108さん163/「エゴの判断を拒否し別の領域の認識を採用する」この意図を持たない限り、メソッドは単なるお題目になってしまう

この記事は約6分で読めます。
スポンサーリンク

「エゴの判断を拒否し別の領域の認識を採用する」この意図を持たない限り、メソッドは単なるお題目になってしまう

 

291 :本当にあった怖い名無し:2008/09/05(金) 22:57:24 ID:AEczYhEx0

108さん、もしくは良い考えをお持ちの方教えてください。
私もザ・券を読んでいろいろメソッド試しているんですが、108さんがもう既にあるものを
ただ見るだけって言っていたので、私も『引き寄せる』ではなく、もう今既にその状態なんだ!
って感じに浸るようにしています。

それで最近は大分自分のなかでも既に存在している感が定着してきたかな~
って思っていたら、ちょっとした事(例えばすごくお金に焦っているのにお金が必要になるかもしれない
出来事が起きたり)が起こった瞬間に、胃の辺りがぎゅっとなって強く恐怖を感じたりしてしまうんです。
そんな時咄嗟にどうしていいのかわからなくて・・・

やはり『ありがとう』とか『完璧だ!』って唱えるのがいいんですか?
でも胃の不快感はしばらく続くんです。
心臓がドキドキして強い恐怖がまだ自分の中にあると思い知らされるんです。
何かいい方法はあるでしょうか?

わかりにくいかもしれないですが、よろしくお願いします。

321 :55:2008/09/06(土) 04:08:15 ID:YhQtP3330

>>291
胃がぎゅるぎゅると締め付けられる苦しみ、わかります。私もそうでした。
ある出来事があって、これはもう死んだ方がマシだと本気で自殺を考えました。
結局死ねなかったのですが、その後も紆余曲折あって、何度も自殺願望が頭をよぎります。

そんなある時、ふと思ったんですよ。
そうだ、解決しなければいいじゃないかと。
どうすれば問題が片付くかなんて、考えなければいいじゃないかと。
思えばこれまで一度だって私の思考が私の問題を解決出来た試しはあったろうか?

目先の問題を解決したかのように見えて、根本的には何も解決せず、
同じ問題が次の角でもまた私を待ち伏せしていたのではないのか?
思考はエゴです。エゴのカタマリです。

私は問題を解決しようとする思考/エゴを捨て去りました。
「どうすれば?」なんていらないと。

問題の解決を放棄するのは逃げでしょうか?
解決しようとすることは、問題からの、苦しみからの逃避ではないのでしょうか?
問題を解決しようとしないことは、問題と一つになること、苦しみと共に留まることを
意味するのではないでしょうか?そうした時、一体何が起こるでしょうか?

まず当然ですが、解決しなければならないという焦りと、解決出来ないという葛藤が見事に無くなりました。
当然ですよね。解決する気はないんですからw
これだけでも随分と楽になります。

その後すぐに私が気が付いたのは、
本当に苦しんでいたのは私の思考/エゴで、苦しむ思考/エゴが無くなれば、
苦しみも自ずと消えていくという事実です。

私が苦しくなければ、私を苦しめる現象は、私の世界では存在理由がありません。
問題から逃げなくなった私を追いかけてくる問題がありません。
問題はきれいさっぱり消え去ったのです。嘘みたいに有効な逆説的アプローチですよ。

909 :108 ◆90KoxUVipw :2008/09/11(木) 04:24:58 ID:qo0xScmH0

こんばんは。
スレを跨がないうちに来ましたw

>>291
>>55さんの>>321のレスで、ほぼ解決されているような気がしますが、
私からも少しだけ。

> それで最近は大分自分のなかでも既に存在している感が定着してきたかな~
> って思っていたら、ちょっとした事(例えばすごくお金に焦っているのに

「既に存在してる感が定着している」のに、何故「凄く焦って」しまうんでしょうか。
凄くお金に焦れば、当然そんな現実が展開していきます。

同じような方もいるかもですが、恐らくあなたはこんな感じではないでしょうか。

「望む現実は、既に存在しているんだ。まだ見えないけど、その感じは確かにある。
 でも、現実的問題に対するエゴの反応は、全く放棄する気はないけどね」

あなたは、一方で別の領域を積極的に感じようとしながら、
エゴの反応も、これまで同様、積極的に採用し続けています。

910 :108 ◆90KoxUVipw :2008/09/11(木) 04:27:01 ID:qo0xScmH0

(つづき)

あまりエゴの反応にかまけないでください。
お金に焦っていれば、お金が必要になる現実が引き寄せられます。
この、「予めお金に焦るプロセス」を、まず停止することです。
「お金に焦る」というエゴの反応が起きたら、まずそれを認識します。

自分は今、『お金に焦る』という、エゴの反応を採用しようとしている
というように。

これであなたは、エゴの反応を観察する地点に立てます。
そうすれば「凄く焦る」というように、その反応を敢えて増幅したりはしないでしょう。

エゴは自らが反応できる部分を、状況から絶えず探しています。
「全ては既にある」という状態に浸り、充分に別の領域を感じているように思えても、
あなたのエゴは、背後で絶えずその存在を主張しようと待ち構えているのです。

あなたにそのつもりがなくても、自動プログラムがバックグラウンドで実行されているように、
習性となって染みついた「エゴの反応」が起きてくるのを、未然に防ぐのは困難だと思います。

911 :108 ◆90KoxUVipw :2008/09/11(木) 04:30:21 ID:qo0xScmH0

しかし、このことは逆にチャンスです。
エゴの反応が起きるということは、同時にそれをあなたが認識できる機会だからです。
だから、「お金に焦る」というエゴの反応が起きてきたら、

「待て。これはエゴの反応だ」

それを認識します。
この時点で、あなたの意識はエゴと一定の距離を置くことになり、
どっぷりとその感情に浸るのを防ぐことになります。

うっかりとそれを見過ごしてしまい、現象化のプロセスが
進行してしまったように見えても、焦らない。

> そんな時咄嗟にどうしていいのかわからなくて・・・
> やはり『ありがとう』とか『完璧だ!』って唱えるのがいいんですか?

メソッドはおまじないではありませんw
そういう目的なら「般若心経」とか、もっと効果的なものを選んだ方が良いです。
エゴに翻弄されながらメソッドを行っても、あまり意味はありません。

「エゴの状況判断をキッパリと拒否し、別の領域の認識を採用する」
この意図を持たない限り、メソッドは単なるお題目になってしまいます。

912 :108 ◆90KoxUVipw :2008/09/11(木) 04:33:40 ID:qo0xScmH0

大切なのは、
・「これはエゴの反応だ」という認識を持つ
・たとえエゴの反応が起きていたとしても、意識的にそれを採用しない
・エゴの反応にかまけず、キッパリと別の領域の見解を採用する

これらの意図を持ち続けることです。エゴの反応はチャンスです。

というのは、これらの意図をその都度確認する機会となり、
あなたに新しい認識を定着させるレッスンとなっているからです。

何十年にもわたって習性となっている「エゴの反応」を、
認識が変化したからといって、即刻中止するのは、なかなか困難だと思います。
>>291さんのように、エゴとして反応してしまうのは避けられないことです。

大事なのは、それが「エゴの反応」であるということを認識しているということ。
その反応と一定の距離感を保ち、どっぷり浸からない姿勢を持ち続けることです。

「よし、エゴの構造は分かった。もう惑わされないぞ」

そう決意したとしましょう。
でも状況に対して、あるときはその反応を無視できたとしても、
別の機会ではその決意をすっかり忘れて、どっぷりと浸りきってしまったりする。
それではエゴの反応を放棄できるわけがありません。

距離を保ってください。観察する姿勢を持ち続けてください。
そうすればエゴの反応を、余裕を持って眺めていられるようになるはずです。

タイトルとURLをコピーしました