自己観察さん−004/「○○について不安に思ってるなー」と気づいたら、 「ああ私いま自分の反応に気づいてるな」っていう自覚があればいい

この記事は約6分で読めます。
スポンサーリンク

747 :もぎりの名無しさん:2011/02/26(土) 13:53:20 ID:9nePimDA0

psg5Ebes0さん
別の領域を感じるのを自覚して行ってから7章認識になるまでどのぐらいかかりましたか?
気が向いたらでいいんで教えてほしいです。

自分の場合、静かな環境で別の領域に浸ると「キーーーン」みたいな音を感じます。
もちろん周囲で実際になっている音ではないんですが、、
まー、ただの病気だったら我ながらアホですけどw

早く7章認識に到達したい。

 

791 :もぎりの名無しさん:2011/02/28(月) 15:08:14 ID:psg5Ebes0

≫747

≫別の領域を感じるのを自覚して行ってから7章認識になるまでどのぐらいかかりましたか?

 

後から気づいて、あれ?なんか前とちがってる?とかそんな感じ。
劇的に変わった感じはしないので自分でもよくわからない。
別の領域を自覚し始めた時点で、そこに在る心地よさに焦点を置いていたので、
今となっては思い出せない。

 

≫自分の場合、静かな環境で別の領域に浸ると「キーーーン」みたいな音を感じます。

耳鳴りのことはよくわからないけど・・・
別の領域が信頼できるようになるまでは、エゴの抵抗もあるだろうし、
いろんな情報に惑わされたりして不安になったりもしますよね。

 

でも別の領域が深く理解できれば、そこには748さんのおっしゃる
「正」「邪」とかの二極性のものは存在できないことがわかります。
で、アストラルとか天使のチャネリングとかそういうのもあるみたいですけど、

そんなのも結局は幻想です。

それが楽しいうちは全然かまわないと思いますけど、振り回される必要はないです。

あと、別の領域について、「無」になる感じしかわからないって方がいらしたけど。。
透明な光の中にすべての色が含まれているように、その「無」のなかに愛とか無限とか
そういった質が含まれてます。

だから、愛を感じたり、無限の広がりを感じたりというのは、無色の中から赤や青を
拾い上げるようなある意味、一つの側面を切り取ったものでしかないともいえます。
私はそういうバリエーションを意識して感じるのがたのしかったのだけど、
漠然とした感覚に浸るだけでもいいと思う。

 

755 :もぎりの名無しさん:2011/02/27(日) 11:22:42 ID:N5t2N1q60

別の領域に気づく道ってたくさんあるんだなー
僕の場合は、どんなに状況や気持ちが疾風怒濤でも、自分の中に無風の場所があるってことを
意識したら、別の領域が見え始めたところです

そんなときにpsg5Ebes0さんの書き込みを読んで、「自己観察の場=別の領域」っていうのも、
いいアプローチだなと思いました。参考になりました

 

792 :もぎりの名無しさん:2011/02/28(月) 15:11:40 ID:psg5Ebes0

≫755

≫僕の場合は、どんなに状況や気持ちが疾風怒濤でも、自分の中に無風の場所があるってことを
≫意識したら、別の領域が見え始めたところです

 

あ、わかりやすい表現ですね。
自分の感じたことを言葉にすると、わかりやすく伝えようとしてるのに限定されてしまう
部分もあって難しいです。

 

757 :もぎりの名無しさん:2011/02/27(日) 11:26:36 ID:MtXnLyvU0

 

別の領域を感じる…今今メソッドなんですけど、やってみるとただ単に「無」になる感じなんです。
これが別の領域?なんだか分からないな~。やった後はしばらく頭ポケーってします。

 

画家さんが、良い気分や幸せ感っていう感情ではなく、
神とか根源に繋がるフィーリングのようなもの…と言ってるから
特別に何か感じるものがなくても良いのでしょうか。

あと、イライラしたり不安になったり、その時の感情を感じ取るというのも難しい。
感じ取る・・・私はただ「あー今イラついてるな」とか「○○について不安に思ってるなー」って
思うだけなんですが、それは「感じとる」とは違うのでしょうか。

 

もっとしっかり感じきる、というかイラついてるのも消えるまで感じた方が良いの?
でも忙しい時にいちいち落ち着いて自分に向き合うのって難しい。

 

792 :もぎりの名無しさん:2011/02/28(月) 15:11:40 ID:psg5Ebes0

≫757

≫私はただ「あー今イラついてるな」とか「○○について不安に思ってるなー」って
≫思うだけなんですがそれは「感じとる」とは違うのでしょうか。
≫もっとしっかり感じきる、というかイラついてるのも消えるまで感じた方が良いの?

 

イライラしたり不安になったりしたときに、その感情を「感じとろう」とか「許そう」とか
そういった働きかけをする必要はないです。「○○について不安に思ってるなー」と気づいたら、
「ああ私いま自分の反応に気づいてるな」っていう自覚があればいいだけです。

 

それだけでその感情が収まるときもあるし、収まらなくて感情に巻き込まれて
苦しいときもあるかもしれないけど、それを観察してる自分さえ意識できてれば
段々それも出てこなくなります。

 

感情ってパターンなんですよ。
いろんな出来事を通してその感情を味わうことになるのでなかなか気づけないんですけど、
元になる観念が解消されれば、以後そのパターンに反応することはなくなるんです。

 

自分の感情に気づき続けていると、あるときふと、自分が何に反応してるのかとか
自分の観念に気づくときがあるんですけど、それに気づいた時点でその観念が消えていくんです。
「感じきる」はそれを集中的にやることなんじゃないかなと思います。

 

802 :もぎりの名無しさん:2011/02/28(月) 22:26:30 ID:89rhP9eI0

≫792さん。
気がついた時点で観念は消えている

ならセドナの「手放しますか?」→「はい」or「いいえ」のプロセスも別に
重視する必要もないって事ですね?

 

804 :もぎりの名無しさん:2011/03/01(火) 01:48:49 ID:psg5Ebes0

≫802
セドナに限らず、手放せるときというのは、自分の深いところでの
気づきがあったときなんじゃないかと思います。

 

「手放しますか?」で自分の反応を探ることで、自分に気づきを促すためのアプローチじゃないかな。
セドナは自分で決定して手放せた実感があるなら、その人にとって有効な方法だと思います。

 

で、セドナをやってると簡単に手放せるときと、なかなか手放せないときがあると思うんですけど、
なかなか手放せない観念というのは、深い部分で気づきたくない、認めたくない観念が絡んでいて
無意識にスルーしているので、そこに気づけないうちは手放せないんです。

 

その部分に気づくまで繰り返し取り組んでいくのもひとつの方法だとは思うんですが、
そうなると観念探しゲームが始まって、しんどい人もいるんじゃないかな。

自分を観察していると、自分の反応パターンに気づくことで手放せるんですが、
これも結局は深いところでの気づきが必要だと思います。

 

なので、何かをすることで実感を得たいならセドナはいいと思います。
でも、せっかく「別の領域=自分に気づいている意識」に気づけたなら、
お任せしてみてはどうでしょうか。

別の領域に浸っているとわかると思うんですけど、「問題」に取り組めないんですよね。
なら「問題」の側から「気づき」をさがすよりも、喜びや心地よさの側にいて
自分に気づいてるほうが楽ですよ。

タイトルとURLをコピーしました