ZwCさん-6/本来は何も考えず 「全部完璧!本来何をしたって良いんだよ!自分が創造主で全部思い通りだから!」

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124 名前:1 投稿日:2014/03/24() 18:57:20 ID:ZBkcvyHg0

勝手に湧いてきた補足です

「現実を確認しない」=「現実を直視しない」
ではありません。

すごく微妙なニュアンスなのですが、現実を確認するということは
「ちゃんと変化してるかなー」と意図に対してのチェックを入れることであり、
「目の前のものが本当は起きていない」と思い込むことではありません。
現実は幻想かもしれませんと再三言っておりますが、そうかといってその対応ですと
左脳的に分析しても抑圧に繋がる可能性が非常にあります。

例えば、体のどこかが痛いとします。そこで「なる」の「健康な自分」になったとします。
しかしまだ痛いとします。その時「もう健康になっているんだからこの痛みは本来起きていない」
とすることは俗に言う「蓋」です。

それはこの瞬間確かに存在している「痛み」とそれにまつわる
「病気かな」「ずっとこの状態が続くのかな」という不安エネルギーを直視していません。
もちろん、いちいち「はい、認めました」とやらなくてもいいのですが、
現実に左右されないために現実を無かったことにするというのは何度も言いますが、蓋です。

この場合、メソッド本来の心の持ち方は
「今痛いことは痛い。しかしそれと私の体が健康でないということとは関係ない。」
「今痛いことは痛い。しかし痛みの記憶は消去されている」といった感じです。
きちんと現実は見ているけれども現実が動いているかの確認はしていませんし、
痛みによって「私は健康」の意図を取り下げていません。

「現実を気にしない」のとはニュアンスが違うということが伝わればいいのですが。

122: 幸せな名無しさん :2014/03/23(日) 15:19:42 ID:1TSdTFeY0

今までのスレ主さんの一連のお話何回か読み直して、よく分からなくなった部分があります。

「感情はただのエネルギー」、確かに、楽しい・嬉しい・面白い!といった感情も、
気づけば消えてしまう。私はこれらの感情を味わう時間が長いほど、
また回数が多いほど幸せなんだと思っていました。

ですが、ある種類のエネルギーを幸せとしてしまったら、
消えてしまうものを常に求め続けなくてはいけなくなる。なんか儚いと。
自分の今までの幸せの定義が、よく分からなくなってきました。

そうなると「幸せが先=現象が後」の部分。その幸せって何なのでしょうか。
今までだと叶ったときの感情を先取りして味わうでしたが、それはもはや
幸せではなくただの刺激なのではと思ってしまうのです。

123: 幸せな名無しさん :2014/03/23(日) 20:05:27 ID:6UpcvPSc0

少し便乗しちゃう。
よくあるその叶ったときの感情を前もって味わうってやつ。
例えば願いが、花粉症が治る、元気な自分だとする。

その時の感情を味わう…。
元気が一番、快適だ、楽しいな、なのかなぁ?
ってか、感情と現象ってイコールなのか?

なるとか、既にあるって、思うんだけど、感情いっさい関係ないよね?
ただ、自分はこうです以上みたいな。観念に近いのかなって。
ほら、自分は花粉症っていう記憶、観念があるから花粉症っていう。

ってことはだよ?1さんが言うように、潜在意識への信頼を高める思考(習慣)を
少しでも長く、それを拒むような感情(不安恐怖など)は力がないとほっとくか、
強ければ感じる。そのうち消えるから。

あとは観念。もう事務的だよね。
感情も思考も関係ない。私は元気、終了。
あとは目の前のことのみ、普通に生活。

現実確認してしまったら、あっ今までの習慣だって気付く。感情でたら上と同じ。

叶うイコール幸せ ではないなら、
もうただの事務作業みたな感じでいいよね?どうなんだろ…。

125 名前:1 投稿日:2014/03/24() 19:43:54 ID:ZBkcvyHg0

>>122 >>123
とてもお気持ちはわかります。
現在感じている疑問は、「両極性の法則」についてに大きく関係しています。
クライマックス的な要素を含みますのでどうしても文章化するのが後々になってしまうのですが、
そのもやもやに対して今言えることは「察しの通り」です。

とても絶妙なタイミングでの質問です。
実は前回までは「願望実現のノウハウ」としては頂上でした。
今までは登り坂を示しましたのでここからは下り坂になります。
そしてまた一番最初の地点に戻っていきたいと思います。

「叶いやすい願望と叶いにくい願望について」

いくら潜在意識が全てをつかさどっていたとしても、
どうしても超えにくい壁、超えられない壁というものがあります。

それは「抽象的さを欠いた信念」です。
いきなり強烈な例を出せば「人間は空気を吸わずに生きられる」「人は飛べる(何も使わず)」といったものです。
人によって差がありますが、もっと身近なものですと「顔の形が変わる(自然に)」「復縁できる」が
超えにくい壁になっている人が多いと思っています。

さらに言うと、「今この瞬間かなえる類のもの」は試したことのあるほとんどの人は無理だと思っています。
もちろんこれらの願望を叶えたことがある人もいるのは事実です。

反対に抽象的な願望というのは
「自分に自信が持てる」「異性にモテる」「好きな人と幸せになる」のようなものです。
「顔の形が変わると思いますか」という質問と「自分に自信が持てると思いますか」という質問、
どちらの方が物理的に可能性が高いと思うでしょうか。

「傷が治る」を意図したとして、意図を取り下げる行為である
「現実を確認する」を絶えずしたとしても傷は治っていきます。
それくらいにメソッドとは関係なく、私たちの当たり前とされている信念
(傷は治るもの、など)の払拭は難しいのです。

復縁で考えて見ますと、「自分に冷めてしまった人と再びラブラブになる」のと
「新しい人とラブラブになる」のはどちらが可能性高いと思うでしょうか。
前者の衝撃が大きければ大きいほど後者の方が叶いやすいと思ってしまうのはごく自然なことです。
もちろん「別れこそ相手のありがたみが再度確認できる」と心底思っている人は反対に
復縁の可能性は十分考えらると思いますが。

以上のように、願望よりも信念のブロックが大きいものはどうしても難しくなってしまいます。

しかし潜在意識は全てを知っています。
なぜ復縁がしたいのか・・・もちろん現時点ではその人ではないとありえないと思っているのでしょうが、
「執着」が判断の邪魔をしているだけで本当は「大好きな人とラブラブに過ごす」ことだったり、
その元彼が自分のステータスだったら「自分自身に自信を持つ」ことだったりします。

そういった目先の願望は、もう一つ踏み込んだ奥底の願望が叶えば関心が薄れますから
潜在意識はそこに焦点を当てます。もともとあった願望が薄れていくことは果たして
「願望が叶わなかった」状態でしょうか。

潜在意識は叶え方もベストなものを運んでくれます。
仮に「顔の形が変わる」を意図したとしても、「顔が自然に変わる」という事例を引き寄せて、
叶えやすいレベルに持っていくかも知れませんし、顔とは全く関係なく他のことで
自分に自信が持てる機会が与えられるかもしれませんし(結果的に顔への関心が薄まる)、
自然と自分の気持ちが「この顔でも全然いい!(好きな人から『その顔が好き』と言われたりして)」
と思えるように変化するかもしれませんし・・・

潜在意識は必ず解決の道、満足の道へは誘ってくれているのです。

例えば、仕事がしたくないので「今この瞬間」にお金持ちになることを意図した人がいたとします。
この場合、「お金は湧いて出てくるものではない」という強力な信念がありますので
お金の入手ルートは稼ぐか宝くじを当てるかまたは誰かがくれるか印税か・・・
人に差はあれど、こちらの方が本人にとって信念の妥当性は高くなります。

さらに潜在意識は奥底の願望(今回は「仕事が好きになる」だったとします)を知っていますので
転職の誘いが来たり、仕事に対しての見方が変わるような本に出会ったりと、
そこを焦点に現実を動かしていきます。

結局この人は仕事がしたくない訳ではなく、今の仕事が嫌いだっただけとわかります。
こういった自分の心と深く対面しないと気づかない願望に気づかせてくれるのも潜在意識の働きです。

それが焦点を「お金が今この瞬間現れること」に固執していると、
どうしても現実確認をしたところでお金が出る気配がなく、
「潜在意識なんてやっぱ信じられない」という新しい観念を生み出してしまうのです。

136 名前:1 投稿日:2014/03/27() 11:09:10 ID:cXJOPaeQ0

メソッドの登り坂の説明(前々回の時間の概念」まで)では最終的に量子力学を踏まえて、
ある願望があったときのメソッドの有効な方法(実際出来るできない関係なく)を書いてきました。

ずっと理論的に話していると見落としがちなんですが、本来は何も考えず
「全部完璧!本来何をしたって良いんだよ!自分が創造主で全部思い通りだから!」

という羨ましき感覚でいられることが一番だと思います。

ここでは敢えていろいろ分析していますが、
目的は感覚的な人と照らし合わせてみて、「何故全てOKといえるのか」の裏づけにすることです。
なので今まで私が色々話していたことは本来、感覚的な人にとっては

「何したってOK!だって絶対うまくいくんだもん!」

の一言で説明つきます。
何をしたって、というのは嫌な感情に支配されようが、自暴自棄になろうが、
行動しようがしまいが、究極的に言えば「蓋」をしようが、なんでもOKなのです。メソッドもいりません。

しかし、やりやすくて無理しない程度のメソッドならば特に究極的を目指さなくても
それと共にあればいいのではと思いますし、「蓋」に関してもなんでも上手くいくなら
逆に感じ切ってしまったり、目の前のこと素直に認めてしまった方が楽です。

涼しくする手段があるならば(絶対上手くいくならば)、明らか気候が暑いのに
「暑くない」と思い込んでそこに心理的ストレス抱えるより、
「暑いねーじゃあクーラーつけようか」(次の瞬間涼しさを選択する)でいいと思います。
「暑いと感じたら次も暑い現象が起きる」と思い込んでいるのだったら、
それはいかに自作自演かということがわかります。あくまでこれは極論ですが。

つまり、「次の瞬間は自分が決定している」のです。
それが俗に言う「選択しなさい」ってやつです。

そこで、「選択」というと「毎瞬毎瞬、理想の自分を選択したことを意識するのか」となりますが、
それをやることで疲れることなく今満たされるならばいいと思います。
ただ大抵の人は「今の自分が不満足だから」それをすると思います。

「今のことに集中」「何もやらなくていい」というとなんだか
動かず雑念なしの修行みたいなイメージになりますが、
「今やりたいことをやる」というのを詰まるところ言いたいのです。
「未来の不安、過去の自分の否定からくることを何もやらなくていい」ということです。

すると、メソッドをやりたいという人は必然と
「そのメソッドが好きだから、気持ち良いから、自信がみなぎるから」というメリット以外で
する意味が見つけ出せません。それ以外の理由でやるメソッドは義務であり、
「未来か過去を意識しているからやっている」ということになります。
つまり、そのメソッドをやる瞬間「問題を抱えている自分」を選択しているということになるのです。

「自分が何をしたって上手くいく」と本気で思えるか。
そこが潜在意識を知った人に課せられた唯一の課題
ではないでしょうか。
(←この表現は自分を縛ってしまいそうですが、もちろん「本気で思えなかった」ということすら
OKってことになります。「自愛」が人気且つ強力なのがわかる気がします。)

次の瞬間を自分が決める。上手くいく過程だったと決める。
するとそれは本当にそうなりますよという話
です。

>>122さんの質問のように「幸せ」という概念を含めるとまた違った話になるので、
それをこの後「下り坂」として書いていこうと思います。

一応おさらいしてみましたが、「じゃああれはどうなのか、この場合は違うんじゃないのか」
というものがあったとして、それが「何をやっても上手くいく」の感覚的な原点に振り返っても
説明付かないようならば残念ながら私の分析キャパオーバーとなります。

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