685 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/10/12(月) 21:21:18 ID:4sR5qCRY0
719さんのレス何度も読んでますが難しいです。
二元論は「ない」が存在してるのは今見て分かりますが、
「ある」が存在することがまだ体感出来ないです。
質問なのですが、完璧認定と感情を感じきるはどう使い分けてましたか?
私の場合は完璧認定→
エゴが騒いで苦しくなる→
それを感じきる→完璧認定→
エゴが騒いで苦しくなる→それを感じきる
とやってますが、どうもループしてるようで
上手く行っていないと感じるのですがやり方が間違ってるんでしょうか?
688 名前:719 投稿日:2015/10/12(月) 23:24:18 ID:5xbiOwg.0
>685
>719さんのレス何度も読んでますが難しいです。
>二元論は「ない」が存在してるのは今見て分かりますが、
>「ある」が存在することがまだ体感出来ないです。
>>652のレスに書いたので、参考にしてもらえると嬉しいです。
現実に「ない」が存在するという事は、「ある」が私たちの世界の基本だからです。
つまり「ない」が初期設定の世界なら、「ない」さえも存在できない。ということです。
だから「叶ってない私に気づけばそれだけでいい」ということなんです。
大本、この世界の基本、初期設定が「ある」だからこそ、「ない」が存在してしまう。
そのとき「「ない」にいた」と気づことで、選択や立ち位置の確認をしてると言えます。
これは顕在意識でも日常で自然にしている事だと思います。
AじゃなくてBにいた。
そのままBへ行くか?Aへ行くか?というふうに。
「ある」世界だから、「ない」がある。
しかし事の起こりは「ある」世界からなので、「ない」があったとしても、
それは「ある」世界がつくり出したもの、ということです。
ただ、私たちは「ある」を知覚したい(実感して手に取って体験したい)から「ない」世界にいたとか、
「ない」を叶えてたとかに、最初のうちは意識して気づいていく必要があると思います。
上記で書いたように、気づくという事が、選択や位置の確認に繋がるからです。
そして「ある」世界をつくるために、「ない」がないと成り立たないので
「ない」は厄介ですが、必要なものであり、怖れるものではないです。
私たちに「選択する」という機会を分からせてくれるもの。
ぐらいの感覚でいるのがいいかなと思います。
689 名前:719 投稿日:2015/10/12(月) 23:26:37 ID:5xbiOwg.0
>688続き
>質問なのですが完璧認定と感情を感じきるはどう使い分けてましたか?
「感情を感じる」は、私にとっていろんな意味合いがあるのですが、
まず1つめに「自分の蓋を外すこと」です。掃除みたいなものかな?
いい感情も悪い感情も、自分の中にためたくないんです。心を軽くしておきたいんです。
皆さん悪い感情だけに注目しますが、私はいい感情も同列なので、それも手放します。
そのとき、「感情を感じる」をします。
2つめに「自分を知る手がかり」としています。
1つめをしていたら、ある状況があって「感情を手放したい」と思った訳です。
この状況は私は嫌いなんだ、とかエゴがこれに騒いでるんだ、不安だとか
またこの状況なら好きだし、エゴは落ち着いてるんだ、安心だとか
そうすると「好きだな、安心だな」と思う事を、長く続けたくなるし、
欲してるモノが分かってくる、もしくは願いの輪郭がはっきりしてくる。
(こうなると思考と感情は混ざるのでブレインダンプしても面白いですよ。)
自分が何を感じて、思考しているのかよくわかります。
あるとき、何もない状況で穏やかに安心感を感じているとき
その安心感が、愛を感じていることなんだなーと気づいた時がありました。
何もないのに、私は自分の中に愛を感じるんだなと感じ気づきました。
そうゆう意味合いでも3つめの「自愛にもなる」ということです。
もちろん、私にとって、自分が感じている事思っている事を、しっかりと理解する
つまり自分軸を強固にする事、が自愛になるという事が分かったので
「感情を感じる」ことで自分を理解できて、という意味での自愛も入っています。
また余談として
誰かを「好きだな、愛してるな」と感じる、この感じることと
誰かに愛を届けるというメソッドの「好きだな」という時の気持ちを感じること
自分に愛することでの「自愛」での愛を感じること
気持ちをいうか感じる上では、まったく差が無いというか、感じるという行為に置いては同じでした。
愛は誰に向けようが、愛を感じる事は自分にも向かってるので
各達人がお勧めしてるのも分かります。愛をめいいっぱい送れと。
4つめ「今にいることができる」です。
これは以前のレスに(>>683など)書いたので省きます。
5つめ「自分の立ち位置の確認」
自分が今「ある」世界にいるのか?「ない」世界にいるのか?確認できます。
6つめ「感情を感じることは自分を大切にすること」だとも思っています。
私の世界で、私が世界一大切です。
私が死ねば、私の世界は無くなりますから、当然なんです。
これは他人に対して大柄になれ、ということではないです。
自分の世界、自分を大切にするという事は、自分で責任を取るという事ですから。
ではどうゆうことか?ですが
他人に対して思った事も全て肯定することです。
感情は何を思ってもいいはずなのに、これを考えてはダメとか、ひどい人間だとか
大切な自分が感じた事より、外への気遣いで押さえてしまう事があります。
どんな感情も素直に感じてあげる事は、その感情を大切にしてるという事です。
それはその感情が生まれた自分をも大切にしてる事に繋がります。
自分を大切にするとは、人を邪険に扱う事ではなく
こうゆう些細な事に素直になり、他人と調和するという事であると思います。
長くなりましたが、こんな感じです。
最初は「今にいよう」や「感情に呑まれない対策」として感情を感じてましたが
いつの間にやら、感情を感じる事により、いろんなおまけがついてきました。
色々と細かく書きましたが、当てはめて使ってみてください。
690 名前:719 投稿日:2015/10/12(月) 23:27:30 ID:5xbiOwg.0
>>689続き
完璧認定ですが、すごく簡単に使ってます。
「ある」この世界の価値を下げたくないので、完璧としてしまえば最上級の価値を与えられますもんね。
つまり「ある」世界の中のもの全てに価値を与えるという事です。
なので、自分を納得させるために「完璧」とする、というより
価値を与えてしまうという事ですかね。
もしくは面倒なとき「完璧」とすれば、それはもうそれで終わり、という事で使います。
ですから、「完璧」としたら私の場合「完結」なので、ループになりません。
そしてループになったとしても、この「ループになること」それ自体が完璧なんです。
「完璧」なんだからそれ以上手を加える事はないし、考える必要もない。
進んでやり続ければいい、このぐらいの気持ちでやっています。
「完璧」という言葉が堅いので、あなたの中で言葉への連想があるかもしれないですが
それすら取っ払って、柔軟に使ってください。
「完璧」としてもループになるのが完璧なんです。
なので、私の中で「完璧」とは
柔軟に何にでも付けます。こうあるべきという枠はありません。
ただ、願望が全く叶わないこの世界、願望が全部叶ったこの世界、
どちらにも「完璧だ」という価値、定義、認識を惜しみなく付けます。
「完璧」なんだから、それでいいんです。
私の小さな思考なのだぐちゃぐちゃ入れない程、「完璧」とは強固で完結されてます。
また、完璧したものへ色々とエゴが騒ぐならば、エゴが騒いだ事で「完璧になった」ということです。
エゴが騒ぐまで完璧じゃなかったのかもしれません。
完璧によって与えられた価値は強固ですが、完璧はすごく柔軟なものです。
だから完璧とは一種自愛かな?と思ていたりします。