209 :幸せな名無しさん:2014/03/13(木) 23:57:41 ID:8pp9TGe.0
詭弁さん、質問です。
なる、などの直結はどうお考えですか?
自愛の話みたいにすこし詳しく聞いてみたいです。
なる、は、今すぐなる、なったので、願望が願望でなくなるしすることなくなり普通に過ごす、です。
普通に過ごす、その点でいえば詭弁さんがはじめにいってた100%の話とかぶりますが、同じでしょうか?
相違点があるとしたら、詭弁さんからのなる、への見解が知りたいです。
現象化への論点はいりません。
212 :詭弁:2014/03/14(金) 00:41:48 ID:akM1F/tk0
≫209
なるはシンプルだから、詳しい説明はあまりないな。強いて言えば
「現実がxである。故にyになっている。」という理屈を、
「yになっている。」にすること。完全なる自己完結。
「そうであること」に対する証明をしないの。
332 :幸せな名無しさん:2014/03/18(火) 19:46:55 ID:yyGlN6dI0
長くなりましたすみません…
詭弁さんのまとめを読んだのがきっかけで、世界が内面の投影で、全てあるということが
“頭では”わかりました。腑に落ちたというか「1+1は2だよね…」って感じに近いです。
ただ頭でわかっただけなので、思考で「内面の投影だから全てあるんだな」と誘導すれば
多少ポジティブな感覚を感じるという状態です。
とにかく頭で考えているので矛盾が生じてしまうのです。
やっぱり現象化を求めてしまうんです。求めても求めなくても関係ない、ということもわかります。
でも内面の投影なんて今に始まったことではないですよね。
全て在るのもわかる、あの人もあの人も投影だと思うと多少「私」が薄れる感はあります。
認識の変更(立ち位置の変更)がなされた状態なのかな思いますが、
別の領域とエゴの挟みうちというか迷子のような気分です。
認識が変更されれば内面も変わる、内面が変われば投影も変わる…
ここで「変わっても変わらなくてもいいけど」みたいな状態になれたらいいのでしょうが…
部屋にいて遊び道具はなんでもあるけれど
体が動かなくて何も手に取って使う事ができない…みたいな気分です。
ここはコントロール欲なのかなと思います。全て在っても結局自由にはならない…
「私」がいなければ何も問題はないと思います。
素敵な物がたくさんありますし別の人間という形で私の願望が実現されています。
ただ自分の人生・生活があるので全て在るから
現象内で苦しんでてもいいやというようにはなれません(苦笑)苦しみにのまれてしまいます…
どうしたらいいでしょうか
361 :詭弁:2014/03/19(水) 03:45:35 ID:MZwXCiSo0
ちょっと気になったんだけど、『偽りのあなた』がいなくなれば、
『1+1』という表示はただ『1+1』でしかないよ。
なんで、『1+1』=『2』なの?なんで、答えを出せるの?
それが分かれば全ての答えになるよ。
本当は、なにも始まってないし、何も終わってない。
何も不足してないし、持っているものも何もない。最初からずっと、そうだった。
ゲームは終わる。いや、終わらせるゲームが幻想であるとわかる。
なぜ1+1が2だとわかるのか、なぜ今が不足しているのか、
なぜ現象化を求めるのか、なぜそれを幸せだと思うのか。
偽りのあなた(思考と感情)は何に踊らされている?
ということで、寝ます。
362 :幸せな名無しさん:2014/03/19(水) 04:02:13 ID:KX9R0eAo0
なんで、『1+1』=『2』なの?なんで、答えを出せるの?
源泉が与えてくれるから
自分が考えたように見えて、実は全て源泉から来てるんだよね
だから、自分がこれをするんだ!この感情、思考を操作するんだ!とやらなければ良いのだと思う
やってしまってもそれらは源泉が起こしたことだという視点にあれば良いのでしょう
365 :詭弁:2014/03/19(水) 11:58:23 ID:MZwXCiSo0
それも確かにそうなんだけど、もうちょっと言うと記憶があるからだ。
我々の思考や行動、そして感情というものは、常に記憶という名の枠に絶対的に押しとどめられている。
そこは絶対に越えられない。
思考や感情は『見たもの』ありきという呪縛からは逃れられない。
なぜそれを幸せだと思い、なぜそれを不足していると思い、
そもそもなぜこの文字の羅列が理解できるのか。
全部過去ありきなわけだ。
思考や感情はストーリーに踊らされるしかないから、そこを起点にしていたら
いつまでも狭い世界でずっとストーリーに踊らされ続けるだけ。
思考や感情は、そういうものなの。
だからまあ、思考や感情が~しているというより、思考や感情は(記憶によって)~させられている、んです。
常に。選んでるんじゃない。記憶によって全て選ばされているの。
勝手に起こるものといえばそうだし、源泉から勝手に湧き出てきてるというのも間違いじゃない。
例えば、街中で自分好みのタイプを見つけたとして、その人に一目惚れしたとする。
そして声をかけようとするが、恥ずかしくてできなかったとする。
この場合、そもそも、自分の好みのタイプだと思うのも記憶の産物であり、
その人とは初対面というのも記憶の産物であり、付き合えたら幸せだなーとか、
まだ付き合ってないとかまだ結婚してないとかいうのも、恥ずかしいというのも、
だから声をかけられないというのも全て記憶の産物であり、その逆さえも全て記憶の産物なの。
で、これを読んで考え方が変わるのも記憶の産物なの。
だからどうしたっていえば、全ては記憶の産物であって正しい判断ではないということだよ。
何々だから幸せってのは、全部記憶の産物であって、普遍的なものじゃないの。
水を飲めることに大した幸せを感じないのは、我々の記憶のせいで、
逆にそこに大きな幸せを感じるのも、その人達の記憶のせいなの。
ゆえに、何々だから幸せーとか不幸だーなんて、結局は記憶に縛られた極めて限定的なもの。
記憶が変わればいとも簡単に形を変える。そして、そこを信じるということは記憶を信じるということでもある。
記憶という前提上でしか振る舞えない思考や感情という部分に
自分を同一化するということは、記憶を真実とすることなんだよ。
368 :幸せな名無しさん:2014/03/19(水) 13:24:46 ID:OdDUkScY0
≫361 詭弁さん
なぜ『1+1』は『2』なのか。
『1+1』はただあるだけ。それを勝手に解釈して計算している『2』は脳内にしかない。
現実も景色や物があるだけで勝手に解釈しているということでしょうか。
思考と感情は何に踊らされているか…少し考えてみましたが難しいです。
思いつくのは“未来”でしょうか…
環境には恵まれているので本当に例えば永遠に今日の状態なら安心です。
でも未来を考えてしまうと今のままではマズイのです。それで焦ってしまいます…
370 :詭弁:2014/03/19(水) 13:50:37 ID:MZwXCiSo0
≫368
未来というのも間違いじゃない。
前後のレスでも書いているが、思考と感情は、『時間と記憶』という概念に踊らされているんだよ。
思考と感情は、そこから抜け出ることは不可能だ。
あらゆる人の思考も、感情も、行動も、それによりほぼ決定されている。