携帯氏-4/大事なポイント。 それは、少しばかりワガママになる事だ

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2611 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2009/06/03(水) 00:29:40 .vD5b/420

ちょっと思ったんですが、疑うことがエゴなら、疑わないこと、なんでも
信じることもまたエゴではないのか?と。(あっ、ちょっと思っただけですから)

2613 名前: 携帯 投稿日: 2009/06/03(水) 01:02:24 ID:8xMa9fPEO

>>2611
「信じる」も「疑う」もアプローチ、手法だよ。
どう使うかっていう「使い方」によって、得られる果実は変わる。
ナイフを使って人を刺すのか、果物の皮を剥くのか。
ナイフ自体に良し悪しが無いのと同じ。

2615 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2009/06/03(水) 01:10:25 .vD5b/420

>>2613
ではそのナイフに相当するものとは?

2617 名前: 携帯 投稿日: 2009/06/03(水) 01:36:12 ID:8xMa9fPEO

>>2615
流れ的に、「疑う」と「信じる」しか無さそうじゃない?w

噛み砕こうか。
コノテの話の中じゃ、信じるのが良くて、疑うのが悪い。
なんて風潮があったりするけども…さて、どうだろうね。

例えば、充足を見るってアプローチ。
「そうか、充足はあるんだな。よし見てみよう」
と決意して充足を見つめ始めるのが、「信じる」アプローチ。

「こんなに何も無いように見えるなんておかしい。この現実は果たして本当なのか…」
と疑う事でリアリティに裂け目を見つけてそこから充足に気付き始めるのが「疑う」アプローチ。

「前提と方向性」の中に手法が置かれるだけであって、手法自体を取り出して吟味しても無駄ってこと。
前提と方向性次第で「信じた私がバカ」で「疑う私は賢い」になるしその逆も、勿論あり得る。
でしょう?ってはなし。

2618 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2009/06/03(水) 01:54:52 .vD5b/420

>>2617
しつこく食い下がってすいません。
喩えと知りつつまたナイフで・・・。
その気はなくても、ナイフで人を傷つけてしまった。
果物の皮を剥こうとして、自分の指を切ってしまった。
思ったこと(意図したこと)が裏目に・・・てことありますよね。

ちなみに自分はなんでも疑ってかかる性質ではないつもりです。
なんでも鵜呑みにするほうでもないつもりです。
もしも、「信じる」「疑う」白か黒かというなら自分はグレーですね。

結果が得られれば、それが一番だと思っています。

2619 名前: 携帯 投稿日: 2009/06/03(水) 02:15:01 ID:8xMa9fPEO

>>2618
ナイフで例えたからひっかかるんでしょう?w
前提と目的によって道具は姿を変えるって事を言いたいだけだから
「ついつい失敗」って部分まで話を広げると訳がわからなくなるよ。

疑う事が有効な場合もあるし、信じる事が有効な場合もある。
それだけ知ってれば「闇雲に信じなきゃ」なんて思わなくて済むし
「信じれない自分」を責める必要もないし、「信じなきゃならない事」への不信感を抱く必要もない。
どうアプローチするかを選択すればいい。自分に合わせてね。

そう考えると、自由度が増す感じがしたり、少しは気も楽にならないかい?

2621 名前: 2618 投稿日: 2009/06/03(水) 02:21:21 .vD5b/420

しつこく食い下がって本当にごめんなさい。もう最後にします。

>疑う事が有効な場合もあるし、信じる事が有効な場合もある。

これって
疑う事が有効な場合もあるし、信じる事が有効でない場合もある。では?

2624 名前: 携帯 投稿日: 2009/06/03(水) 02:45:35 ID:8xMa9fPEO

うーん。噛み合わなさ感は私のせいだな。

>>2621
まどろっこしい表現だから勘違いさせたんだね。
「前提や文脈次第では、どちらも有効」と言えば良かったかしら。
同じ前提と同じ文脈なら、2つは相反するだろうからあなたの言う通りだ。
「前提も文脈も流動的だから、どちらが有効とは一概に言えない」
とかの方がわかりやすいかしら。ご指摘ありがとう。

2635 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2009/06/03(水) 18:40:32 i.tK61KI0

積極的にやれるようになりたいという思いと、怖いから何もやりたくないという思いがあります。
引き寄せを知ってから、いつも嫌な気分をする必要は無いなと思えるようになり、
無理矢理じゃなく、楽しんで積極的に行動したいと考えるようになりました。

「不安でもいいし、不安じゃなくてもいい、でももう不安は止めるって決めたんだ。」
その事を宣言すると胸の中で焦燥感みたいなのが出てきます。

その感覚を味わい尽くすや、セドナ、何故解決できたのだろう、問いかける、
などやってきましたが、今もまだ残っております。

また、引き寄せを知るまでは常にやりたくない、嫌な思いをするという思いでいたので、
楽しんで積極的に行動する、やりたくなるというのも全く意味が分からないです。

「楽しく行動できるようになるんだろうな」と思っても焦燥感が出てきます。
そこから「それでもいい、自分は楽しく行動できると決めたんだ」と宣言すると、
「違う!分からない!」といった感じになり、そこから今まで考えていた事もよく分からなくなります。

「○○できるんだろうな」で引き寄せられる事も多いのですが、焦燥感があるとさっぱりです。
楽しい事に焦点が合うもっと良いやり方があるのでしょうか?

2644 名前: 携帯 投稿日: 2009/06/04(木) 08:17:20 ID:8xMa9fPEO

>>2635
レスを読む限り、あなたを圧迫してるのは「積極的に」って前提と思うよ。

現在積極的でない → 故に積極的でいたい。
ちょっと考えてみて欲しいんだけど、「積極的に」を意識する度に、その下敷きの動機
「現在積極的でない」にアクセスし続けるサイクルになってない?

これは、陥り易い王道パターンなんだけども。
現状の不足を反転させた望みを表明してもうまくいかない場合がある。
焦点が現状の不足に当たり続けるから。

焦点に気を配るといい。
具体的には、「別に今すぐ積極的にならなくて良いや」と考えて一旦楽になる。
その上で、あなたが好きなように行動できたらどんなに素敵だろう?っていう
あなたの望みの肯定的な側面だけを都合良くイメージしてみ?

ただの、イメージだよ。好きなようにイメージして楽しめば良い。
ちょっとでも、「でも今は…」って考えが頭をよぎったりイメージがしんどくなったらやめて良い。
と言うか、やめた方が良い。

気分が乗って楽しめる範囲で、1日に何回もイメージを楽しむといい。
無理に動こうとしなくて良い。そうやってひとつの段階を踏めば、次の段階は勝手にやってくるよ。

※先回りが可能性を閉ざす事になりかねないんで、具体例は省略。
今できる範囲で自分を楽にしてやり、楽しい事に目を向ける。辛くない範囲でね。
それが状況を動かす1歩目になるよ。

2654 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2009/06/05(金) 18:35:20 i.tK61KI0

>>2644
>現状の不足を反転させた望みを表明してもうまくいかない場合がある。
>焦点が現状の不足に当たり続けるから。

実は心の奥底では
「自分は時間を無駄に使っているから、早く楽しめ積極的に行動できるようにならないと」
という思いが強く、余計そこに焦点が当たっていたのかもしれません。

いつもだったらここから「この考えを手放してやるぞ」という風になり
うまくいかなかったように思えます。今もそう考えると焦燥感がありました。

>ちょっとでも、「でも今は…」って考えが頭をよぎったりイメージがしんどくなったらやめて良い。
>と言うか、やめた方が良い。

やめた方が良いという考えは目から鱗でした。
良いイメージをする→否定的な考えが浮かぶ→「この否定的な考えを今手放さないと大変な事になる」
とセットに考えていた結果、良いイメージも疲れるものになり、より不足に焦点が当たっていた
ように思えます。以前良い話が急に無くなった時も、まさにこの通りの考えをしていました。

手放さなきゃいけないものを探すためじゃなく、本当に好きなイメージをするようにしてみます。
行き詰っていた状態が解消された気分になってきました。
ありがとうございました!

2655 名前: 携帯 投稿日: 2009/06/05(金) 21:06:52 ID:8xMa9fPEO

>>2654
せっかくの機会なんで、やめた方が良いって部分を補足させて頂きやすっ( ̄Λ ̄)ゞ
※もうわかってるっつーの、て場合はご容赦を!

イメージングにしろ、数多ある各種メソッドにしろ、
多くの人が「頑張って」取り組んでるんじゃないかと思うんだ。

転がしはじめの、自分なりのコツを掴むまでの最初の数歩には力みが要る場合もあるかも知れない。
自転車の漕ぎ始めみたいなもんだ。これは仕方ないと思う。

しかし、LOAによると焦点を当てているものが経験に流れ込むというのがメカニズム。
ちょっと辛くても気分が乗らなくても、頑張ってメソッドをこなすって事は
そこには気付かずとも義務感や焦りや執着が潜んでる。

その時、焦点は恐れや不安をバッチリ捉えてるってわけ。
これじゃ、メソッドやるだけ逆効果になりかねないってのが何となくわかると思う。
なので、イメージングでもメソッドでも、気分が乗らない時は無理にやらない。

ちょっとでも辛くなったら無理して続けないってのを、LOA派の私としてはお薦めしたい。
無理にこなすくらいなら、何か楽しめる全然別の事に時間を使った方が断然マシなんだ。

そうやって気分を別の事で上げておいて、また無理の無い範囲で
もっと言えば楽しめる範囲でイメージングなりメソッドに取り組む方が効果的。
焦点に気付く度に、気軽に作戦を変更していくって感じ。

焦点については分析して難しく考えなくても、感情に注目してれば一発で解るから大丈夫!

2659 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2009/06/05(金) 22:30:14 f2GP4uNE0

>>2655
>焦点については分析して難しく考えなくても、感情に注目してれば一発で解るから大丈夫!

携帯さん、ここんところが分かりません!
自分の感情がどこに焦点を当ててるのかさっぱり……

多分、今までずーーっとずーーっと自分の感情は二の次で
他人の気に入る「自分」を演じてきたので感情が麻痺してるんです。

2675 名前: 携帯 投稿日: 2009/06/07(日) 21:22:51 ID:8xMa9fPEO

>>2659
感情が焦点を当てる訳じゃないよ。
焦点を当てるものに応じて感情が訪れる。

自分が具体的にどこに焦点を当てているか解らなくても
常に「快/不快」のシグナルを受け取ってるはず。
まずは、それがわかればいい。

それすら解らない、なんて事はないと思うけど
もし解らなければ荒治療すれば一発で解るようになる。
※詳細は必要があればって事で。

何か不快なシグナルを受け取ってると感じたら、少しでも快になる方向へズレる。
思考を(考え方)をズラす、行動を変える、関心の対象を変える。

または、クレンジング。
不快→快の極端なコントラストで考えると、その時点でウンザリしちゃうかも知れない。
でも、そんなジャンプアップを自分に課さなくても大丈夫。

大事なのは、まずはホッとする事だ。ホッと一息つくこと。そこが快の入り口だから。
節目ごとで区切る、思考をズラす、22段の感情のスケールを少しずつ上げる、
エイブラハムの話を自分に落とし込めばそんなに難しい事じゃないよ。

もうひとつ、大事なポイント。
それは、少しばかりワガママになる事だ。
好きなものをちゃんと好きだと認める。その事について、他人への前置きや言い訳を用意しない。
※できてるかい?

あなたはとても大事な事に気付いてる。
あなたの言う通り、自分という役割(お仕着せ)に辟易して消耗しきってるんだよ。
そしてお仕着せたのは、結局自分だ。だから大丈夫。自分で解放してやれる筈だよ。

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