫429
書きたいと思ったから。自分の理解にもなるし、興味ある人が読めばいいと思ったから。
理解とは本来の自己を個人意識で体現して生きていくということに対する理解を進めていきたい、
つまりこの世界で本来の自分としてどういう生きていくか、ということを自分自身整理し、
体験しながら書いています。その上で自分が分かったことを書いてるだけだから。

あと「途中」というのは、思考で捉える「悟ってない状態→悟った状態」という直線的な意味での
途中ではなく、本来の自己の無限の側面を知っていく、あるいは無限に広がっていくという
進行形という意味での「途中」。

といっても本来時間軸は存在しないので、「途中」というのも表現上のこと。
別の領域の意識そのものであるとき、「悟ってない者」も「悟ってない状態→悟った状態」の
過程にある者もいない。

「自分とは無限、無尽蔵の存在であった」と知ることも悟りの一つの側面であるので、
悟りは尽きることがない、と知ることも悟りの一つの側面であるといえるかと。
「途中だから」分かってない、というのは直線的にしか見れないエゴの見方にすぎない。

≫431
ありがとー。ストーカーさん?の質問はエゴ視点だから見事にかみ合ってないですよねw
せっかくなんでついでに自分が書きたいこと書いとこうと思って。
むしろ書かせてもらってありがたかったりw

 

438 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/17(水) 18:26:14 b8eagZCoO

≫437
「知らない」から「知る」ことができるんだろ?。
「自分とは無限、無尽蔵の存在であった」ことを永遠に
「無知」なまま「知り」続けることが悟りだと?

 

>といっても本来時間軸は存在しないので、「途中」というのも表現上のこと。

 

てことは「無知」が悟りなのか?

 

>別の領域の意識そのものであるとき、
>「悟ってない者」も「悟ってない状態→悟った状態」の過程にある者もいない。

 

悟る者も悟った状態の者もいないよな。

 

452 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/18(木) 22:40:51 ID:psg5Ebes0

≫438
≫「知らない」から「知る」ことができるんだろ?。
≫「自分とは無限、無尽蔵の存在であった」ことを永遠に
≫「無知」なまま「知り」続けることが悟りだと?

「知らない→知る」というプロセスを経験してるのはエゴで、
本当の自己はすべてを知っていた、というよりすべてが自分だった。
自分のことを無知だと思っていたのも、「知らない→知る」を経験しているのも幻だった。
「知らない」も「知っていると思っていた」もすべて幻想だった。個人はいなかった。

体験的には一瞬ですべてがつながるという体験をし、直感的にそれを理解した。
個人としての認識、探求者としての認識が、全体性としての認識にシフトした。

それを内面で昇華統合しながら、この世界の時間軸に沿って生きる上で、
エゴが溶けて透明になっていくプロセスはあると思っている。
それを「知っていく」という表現をした。

「思い出す」「統合する」とかもっと正確な表現もあるかもしれないけど、
読んでる人の多くは実践する上で読んでるだろうし、その目線からの表現の方が
分かりやすいだろうというのもあるし、別の領域での根源的な理解を言語化することで
矛盾があることは仕方ないと思っているし、そこが気になる人には申し訳ないが、
私としては正確な表現よりもニュアンス的にある程度伝わればいいと思ってる。

読む人が実践なり気づきなりで体験していけば、ここに書いてあることは意味なくなるし、
実際に体験するための取っ掛かりとしてなら「知っていく」と表現することも
特に気にすることもないと思ってる。取っ掛かり以外の目的で読む人のことは考えていないので。

≫てことは「無知」が悟りなのか?

「無知」も「知っている」も幻想。

≫悟る者も悟った状態の者もいないよな。

別の領域の意識そのものであるとは全体そのものであるということなので、
「悟った」とか「悟ってない」とか概念が存在しないとも言えるし、
それを個人意識の側から悟った状態、と表現することもできる。

上に書いたとおり、私は表現については特に気にして書いていないので、
その表現上についての指摘ならきりがないと思う。

 

454 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/18(木) 23:09:28 b8eagZCoO

≫452
読む人実践する人を見ているのは誰だ。
体験したのは?認識したのは?思ってるのは?

 

456 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/19(金) 02:41:53 ID:psg5Ebes0

≫454
誰でもないよ。ただそういう思いが起きただけ。

まあでも「私」になってるところもあるけど。

457 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/19(金) 10:20:55 b8eagZCoO

≫456
実践なり気づきなりを体験する他人を見立てて
「別の領域の意識」目線でアドバイスしてる「思い」さん。

わざわざ言葉で「悟り」を表現≫128-129したのはエゴですよねえ。

 

461 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/19(金) 18:03:06 ID:psg5Ebes0

≫457
体験的な理解はあってもエゴが成熟していく過程で
書きたいという思いが起こったからそうなった、という感じかな。
それも全体の関係性の中で起きているともいえるし。

願望実現というテーマで書く(ということが起こっている)のも私のエゴ的に楽しんでるのもあるし、
ただ起こってることとして実在として楽しんでるともいえるね。

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