492 :もぎりの名無しさん:2011/04/11(月) 23:48:04 ID:HsPgJ/9g0
自己観察さん!!!!!!
いつもいつも分かりやすく丁寧にありがとうございます。
以前一度レス頂いています。
相変わらずの、分からず屋のダタッコですが、今一度お伺いしてよろしいでしょうか?
以前に「意図の取り下げをしている」とご指摘いただいたですが、まだまだ、別の領域を
感じきれていない自分は、どーーーしても、願望に対する不安が登ってきます。
その度に、リリースをしてるのですが、、
「不安が来た」→「リリース」
の展開の後は、意図が取り下げられてるままの状態なのですか?
願望=既に或る=だから不安にならない
が分かっていても、信じきれず不安で確認してしまう自分は、意図しても不安で
意図の取り下げをしてしまい、頻繁にリリースをして状態を保っています。
別の領域を感じている方々から見たら、意図は1回きりでいいと思うのですが
(或るから)感じきれていない放浪者は、自愛なりをして自分の全てを許すのでしょうか?
別の領域を感じられる状態在りきの、「願望=実現」?
大分、穏やかに過ごせる様になったものの、
願望達成したい気持ちから、チケットを知って、藁を掴む気持ちで必死につかまってる自分には、
「まず、悟らなきゃダメじゃん」になってしまいました。
そんな人達の為に、よしお氏は「全部関係ねー」って言い放ったのだろーけど。
メソッドなどの方法論を探しているワケではなく、頭では分かってます(まさしく思考主義~~~)
なんせ、自己観察さんがいっぱい分かりやすく説明してくれてますから!感謝です。
願望願望!をまず置いといて、本当の自分を知って別の領域を感じ、それからゆっくり
願望=現実を経験するといいって事ですか?
まず悟れ!ってことでしょうか?
だとしたら、一番先のハードルが既にすっごく高い。
我ながら、書いていて本末転倒な質問だと思いました。。
495 :もぎりの名無しさん:2011/04/12(火) 01:31:45 ID:psg5Ebes0
≫492
≫「不安が来た」→「リリース」
≫の展開の後は、意図が取り下げられてるままの状態なのですか?
不安をリリースしたんなら、意図した立場に戻ってるんじゃなかろうか。
それは私じゃなくて自分自身に確認することでしょう。
「意図の取り下げてる思考」に気づけるようになったんなら、その「気づいている立場」に
いる自分をもっと信頼というか、そこに留まっている自分を感じてみたらいいと思うよ。
≫願望=既に或る=だから不安にならない
≫が分かっていても、信じきれず不安で確認してしまう自分は
「既にある」はエゴの範疇のことではないので、エゴの属性である「不安」と関係ない。
「だから不安にならない」は不要。
その「不安」でいる状態を客観的に観ることは出来てるんだろうか。
まずはそこからやってみては?
≫別の領域を感じられる状態在りきの、「願望=実現」?
「願望=実現」は立場によって変わるようなものじゃない。不変の真理。
同時に発生してるものだから、意図を取り下げなければいいだけ。
≫まず悟れ!ってことでしょうか?
だいぶ混乱してるね。そんなことどこにも書いてないし。
私が書いてるのはあくまでも「自己観察」と「別の領域に浸る」こと。
上にも書いたけど、まずエゴの思考に一体化しないということをやってみたら?
496 :もぎりの名無しさん:2011/04/12(火) 03:55:46 ID:HsPgJ/9g0
≫495
は!ありがとうございます!!
不安な自分にも気がついています。どーにもこーにも
あまりにも頻繁な為、ここでいっぱいいっぱいです。
さっき、チケを読み返したら、既に第1章、2章で、今の自分の事が満載でした。
前に読んだ時は、なんも分からんままだったのですが、
今、見ると、、「まさに今のオレ!」という感じでした。
>「願望=実現」は立場によって変わるようなものじゃない。不変の真理。
同時に発生してるものだから、意図を取り下げなければいいだけ。
>だいぶ混乱してるね。そんなことどこにも書いてないし。
はい。大分混乱してます。
「別の領域を感じないと、とにかくイカン!」
「感じてから、願望達成だ!」と思い始めてました。
前も後もなかったのですね。。なんか必死過ぎで恥ずかしい自分。
ありがとうございます。観察を続けてみます。
499 :もぎりの名無しさん:2011/04/12(火) 12:08:18 ID:psg5Ebes0
≫496
確か108さんも以前おっしゃってたと思うけど、
「リリースする」という行為は、意識的にそれを
「手放したんだ」ということを実感するためにする儀式みたいなものであって、
「不安」→「リリース」→「不安」→「リリース」→・・・が頻繁に起こるということは、その「儀式」に依存して、
元々の不安にさらに「リリースしなきゃ」という新たな不安を追加してるだけになってる。
「別の領域を感じないと、とにかくイカン!」とかもそう。
それだと不安をリリースしてるんじゃなくて、一歩も不安から離れてない。
その元々の不安や、「リリースしなきゃ」の不安、「別の領域を感じないといけない」とかの思考
それらの感情や思考に気づいて、それを客観的に眺めて取り下げる、というのが自己観察。
チケット読み返してわかるようになったのはよかったね。
焦ることそのものがエゴだからね。それにも気づいていれば段々「不安」も静かになってくるよ。
696 :もぎりの名無しさん:2011/05/12(木) 04:10:32 ID:psg5Ebes0
前提が「もう叶ってる。すでにそれはある。」これを採用するとしたら
「ある」はずなのに見えないのはなぜ?ではなくて。
「見えないと思ってる」その思考(認定)
「なぜ見えないの?」「だって今ないじゃん」という思考
そして、それらの思考に付随する感情
それらが全部嘘で錯覚ということになる。
ということが腑に落ちれば、その嘘の思考、感情に振り回される必要がなくなる。
そんな思考に乗っとられそうになっても、その思考が錯覚からの認識ということに気づいていればOK
だから執着がダメというわけではなくて、執着することの意味がなくなる。
執着自体が嘘の思考なので、嘘の思考に振り回されて苦しい、なんて
わざわざそんな面倒なことできなくなる。
そういう意味で、執着しているということはそのことがわかってない
(嘘の思考に騙されてる)だから叶ったり叶わなかったり。
エゴからの願望は叶わないのか?は、エゴは「ない」という嘘が前提で欲してるので、
終始そこから視点が変わらなかったら実現は難しい。うまく手放せれば叶うかもしれないけど。
「ある」を採用するなら、今まで自分だと思い込んでた思考が、
実は自分のものではないんではないか、集合意識とか社会通念とか記憶、
そういったデータ(思考は単なるデータベース)が再生されてるだけなんじゃ?
と、自分の思考や感情を疑ってみるところから始めてみたらいいかもしれないと思った。
思考が自分ではないとしたら、本当の自分とは一体何なのか。
その思考を採用するかしないかを選べるんじゃないか、とか。
そこに焦点を当てて感じてみたらいいんじゃないかな。
別に悟りとかなくてもこの辺は適用できると思う。悟りがあるとしたらその先かも。
悟りたい人以外は、そこにこだわる必要全然ないよ。