U4氏-11/あなたが油断する事によってその鉄壁の確信によるガードを緩めればよい

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90 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/07/25(月) 15:09:03 lN6BKD.6O

俺もc/U4/~に聞きたい。
特定の人が好きになったんだけど、俺から何もせんでも向こうからきてほしんだけど、どうしよう??
まぁ特定の人に限らず、色んな所で好みの人ってのには出くわすもんだけど、
「俺からいかなきゃ」っと思いがあって10回に一回はいくんだけどいつもダメなんだ。

で、うまくいく時って大概俺からアプローチせんでも向こうからきてくれるんだ。
はっきり言って俺はシャイだからそっちでいきたい。
俺からいかんでも好きな人からアプローチされる方向でいきたいんだ。
これ程楽な事ってないだろうし。

今回の場合、特定の人を好きになってしまったのだが、もう会えるか分からない。
連絡先も分からず、聞こうと思えば知人ルートで聞けない事もないが、その「聞け」と煽ってくるのも
おそらくエゴだろうし、聞いてもなんかうまくいきそうにない感じもエゴからだろう。

何とか向こうからきてくれる手だてはないものでしょうか??

不可能な事ではないよね?俺の恋愛の基盤として
「好きな人には俺からいかんでも黙ってても逆に好かれて相手からくるから大丈夫」
的なスタンスでいきたいんです!!

123 名前: 81 投稿日: 2011/07/30(土) 23:43:21 ID:c/U4/Npg0

>>90
~エゴからだろう。

とか気にしなくていい。
それを気にするという事が、あなたの意識におけるエゴのボリューム上げてるようなもんだ。
それはそれとして、「エゴですか。そうですか。」ってほっておけばいい。
ただのバックグランドミュージックだと思っておけばいい。

で、まず「自分から行きたくない」っていうところからいきなり入っているのはなぜだろう?
それは「自信がない」っていう部分があなたの中で強調されているからだ。

なので、まず根拠なしに自信を持つ。「俺はイケてるぜ」てな具合に。
しかし、あなたのバッググランドミュージックは言うだろう。
「俺にはあれがない。こういう部分が短所だ。だから俺は自信など持つべきではない。」と。

だから、バッググランドミュージックを納得させる必要はないのだ。
根拠なしに、そうすれば、それを証明するものが出てくるのだ。
そう振る舞うのだ。そう振る舞う(behave)という事はそれを持っている(have)という
状態(be)なのだ。わざわざ嫌な役を振る舞う事はないのだ。

そうすれば、あなたは自分から行くかもしれないし、実際に自信を持つだけの理由を
持ったあなたに向こうからくる、という経験をするかもしれない。

もう一つは、あなたにとって魅力的なその人と接する事にハードル(重要度)を上げ過ぎてしまう事だ。
「その人と接する事はとても困難なミッションだ」とする事で、あなたの中で非常に難しくなってしまう。

ミスは許されない。ミスは許されないという事は、怖い。
しかし実際はそこらへんのおっさんとコミュニケーションをとる事と、
その魅力的な女性とコミュニケーションをとる事に、なんら変わりはないのだ。

だから、そこらへんのおっさんだと思えばいい(無理かw)。
ただ、それは無理だとしても、その難易度を上げているのは自分だと知っておく事は
あなたにとって役にたつだろう。

あなたが感じるプレッシャーとは、あなたが設けたハードル(重要度)と
あなたが出来ると認定している事(自信)との差分なのだ。

だから、ハードルを下げるか、自信を持つかすれば当然あなたが感じるプレッシャーは
小さいものとなるのだ。つまりあなたは難易度をいじれるのだ。

780 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/09/18(日) 13:14:51 YWaRQphk0

私の場合
「もうだめだ、願いが叶わなかったら死ぬしかない。答えがはっきりする時、それは死刑宣告だ」
と、どん底だった時に願っていた以上の素晴らしい形で願望が実現して
「この願いは大丈夫。絶対叶う。確信がある。余裕余裕」
と心が軽く手放し状態だった時願いは叶わず最悪な形で終わりました。

引き寄せ的には後者のメンタルでいたほうが叶いますよね?
どうして真逆のことが起きたのでしょうか?

948 名前: 81 投稿日: 2011/10/11(火) 19:43:48 ID:c/U4/Npg0

>>780
これも俺宛てっぽい感じなので一応レスさせてもらう。

まず俺が>>771 >>772に書いたことは「現状こうである」という「認識」に対するものであって、
「願望」に対するものではないからね。そこをはっきりさせておきたい。

いわゆる「自我」あるは「エゴ氏」に願望実現能力はない。
たとえ実現させたように思えたとしても。

そうであるならば、自我が願望そのものに対して出来る事はないわけだ。
「願望」に対して何かをしたら叶ったということはないわけだ。

よって、自我という立場からすれば、実現は自分の管轄外であるわけだから
唯一出来る事は、さっさと手放すという事になる。

しかし、なかなか手放せないわけだ。
なぜなら、願望の重要度が非常に高いからである。
別の表現で言えば、執着しているという事になる。

とはいえ、今現在、執着しているからといって叶わないというわけでもない。
なぜなら、あなたがいつ願望として監視している手を緩めるかはわからないからだ。

ふと別の事に気を取られている間に、監視を緩めるならばそれはあなたの手から離れる。
好きな事をして楽しく過ごすのがいいよ、何ていうのはまさにこの監視を緩めるのに
効果を発揮するわけだ。

執着していても叶うことはあるとはいえ、より素早く叶いやすくするために自我という立場から、
「願望」そのものに対して出来る事といえば、重要度を下げるという事になる。
これは、どうしてもピンポイントで願望を狙い撃ちしたい人向けである。

具体的にメソッドを上げるなら、捻くれ者さん式 or 「なる・直結」という事になる。

949 名前: 81 投稿日: 2011/10/11(火) 19:44:45 ID:c/U4/Npg0

(つづき)
自我という実現能力のない立場からは「願望そのもの」に対して出来る事は少ない。

そこで必然的に、よりやり易くよりオートマチックなアプローチは何か、というと
「現状という認識」に対するものになるわけだ。

こっちの方が、自我という立場からすればより主流になるといっていい。
自我というよけいなものを抱え込む性質を持っているものから、不要なものを捨てるという事。
そうする事で、実現能力のある方の力を使いやすくなるからだ。

これが、>>771>>772のようなものであったり、自己観察やら瞑想だったりするわけだ。
あるいは、自愛(というより愛)もまたその一つ。

自分が抱える「現状はこうだ」「これが必要だ」をいかに捨てられるか、
いかに抵抗をやめるか、手綱を緩めるかという事がポイントになってくる。

で、あなたが書いているアプローチはいずれも願望そのもの対するアプローチとして話だ。
つまり前者の方の話。だから>>771>>772とは少し方向性が違う。

>「もうだめだ、願いが叶わなかったら死ぬしかない。答えがはっきりする時、それは死刑宣告だ」
>と、どん底だった時に願っていた以上の素晴らしい形で願望が実現して

これはまさに強いられた捻くれメソッドという事になる。
追い込まれたときほどこういう事になりやすい。

リアトラ風にいうならば、「願望が叶わない状態に十分になじむ」という事だ。
あなたは追い込まれる事によって、ほぼ間違いなく「そうなるだろう」(叶わない状態)と覚悟した。
そして向き合った。十分にその「叶わないだろう」という状態に慣れたわけだ。

この叶わない状態に馴染むという事が、まさに重要性を引き下げる。
それは抵抗と苦しみを感じただろうが、結果として不必要に上げ過ぎた重要性を解除した。
過剰ポテンシャルを取り除いたという事になるわけだ。

>「この願いは大丈夫。絶対叶う。確信がある。余裕余裕」
>と心が軽く手放し状態だった時願いは叶わず最悪な形で終わりました。

これは手放しとはいわない。
手放しとは「叶ったらいいな、でも叶わなくてもいいや」である。
これはただ表面的な思考で後押ししてるだけである。
しかし何度も言うように、表面的な思考に実現能力はない。

最後の、「最悪な形で終わりました」という一言が、「叶わなかったら困る」と思っていた事を裏付けている。
そしてそれは重要性を上げていた、つまり依然として願望としての形を保持したがっていたという事である。

よって、なぜ真逆のことが起きたのか、という事だが、まずアプローチしてる側面が違うという事、
そしてそのアプローチにおいてはあなたに起きたことは十分に法則通りである。

どうしてもその方向性で行きたいならば、その追い込まれた時にあなたがやっていた事は十分に参考になる。
多少の苦しさを伴うけどね。

966 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/10/13(木) 10:34:08 V.wtXZnM0

U4へ質問。
例えば大金が欲しいとする。

そんなときに神・宇宙・別の領域に全て任せると一時気持ちは楽になる。
もう自分では何もできないことを知っているからだ。

しかしだ、現実に働いている。もうこれが辛いんだよ。吐くくらいに。
何もしなくていいのに、任せているはずなのに、いつまでも貧乏、苦労している自分を演じている。
自分のなかで矛盾している。

これを解除したくても、働かなくてはいけないし、買いたいものは買えないし、請求書がバンバン来る。
この現実(幻想?)をどうすればいいんだろう。

どうもしない・・・たしかにどうも出来ないから対処はしない。
任せる、だが、、だからといって何かが変わるわけでもなく、何日も何日も同じ日が続いている。。
一日が辛過ぎる。

今ある充足を見ると(いいこと日記等)ちょっとは気分が和らぐ。
しかし、、、現状は変わってない。このジレンマから抜け出したい。

全力での経験?全てを破棄している時はある。
それは寝ているときだ。永遠の眠りにつきたい。。。
しかし今生きている。生きることがこんなに辛いとは思わんなんだ。

自分で何を書いているのかもよくわからなくなったな。

983 名前: 81 投稿日: 2011/10/15(土) 00:42:01 ID:c/U4/Npg0

>>966
結局のところ、邪魔なのは、その「確信」なわけだ。

「毎月これぐらいしか収入は入ってこないだろう」
「不労所得は入ってこない」
「これぐらいは金がかかる」
「これぐらいしか手元にはのこらない」
「仕事はしんどいものだ」
「明日の仕事もしんどいだろう」

どれだけ神におまかせしたつもりでも、あなたはそれを「確信」してるわけだ。
あなたはそれを「知ってるよ」というわけだ。

あなたがそれを「知ってるよ」という限り、別の領域側からしたら「そうですか。」
という事になるわけだ。それが信念として活性化されている限りは、お任せしたつもりでも
実際は入ってこれないわけだ。

よって、その確信を強めない方がいいわけだ。弱めていった方がいいわけだ。例えば、

「毎月これぐらいしか収入はない」→「毎月これぐらいしか収入はない」と俺は確信しているようだ
→「毎月これぐらいしか収入はない」・・・のか?→毎月の収入に関してはよくわからない
というように。

この一連の流れを一言で表すと、「認定を取り下げる」という事になり、
これをあえてパターン化された行動としてメソッド化するとしたら
自己観察、すなわち確信の外側にでる、という事になる。

ただし、無理にやろうとすると、その信念に抵抗する事になり
かえって強める事になるので、あくまで力を抜くようなつもりで。

そしてこれは、お金の事が頭に浮かんでしょうがない時にやればよい。

984 名前: 81 投稿日: 2011/10/15(土) 00:42:57 ID:c/U4/Npg0

(>>966続き)
ところで信念は、常時 ON なわけではなく、あなたが意識を向けた時にONになる。

水面を指でツンとつついたときに水面に広がる波紋を思い浮かべてみればいい。
あなたが意識をそこに向けた時に、その周辺の信念が活性化されるわけだ。
そこであなたの確信が強められるわけだ。

これはエイブラハムの引き寄せの法則における
「それ(思考)自身に似たもの(思考)を引き寄せる」ということだ。

やっかいなのは、「お金」というものが色んな側面を連想させやすいという事だ。
人によっては、「税金があがります」なんていうニュースを見ただけで

「なんだよ、もっと収入が減るじゃないか」

「毎月これぐらいしか収入は入ってこないだろう」
「不労所得は入ってこない」
「これぐらいは金がかかる」
「これぐらいしか手元にはのこらない」

という風に周辺の信念を活性化させてしまう。
引き寄せという事に関しては難易度は変わらないものの、
このバババっと連想させてしまうのが、お金に関してはやっかいな側面である。

とはいえ、そんなに難しく考える必要もなく、
あなたが油断する事によってその鉄壁の確信によるガードを緩めればよいのである。

985 名前: 81 投稿日: 2011/10/15(土) 00:43:40 ID:c/U4/Npg0

(>>966続き2)
ここで、俺がまだ引き寄せに何の興味もなかったころの話。

********************************

当時の俺も、まさに一か月の収入はカツカツだった。
毎月何とかやっていけてるというような状態で、徐々に追い込まれていった。

その時の俺は、ちゃんと節約もしていた。
食費やら光熱費やらをチェックして、出来るだけ使いすぎないように、といつも心がけていた。
にもかかわらず、たまにバカ食いしてしまったり、飲み代に使ったり、あるいは
ケータイ代が高くかかったりで、まるで何かに誘われるかのようにいつも
カツカツの状態に追い込まれていた。

そしてやばいやばいと思いつつ、ついに追い込まれてしまった。
来月のすべての支払いを計算した結果、明らかに間に合わないのだ。
その当時は光熱費なども遅れて支払うようになっていたため、これで間に合わない
となると止められてしまう。

不労所得など得られるはずもない。
当時の俺は、金を借りようという発想もなかった。
金を借りるという事自体やってはいけない事だと思っていた。

やばいやばいと恐怖していた時。
会社の同僚からあるゲームをやろうと誘われた。同僚4人でやりたいからお前もやれと。

そんな場合じゃねぇよと思いつつ、なぜかその話に乗ってしまった。
ただでさえ金がないにも関わらず、なぜかそのソフトを買ってしまったのだ。
そしてハマった。思った以上に面白かったのだ。本当はそんな事してる場合ではなかった。
むしろ会社に黙ってバイトでもすべきだったのだが。。。。

暇さえあればそのゲームをやっていた、というぐらいハマっていた。
もちろんお金の事は依然として気にはなっていたのだが、「もういいや、わかんねぇ」
というような心境だった。

それから約10日後ぐらいだったと思う。
「なぜだかわからないが」、知人から50万を貰った。
知人といってもそれほどの仲でもない。なぜ俺に金をくれるかわからないような
人が50万をくれたわけだ。なにやらデカイ金が入ったらしいのだが。

****************************

まぁこの当時の俺は引き寄せなんていうものは知らなかったし、何の興味もなかったのだが、
今にして思えばなかなかよいメンタリティだった。

50万などたいした額ではないが、当時はまだまだお金に関しては様々な条件付けを持っていたし、
当時の俺にとっては非常にありがたい金額だったのだ。

これを偶然で片づける事もできるだろう。
だが、このような事が起きたのはたった一回だけではなく、何度も起きたことなのだ。
世間一般では、お金は労働の対価として見なされるだろうが、
実際は思われてる以上に不労所得のルートは無限に開けているのだ。

具体的事例の弊害を避けるために一応念を押しておくが、これをこのままなぞろうとは思わないでくれ。
使えるのは、あくまで心理的な部分のみである。

986 名前: 81 投稿日: 2011/10/15(土) 00:44:47 ID:c/U4/Npg0

(>>966続き3)
さて、このゲームにハマっていた時の俺は、
お金に関する信念をまったく活性化していなかっただろうか?
お金に関する事に一切意識を向けていなかっただろうか。

そんなことはない。
が、お金に意識を向ける回数は明らかに減っていただろう。
なぜか。別の事に興味がとられていたからだ。お金の残高にばかり向けられていた興味が
別のところに移っていたというだけである。お金に関するあたりの水面をつつく回数が
減っていたというだけである。

つまりガードが緩んだ。
お金が入ってくる事を徹底的に防いでいた、徹底的に論破していた信念という
確信のガードがわずかに緩んだ。それだけだ。

そのガードの隙間から、「なぜだかわからないが」が入ってくる。
だから、ガードを緩めること。

「俺は知ってるよ」と言わず、「どうなるかわからんよ」という態度が好ましい。
もっとゆるキャラになれ。

また、意識を向ける、水面をつつくというのを上手く利用するとすれば、
「完璧だ」「この状況は私にとって素晴らしい」という認定、選択を使う。

たしかに、それまでその周辺の信念は活性化されていないため、すぐには出てこないかもしれないが、
そこに何度も意識を向けるならば、いずれその周辺の信念が生き生きとしてしてくるものだ。

そして一番いいのは、興味が他に移る事である。
興味が移ることで、相対的にガードが緩む。

いずれお金に関して抱いている不要な確信が捨て去られていくならば、そういった事を
気にする必要もなくなる。そしてお金が入ってくることでお金に対する重要性もさがり、
ますます入りやすくなる。あとはおまかせあれである。

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