Wildさん_11/一切の思い込み、思考、心の動きを捨てて今あるがままを見てみる。 それが私のアプローチのひとつです

この記事は約15分で読めます。
スポンサーリンク

324:現象:2016/06/20(月) 18:48:00 ID:O0E0Wh620

≫320
wildさん

 

哲学者のつくった造語は、哲学史的な背景や目論見などがいろいろ絡んで分かりにくいものです。
「現存在」は、簡単に言えば人間のことで、Wildに相当するのが「存在」です。
なんでいちいちややこしくするんだよと思いますがw、
いろんな概念がこびりついた言葉を使うと思想の核心からズレちゃったりするんですね。

 

ハイデガーは存在論(存在とは何か)の哲学者で、
さて、どこから存在の謎に切り込めばいいかと考えた時、
人間って自分の存在を「了解」している存在者だ、なんらかのかたちで「存在」を知っている、
じゃあ人間の在り方を分析していけば、存在の謎が解けるかも、と考えたんです。

 

で、人間を「現存在(ダーザイン)=いま・ここに存在する者」として、
「存在了解している存在者」として新たに定義づけて「存在と時間」を書きました。
でも、この角度からは存在の謎を解くのはムリだ、と途中で気づいて執筆をやめてしまいます。
20世紀を代表する哲学書とか言われますが、実は序論だけなんです。
でも非常に面白いですし、出版された当時は哲学界に稲妻のような衝撃が走ったらしいですw

 

ハイデガーが何に気づいたかと言いますと、
人間側から存在を問うというのは、問いの方向が逆ではないか、ということです。

私たちはまず「存在してしまっている」。

その上で、存在とは何か、という問い・思考が生まれる。

あるいは、「世界の開け」というこの「場」が私たちに「到来した後」に問いも思考もある。

 

要するに「存在」「我々が存在するという事態」とは、それを「受け入れる」ことではじめて
問いや思考を可能にする前提としての「何ものか」である、とかなんとか。

このへんは話が長くなるので(もう既に十分長いですがw)やめておきますw

(つづくw)

 

325:現象:2016/06/20(月) 18:49:03 ID:O0E0Wh620

(つづき)

 

>思考を介す前、目に色が飛び込んできた時にはすでに痕跡なのか?
>完全に統一すると上下左右もない無になりますもんね。

思考を介す前には色は存在しないのでは。それはすでに痕跡では、と思います。

 

現象学では、この「思考を介す前」、我々に本当に与えられている「何か」に
どうすれば到達できるだろうか、といろいろ思索しています。

通常の認識・思考は、すべて「反省的意識」によって得られます。
「反省」するということは、必ずタイムラグがあり、よって認識・思考はすべて痕跡=記号です。

 

では、「反省の反省」=反省意識を反省意識で捉えてみればどうか。
この場合も同じで、やはり痕跡しか残りません。
「作動する自我」あるいは「流動する現象?そのもの」は常に手元からスルリと逃げてしまいます。

 

ですから、思考では「最前線の今」は認識できないんですね。
別の領域も本質の私も思考では認識できない、と達人さんが言うのはこのことかと思います。

絶対的に現れないものが「地」として背景として在り、
その上に「図」としての認識(存在物、現象)が生まれる。
この「地と図」の「地」、これがハイデガーの言う「存在」、

フッサールの言う「生き生きとした現在」、ということのようですよw

 

326:現象:2016/06/20(月) 19:24:38 ID:MIoW1IrE0≫321
エゴと本当の自分を行ったり来たりって、うらやましーです。
すごく楽しそうです。
私も早くそうなりたいんですが、最近はお任せモードで生きてますw

 

327:wild:2016/06/20(月) 20:58:57 ID:yIHJFHKU0

≫325
現象さん。

≫ 「現存在」は、簡単に言えば人間のことで、Wildに相当するのが「存在」です。

アチャー!そうだったんですね(^^;
全然理解できてなかったですね…恥ずかしいw
訂正と詳しいご説明ありがとうございますw

 

≫ 私たちはまず「存在してしまっている」。その上で、存在とは何か、という問い・思考が生まれる。あるいは、「世界の開け」というこの「場」が私たちに「到来した後」に問いも思考もある。

 

Wildが生み出した思考ではWildの姿は捉えられないということですね。
痕跡が最前線にくることはなく、つまり思考と感覚では捉えられない。

 

≫ 思考を介す前には色は存在しないのでは。それはすでに痕跡では、と思います。

 

なるほど。
ここで言う思考とは、見た瞬間の認識のことですかね?

例えば目の前に不意に何かが横切った時、思考が起こる前にすでに「何か」を視覚で認識しています。

そのすぐ後に縞模様と羽音で「あ!ハチだ!」と思考でラベリングしてハチとなり、危ないと判断して避けます。

哲学的に思考とは、見た瞬間の「何か」も思考としているんですかね?

 

私はこの「何か」の段階、主客渾然一体となっている瞬間が創造の瞬間かと考えていましたが…気のせいだったのかなw

これも痕跡となると、やはり私たちが認識できるのは、存在からの分離後の「現れ」だけであり、色が発生した瞬間には分離しているということですね。

となると、やはり熟睡中なんかが存在そのものになっているということになりますかね。

私たちは存在を直接見ることはできないけれども、在ることをわかるくらいしかできないのかな。
よく言われる目が目を見えないと同じですねー。

 

334:現象:2016/06/21(火) 05:12:41 ID:9EYi7vdU0≫327
wildさん

ハイデガーって哲学者の中でもヤヤコシイ部類に入る人で(でも講義録は丁寧でそこそこ分かりやすいです)、
とくに思考の角度を変えた中期・後期はさらにヤヤコシイと言われています。
ハイデガーが「刊行はオレの死後にしろ」と言い残した中期の「哲学寄与論考」という著書(ノート)は、
私にはほとんどが暗号文ですw でも、分からないなりにも、所々に面白い文章・思索があるのでたま~にページを開きます。

 

>Wildが生み出した思考ではWildの姿は捉えられないということですね。

そうですね。Wildの創造物であるエゴが、創造主のWildを包括することはできない、ということになるでしょうか。
Wildというバックボーンがあって初めて存在できるエゴが、自分のバックボーンを取り込もうとするのは不可能というか。
Wildという集合の要素の一つにすぎないエゴが、集合全体を自分の要素にしようとするのは無理というか。

 

>ここで言う思考とは、見た瞬間の認識のことですかね?

はい、思考というより「認識」という言葉が適切でした。

 

>哲学的に思考とは、見た瞬間の「何か」も思考としているんですかね?
>私はこの「何か」の段階、主客渾然一体となっている瞬間が創造の瞬間かと考えていましたが
「主客渾然一体」となっている状態は、まだ認識も思考も始まっていないと状態だと思いますので、
これは痕跡ではないと思います。
が、「主客渾然一体となっていたあの状態」と認識・思考した段階で痕跡だと思います。
ですから、主客渾然一体になっている「まさにその時」には、
主客渾然一体となっている状態は存在しない。「無」の状態だと思います。

それはつまり、無からの創造の瞬間、なのかな?(これは私にはまだよく分かりません)。

 

>色が発生した瞬間には分離しているということですね。

だと思いますが、どうなんだろう。。
赤色、白色、緑色、そうした具体的な色が発生(認識)した瞬間はもちろん、
「色」という概念自体、分離していないと認識できないこと、なのでは?
以前、知らんさんが「黒色ということ自体も疑ってみてください」みたいな事を書かれていましたが。

 

>私たちが認識できるのは、存在からの分離後の「現れ」だけであり

「認識できる」のは、まさにwildさんがお書きになっている通りだと思います。
分離がなければ認識できない。認識している時は、分離している。分離していないなら無、だと思います。

 

>よく言われる目が目を見えないと同じですねー。

右足で右足を踏むことはできない、ですね。

 

339:wild:2016/06/21(火) 21:02:13 ID:WXiyO8xc0

≫334
現象さん。

いきなりハイデガーは私には早すぎましたねw
現象さんでも暗号文にしか見えないのなら私もお手上げですw
名前がカッコいいというだけで手を出すべきではなかった…。

 

≫ >ここで言う思考とは、見た瞬間の認識のことですかね?

はい、思考というより「認識」という言葉が適切でした。

やはりそうでしたか!
認識、つまり気づきの瞬間ですね。

 

≫ ですから、主客渾然一体になっている「まさにその時」には、主客渾然一体となっている状態は存在しない。「無」の状態だと思います。それはつまり、無からの創造の瞬間、なのかな?(これは私にはまだよく分かりません)。

 

「何か」が横切ったと気づいた瞬間もすでに記憶、痕跡なんですね。
また「主客渾然一体だ!」と感じた時も記憶。
この「感じた」というのは確かに自我の働きであり、後追いですね。

全てが記憶であり、最前線に立ってしまうとそれはもう無になってしまう。
それは、まずひとつの意識、空(無)があり、それ自身が様々な形を創る。
その中の創造物である自我がわずかな時間差で創造物を認識している。
そんなイメージですね!

 

しかし今のところ私はこうも思うのです。
一切の思い込み、思考、心の動きを捨てて今あるがままを見てみる。
それが私のアプローチのひとつですが、その視点ですと、やはり存在の起こす現象と認識は同時に起きている。
それを認識した後の心の動きも、存在が創ると同時に見ている。
無というものはなく、今ここに在るもの。
それが空=色であり、存在なんではないかと…。
現段階ではですけどね(^^;

しかしここが私の掴んでしまった執着のひとつかもしれません…。
ここを完璧に打ち砕く気づきが降りてきて欲しいところです。

しかし現象さんの哲学視点からのご説明はには考えさせられますね。
道理的には確かにそうですものね。
いつもありがとうございます!

 

344:現象:2016/06/22(水) 04:57:46 ID:xmL/KzMI0

≫339
wildさん

ダイレクトパス ユーザーガイド」買いました。
これ、いいです。とても分かりやすい。
仕事をサボりながら読み、帰りの電車の中で読み、
プラットホームを歩いている時に、スクリーンを見ている視点に成りかけました。

あ、これか!と思ったのですが成れませんでしたけどw
明日(今日)も仕事はテキトーにこなしつつ読みます。

真昼さんと同じくレスはまた今日明日にさせていただきます。

 

wildさん、真昼さんとやり取りすることで私も認識が深まります。
書き込むからにはちょっとは集中して考えようと思うので、
自分が何を感じ考えているのかをとりあえずまとめることができて有り難いです。

 

346:現象:2016/06/23(木) 05:42:40 ID:pihWJbDc0

≫339
wildさん

 

>やはり存在の起こす現象と認識は同時に起きている。
>それを認識した後の心の動きも、存在が創ると同時に見ている。
>無というものはなく、今ここに在るもの。
>それが空=色であり、存在なんではないかと…。

私は「主客渾然一体となった状態は存在しない。無の状態だと思います」と書きましたが、
この「存在しない、無の状態」というのは、認識できないのだから
「無と言わざるをえない」という意味でした。(もうちょっと正確に書くべきでした)

 

wildさんがお書きになっている「空=色」って、こういうことでしょうか?

 

アリストテレスに「潜勢態」「現勢態」という概念があります。
潜勢態というのは、まだ何のカタチにも成っていない材料(質料)のことで可能態とも言えます。
この潜勢態が何らかのカタチ(現象・存在)になったものが現勢態です。
(例えば、潜勢態がタネ、その現勢態が花、です)

だとすれば「空=潜勢態」で、そこには様々な可能性が秘められているんですが、
まだ「何ものでもない」という意味で「無」としか言いようがない(◯○であると言えない)。
でも、それは様々な現象・存在の材料に成ることができるので、全くの無ではない。
「何かが満ち満ちた無」である。つまり、空であり色である。ということでしょうか?

 

ダイレクトパス ユーザーガイド」を今日も読みました。
思い込みを丁寧に、ひとつひとつ剥がしていく内容にジワジワーっときていますw
色を見る、という事が起こっているのではなく、色とは見ることその事、なんですね。
まだ完全に腑に落ちてはいませんが、読み終わる頃にはそこそこ認識が変わりそうに思います。

 

351:wild:2016/06/23(木) 20:54:07 ID:1ATDQR/M0

≫346
現象さん。
遅くなってすみません(^^;

 

≫ この「存在しない、無の状態」というのは、認識できないのだから「無と言わざるをえない」という意味でした。

 

これよく考えたら難しいw
無が有るのか?という話になると私の頭では追いつかなくなります…orz
でも認識できてないから無はあるのかな?う~ん…(-_-;)

 

≫ まだ「何ものでもない」という意味で「無」としか言いようがない(◯○であると言えない)。でも、それは様々な現象・存在の材料に成ることができるので、全くの無ではない。「何かが満ち満ちた無」である。つまり、空であり色である。ということでしょうか?

 

そうです!
そう言ったものとして空と言いました。
ただ何と言うか、「無のような空」という真っ暗なひとつの状態から分離して現実と思えるものを創っているというよりも、もうすでにひとつの状態なのではないかと。
分離しているように見えるだけで本当はいつもひとつの状態。
それが空=色。
分離しないでどうやって対象を見るんだ?という話になりますが、ここがこの世界の不思議なところでしょうか(^^;

ダイレクトパス的な手法で見てみると、それ以前の創造前のような状態は実は存在してないのではないかと思いました。
「無い」ので無ではありますが…。
時間を持ち出すとまた訳がわからなくなりますが、ずっと有るだけが在るのかと思います。
じゃあ熟睡中はどうなのか?
ハーディングは熟睡をフィルムとフィルムの途切れみたいなもので、それは空そのものではなく途切れが有るだけ的なことを言ってたのを思いだしました。
途切れが現れたとでも言いましょうか…。

 

はぁこれはほんと難しい…。
ここはもっと体感していつかうまく話せるようになりたいものです(^^;

ところで、ダイレクトパスユーザーガイドを買われたんですね!
私も買いましたが忙しくてほとんど読めてませんw

流し読みしましたが、現象さん向きの哲学的な内容ですよね?
さっそく「見る=色」がピコン!ときたようで良かった!(^^)/

 

358:現象:2016/07/04(月) 02:54:34 ID:gncVZnqY0

>wildさん
>真昼さん

生きてますww

仕事が忙し過ぎるってこともあるのですが、
ダイレクトパス ユーザーガイド」を読んで、エゴレベルで納得する知識がまた増え、
頭の中の整理がつかず書き込むことができませんでした。

もう少ししたら(ひょっとすると週末かもしれませんが)また書き込みますね。

 

366:wild:2016/07/12(火) 16:10:19 ID:iXACYAFE0

≫358
現象さん

生きておられましたかw
私もしばらく留守がちで申し訳ございません(^^;

ダイレクトパスユーザーガイド、「どや!これでもか!」と言った感じで内容濃すぎですよね。
しかし赤本での疑問も晴れました。
実際にメソッドを繰り返すと腑に落ちるもの満載かと思いますのでぜひw

私はと申しますと、書いてある内容や、今までダイレクトパスで気づいたことすべてをぶん投げてしまおうという心境になってしまい、一回読んだきりですw

 

381:現象:2016/07/18(月) 17:18:48 ID:yi4reb0M0

wildさん

ご無沙汰しておりました。
以前にも書いたかもしれませんが、
認識変更について言葉で表現できることはひと通り理解した、
あとは何らかの実践だけ、だとしたら何を書けばいいのか、
なんて思って書き込みできませんでした。

 

ダイレクトパスユーザーガイド

私のような鈍い人間にも、ぜーんぶ単なる概念だ、と気づかせてくれる本ですね。
2回読んだあと、時折ぱらぱらとページをめくっています。

この本を読んでから知らんさんのブログを読むと
これまで分からなかった部分が分かったり。
そのうち、何もかもどーでもいいや、ってなりそうで少し怖くなったこともありましたw
この恐怖の先に何かあるんでしょうか?方向を間違ってますか私?w

 

>私はと申しますと、書いてある内容や、今までダイレクトパスで気づいたこと
>すべてをぶん投げてしまおうという心境になってしまい、一回読んだきりですw

いろいろ心境の変化があったんですね。
すべてをぶん投げるとは、どのような事なのでしょうか?

どうぞご負担にならない程度に書き込みしてくださいね。

 

383:wild:2016/07/18(月) 19:37:58 ID:EbnsvHYo0

≫381
現象さん。
こんにちは!
お気遣いありがとうございますm(__)m

 

≫あとは何らかの実践だけ、だとしたら何を書けばいいのか、なんて思って書き込みできませんでした。

 

こういったものは理解と体感と言いますもんね。
あとは体感だけとなりましたか。
うーむ…改めてハーディングの実験などじっくりやられてみてはいかがですかね?
理解が整理された今、新たな発見があるかもしれません!

 

≫ この恐怖の先に何かあるんでしょうか?方向を間違ってますか私?w

 

その先が一皮剥けるところかもしれませんよw

 

≫ すべてをぶん投げるとは、どのような事なのでしょうか?

 

少し探求疲れもあるのかもしれません。
現象すべてが結局はすべて私の考え(現れ、気づき)であると言う認識が、なぜか混乱というか苦しみをもたらすようになってしまいました。
何でなのかはわかりません。
真理めいたものを手放さないといけない時期がきたのかもしれませんね。
これを手放してしまったらエゴの拠り所がなくなりますもんね。
だから苦しいのか…。

よくわかりませんが、一度すべての知識を放棄してしまおうという気分であります(^^;

 

タイトルとURLをコピーしました