U4氏-4/もっとトータルで疑う、「目の前に人がいるけど、全然違うのかも」

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296 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2011/06/17(金) 00:00:34 ID:9cAXdHHs0

245さん
患部をとりわけ丁寧に処置するような、丁寧な解説に感謝です。
今読んで数分実行しただけなんですが、ちょっとひっかかったので質問させてください。

今日ちょうど不都合なことがあったので、それについて「現実を疑う」をやってみました。
「本当にそれは真実か?本当に本当に本当にそうか?」と。

が、エゴからするとどうしても「本当に決まってるだろ!!」の一点張りで、
疑うと揺らぐどころか強化される感じがします。
「お前が実際は違うって言ったって俺が五感でこう感じてるんだからそれが真実だ!」と。
疑う方が負けしてしまうというか。

「疑う」って現実を生きてる身からすると「何か怪しい・違うかも」と感じるからすると
思うんですが、確実だ!絶対だ!と思っていることを疑おうとするのって難しいです。
疑う「フリ」みたいになってしまいます。

こういう人はあまり「現実を疑う」は向いてない、ということでしょうか?
(現実、記憶)←→(それに対応した私)でいうと、右側へのアプローチした方がいいのかな。

それとも、とりあえずそれでも疑ってみようという姿勢でいることで変化が起きてくるでしょうか?

勢いで質問しましたが、理解不足ですみません。
まだ何回か読みなおそうと思ってます。

今思ったんですが、ホログラフィックユニバースとかそういった文献をいろいろ読めば
エゴも揺らぎやすくなりそうですね。
知識での理解でもって、そっちの方にもってくってのもありですかねー。

 

309 名前:245 投稿日:2011/06/17(金) 10:31:53 ID:ipDYVi8c0

iphoneより

>>296
ん~なるほど。

まず>>283-290全体で感じてほしいんだよね。何を云わんとしてるか。
そして全体の流れを見てほしいんだが。

これはおそらく、だけど、「で、結局何をすればいいんだ?」という感じで読んでしまうと、
「何をするか」、やり方ばかりを探して読んでしまうので他のところに目を通していても、
頭に入ってこないんだよ。華麗にスルー状態になってしまう。

むしろチケットにしろデバッグにしろあるいは、質疑応答にしろ、
「どういう状態なんだ?」「どういうメンタリティなんだ?」「どうあればいいんだ?」
という感じで読んだ方がいいわけ。それが読むときのコツ。

そうでないと、趣旨がわからず、デバッグなんかは特に「要するに神にお任せすればいいのね」
っていう要約で終わってしまう。

そうじゃないんだよ。
「何をするか」ではなく、「どうあるか」、ここにフォーカスするんだ。
あなたが興味を持つポイントを変えるんだ。じゃないと、読んでも読んでも意識に入ってこないから。

という事をまず念を押したうえで、

>「現実を疑う」をやってみました。
>「本当にそれは真実か?本当に本当に本当にそうか?」と。
>が、エゴからするとどうしても「本当に決まってるだろ!!」の一点張りで、
>疑うと揺らぐどころか強化される感じがします。

まず、それは「現実を疑う」には程遠い。
それは単に不都合な記憶を消そうとしてるだけだ。

不都合な記憶をエゴでもって消そうとする行為、それにただ「本当か?本当か?」っていう
言葉をのせてるだけ。「フリ」みたいになってしまいますってあなたが感じてる通り。
そして強化されてると感じてるのもその通り。あなたが感じている事は、全て正解だ。

それは相手の顔面をなぐりながら、「ありがとう、ありがとう」って言ってるのとなんら変わりないw
で、「おかしいなぁ感謝してるのに「フリ」みたいになってしまうんだけど」って言ってるようなもんだw

もう一度目を通して欲しいのだが、「現実を疑う」のねらいは?

「リアリティを取り除く」


「どんな現実なのかわからない」←→特定の不都合な「○○な私」を選ばない


別の領域にお任せする余地を広げる

という事なんだ。

だから、自分が今どんな「○○な私」を選んでいるかな、
なっているかなという事を意識することが大事だ。

そして「叶えるためには駄目」の真意のところ。
あなたがやっているのは、「その記憶を現実じゃないものにするために」、
疑ってるような言葉を心で発した(実際は消そうとした)。

この時の立ち位置は?
「その記憶を現実じゃなくそうとして、”疑うメソッド”をしてる私」だ。

つまり、その前提は「現実だと信じている私」だ。
そう、あなたがやっている事はまさに、「今」、「その現実にリアリティ」を与えている、だ。
つまり真逆だ。本当に強化してるんだよ。あなたが感じている事はとても正確だ。

だから、右側からと左側からのアプローチと書いたけれど、それは俺の書き方が悪かった。
そこはそれほどこだわらなくてもいいのかもしれない。
そもそも右側と左側は密接につながって連動しているので、どっちをやっても反対側が
やりやすくなるようになってる。だから、右と左は兄弟のようなものと思えばいい。

だから「現実を疑う」という事は、「今」、現実に即して採用してしまっている
「○○な私」から外れようとすることだ。そこを意識する事だ。

そういう意味では自己観察と連動してると言っていい。
そして、あなたが今なっている不都合な「○○な私」を一つでも多く外すということだ。

つづく

 

310 名前:245 投稿日:2011/06/17(金) 10:34:07 ID:ipDYVi8c0

つづき(iphoneより)

さらに言えば、おそらくその不都合な事というのは、未来に影響する事ではないかな?
なので、本当はあなたがやっているのは、その過去にリアリティを与える事ではなく、
その過去に基づいて「この後こういう事が起こるのではないか」「こういう状態になるのではないか」
という事に、未来にリアリティを与えようとしているのではないかな。
だから、アラームが鳴るわけだ。それを信じるんじゃないよ、と。

本当は、その感情が小さいうちにやって欲しいのだが、もう完全に現実としてリアリティを
与えてしまったと、「間違いなくそうなる」と確信している場合は、当然強いネガティブな感情がくる。
完全にその「○○な私」から外れられない状態だ。

そういう時は「感情」を感じる、という対処になる。
「感情」を感じるは、108さんの胸のあたりでただ思考を働かせずに感じる、もしくはまさに
あなたが信じようとしていることをそのままアファーメーションにして感じる。
「この後、絶対こうなると思います」と。

あなたがリアリティを与えているんだ、という事を意識して感じる。
「俺はこう信じているんだぞ」と。こうする事で、そのあなたにとっての
絶対的な現実と少し距離を置けるだけの余地が生じてくる。

まぁ、急にすぐ、現実感を取り除けるとは俺も思ってない。
最初は感情の浮き沈みを感じるだろう。

 

「疑う」って現実を生きてる身からすると「何か怪しい・違うかも」と感じるからすると思うんですが、
>確実だ!絶対だ!と思っていることを疑おうとするのって難しいです。

 

まずこの「現実を生きている身からすると」っていうトコを薄めてってほしいんだよ。
現実があって、それとは別のスピリチュアルがある、みたいな。

「現実を疑う」というのは、あらゆる意味で疑うという事なんだ。
あなたが家にいる、会社にいる、パソコンをしている、という事自体。もっとトータルに。
「俺は現実を生きてるけど、その記憶だけ疑おう、明日これが起こるかもって事だけ疑おう」じゃなくて。

「現実を生きている」っていう部分に強くリアリティを持たせると、
当然その現実内で起こるらしきものもリアリティを持たせざるをえないんだよ。
だからもっとトータルで疑う、「目の前に人がいるけど、全然違うのかも」
「今電車にのってるフリしてるけど、全然違うのかも」という風に。

そしてこの、>「何か怪しい・違うかも」と感じるから疑うという部分に関しては

4.信じると疑うの相対性を参照。「何か違うと感じるから疑う」っていうのは
まさにあなたが持たせているリアリティに素直に従ったっていうだけだ。
つまり自分のリアリティを変化させる気はないという事だ。

そ の 当 然 と 思 え る リ ア リ テ ィ 自 体 に 対 し て
ニ ュ ー ト ラ ル な 立 場 を と る 事 が
「 疑 う 」 と い う こ と だ と い っ て も い い。

まぁまだイマイチ伝わらないかもしれないけどね。それは俺の表現力の問題でもあるしね。
でも、あなたは、

「揺らぐどころか強化される感じがします」
「疑うフリみたいになってしまいます」

という風に正確に感じられているわけだから、そこを指針にすればいい。
たとえ頭の中が整理できなかったとしても、そのあなたが感じてるものは正確だ。
そこをどうやって楽な感じに、解放された感じにしようかな、というのがポイントだ。
つまり、理解なしでも感じ方に敏感になれば幸せに向かっていけるという事だ。

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