103 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/13(日) 00:03:50 ID:/jY8oRWQ0
>>82
すごく分かりやすかったです!
ご自身のことも教えて頂いて参考になりました。
ありがとうございます!
105 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/13(日) 00:21:30 ID:B/1XcVR20
>>103
82です。ありがとうございます。
ここには本当にお世話になったので、可能な限り自分の得た感覚をシェアしたいです。
719さんの書き込みも大変わかりやすく参考になります。
私の場合はエゴとネガにまみれていたところでブレインダンプの繰り返し、
719さんのおっしゃる感情を感じ切る必要性に行き着きました。
おそらく得た体感は近いものかと思いますので、意味が非常によくわかりました。
根源的な望みに気づくと見せかけの願望は本当に取るに足らないものだったりもしますね。
安心感を得るという望みが完璧に叶った今、願望は色々とありますがどれも軽やかです。
115 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/13(日) 09:59:17 ID:wvlRwD7M0
>>96
詳しく答えていただいてありがとうございます
やはり、認識の変更に尽きるのですね
不思議な話です
なぜそうなるのか?現実での行動は変わってないのに?
自分を掘り下げるだけでなぜ変わるんでしょう
自分の行動や容姿が変わるのはわかるんですが
特定の相手が変わるのはなぜなのか
116 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/13(日) 10:54:35 ID:B/1XcVR20
>>115
82です。自分の容姿を変えるのも特定の相手を変える(便宜上そう表現しますが、あくまで
「自分の中で変わる」だけです)のも、自分に対する認識を変えるだけなので同様に可能ですよ。
可能じゃなければおかしい。
自分への認定を変えれば、見える・体感する現実が変わり、
その中の登場人物もその現実に沿って存在するのは自然な話です。
ただこの際訴えかけるのは画面の中の他人ではなく自分自身の中です。
他人を変えることは主目的には出来ず、見たい現実を選べるだけで、
そのためには自分の認定を変えるだけです。
というか、認識を変更してから思ったことなのですが、たとえ自分への認定を変更したあと
外側の相手が全く変化していなかったとしても特にショックは受けなかったと思います。
なんでも実現させてきた自分への信頼があるので。
別に今そうなっていなくてもいずれ変わるだろうと思っていました。
本気で落ち込むことがなくなったのはそういう感じです。
119 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/13(日) 11:50:33 ID:wvlRwD7M0
>>83
>私はこの自分自身への認定に沿い、
>「相手のことが好きだけどいつ裏切られてもおかしくないビクビクするべき現実」を見ていました。
>自分自身への認定に沿った完璧な現実を見ていたことがわかった瞬間、
>内面での認定が全てなのだと理解します。
>理解してしまえば後は認定を変更するだけです。
>なので、「相手のことを心から信頼し、安心し、愛する私」になりました。
ここを読んでいて自分も気づきました
私は彼と付き合っていても「深い絆がほしい。二人の関係について安心したい」と
いつも思ってたんですが、これって裏を返せば「二人には絆がないから簡単に壊れてしまう」
という不安な自分を認定してたんですね
そしてその通りになってしまったのですが
こういうのがブレインダンプで知れるというかんじでしょうか
121 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/13(日) 12:36:27 ID:B/1XcVR20
>>119
私の場合はブレインダンプ中に自分自身への認定を書き出して気づきました。
ブレインダンプせずとも、他のメソッドを利用して気づく方法もあると思います。
私は慢性的にネガもエゴも強く、自信が持てず、何かしていないと不安という性質があったので、
ブレインダンプは半年ほど習慣的に行っていました。そのため、頭の中にあることを紙におろす作業を
かなり自然に行えるようになっていました。
719さんのおっしゃる通り、ブレインダンプでは頭で考えることの限界があるため、
感情のような体感を得るには遠回りな面もあるかもしれません。
また、719さんの方式(感情を感じ切る)なら徹底すればおそらく100%認識変更に至れますが、
ブレインダンプの繰り返しで100%至れるとはいえません(アファとの合わせ技でならいけますが、
それは「なる」とはスレチになるので省きますね)
ただ、ブレインダンプを使用した方法なら、地道な顕在意識での努力の積み重ねによって
認識変更に辿り着く事も不可能ではないと、今回の体験から思います。
自分の中にある感情・本当の望みを理解でき、自分の認定が全てと分かれば手段は何でも良いんです。
でも、119さんはもう気付いているから大丈夫ですね(*^^*)あとは自分を信頼し、安心できれば大丈夫です。
133 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/13(日) 20:29:05 ID:B/1XcVR20
>>82ですが、本願とは別の所で動きがあったので少しご報告します。
私は身体の病気によるわかりやすい外見の特徴がありました。
これが非常にコンプレックスだったのですが、認識変更をした際
「私は○○さんの自慢の妻」と考え、それならついでに外見のことも認定を改めようかな?と思い
「私は可愛くて人によく好意を持たれる容姿」と漠然と認定してみました。
手はこう、足はこう、などと細かく決めていると「ない」にフォーカスが当たった時辛くなるかなと思ったので。
鏡を見ても「おぉ、可愛い!」と思いますし、パジャマ姿ですら「センスいいなー」と思ったりします。笑
過剰ポではなく、アファとも微妙に違い、自分の思える範囲でそう思っているのです。
そうしたらやはり、まわりの人から容姿を褒められるようになりました。
現実が変わってきているのを感じたあと、試しに答え合わせをしようと自分の写真を撮り、
過去の自分の写真と比較。すると、顔のパーツが大きく変わったわけではないのに、
輪郭も表情もあきらかに良くなっているのが分かりました。
以前の自分なら容姿を褒められても「そんなことない、同情しているだけだ」など、
持っている認定を絶対に揺らがさず、実際に同情されるだけの醜い自分を実現していたと思います。
「整形して二重にしなければ」「あと5kgやせなければ」「小さい頃に骨格をきちんとしていれば…」等の
くだらない観念も、過去の自分が認識を強固にするために繰り返していた
アファメーションのようなものだと今では笑えます。
ただ私はまだ奥底で「芸能人なみのスタイルになるのは無理、おこがましい」などと
思っているふしがありますが、これもまた確信している体感を積み重ねていくことで、
いずれは可能になる認識なのだと思います。
215 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/17(木) 04:30:46 ID:q3Y5Kekw0
凄く楽になって気分よく過ごしていたときに、
仕事先で企画書を書いてプレゼンテーションしなくちゃならない場面に遭遇した。
とにかく無我夢中で取り組んだ。素晴らしい私になったのだから、思い、内心は非常に怖かった。
でもやるしかない。
結局出来は最悪だったみたいで、ヒードバックもダメだしばかり。
いい気分にして、素晴らしい私とアファしてるのに、現実はなんでこれ?
なるにしても、二元論にして自我が大人しくなっても、
仕事の能力があがるわけじゃないなら、やってても意味なくない?と思った。
自分が苦手だなぁと思うことをやらされて失敗したときどうします?
そしてそれを克服しないと現実やばい!ってなったとき、
(克服しなくていいじゃないかは、なし。)どう対応する?
こういう具体的な対処知りたいし、昇進したいとかいう気持ちは719さんにありますか?
てか会社でどう過ごしてるか知りたいw
217 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/17(木) 10:01:50 ID:TpIdYCxY0
>>215
719さんじゃないけど(というか>>82-85です、笑)少しだけ書きますね。
まず、719さんも言ってる通り、「気分良く快で過ごす」こと自体が重要なわけではありません。
「なった」としても悪く見える出来事や不快な感情には当然遭遇します。
それは自我がある以上仕方ないことで、ポジティブもネガティブも
浮かんでくる感情であることには変わりないので、どちらが悪者とかではありません。
辛いニュースを見たら悲しくなるし、大事な人が寿命を迎えたら寂しいですよね。
でもどちらも自然な反応だし、悪いことではないと思うんです。
問題はネガティブな感情が引き金となって記憶を思い出したり関連付けたりして
自分の認定を変えてしまうことで、これを避けるために達人は
「今にいろ」「感情はただの反応」「思い出してもいいが、思い出す必要はない」などと言ってます。
では話を戻しますね。
>とにかく無我夢中で取り組んだ。素晴らしい私になったのだから、思い、内心は非常に怖かった。
>でもやるしかない。
ここでは、215さんにとってベストの行動を取ったのだと思います。おつかれさまでした。
>でも結局出来は最悪だったみたいで
これも仕方のないことです。なった私が精一杯頑張ってダメだったのだから、
その結果は必要なものとして訪れたのでしょう。
最悪な出来だったことに落ち込んでしまうのも自然な反応です。
残念な気持ちをめいっぱい感じ、自分がこれからどんな自分でありたいか、
「なる」の思考でとらえます。
>いい気分にして、素晴らしい私とアファしてるのに、現実はなんでこれ?
素晴らしい私であることに変わりはありません。
仕事でのそのチャンスは一度きりだったのでしょうか?今後またプレゼンの機会はあるのでは?
「なる」は今「なる」のです。たとえスティーブジョブズであってもその日のコンディションと内容によっては
酷いプレゼンをしたこともあるはずです(多分)。
一番恐ろしいのは、ここで自分に対する認定を
「なるもやってみたけど、結局何をしてもダメだった私」として安心感を得てしまうことです。
>なるにしても、二元論にして自我が大人しくなっても、
>仕事の能力があがるわけじゃないなら、やってても意味なくない?と思った。
今回のプレゼンに向けた努力は、目の前の結果には結びついていなくても
215さんの能力向上にはかかわったはずです。また、文面をこのまま解釈するなら
「なるにしても二元論にしても意味がないしやってる意味がないけどやってる私」という
恐ろしい認定をしてしまうことになります。
私個人の見解としては、目の前の差し迫った問題に対して
なるは不向きな考え方だと思います。
今回の場合なら、
なる→仕事が出来てみんなに認められる私
現実的努力→目の前の課題を片付ける、結果を見て意図をぶれさせない。
アファを繰り返したりブレインダンプで自信をつける。
このような併用ができれば、3ヶ月もしないうちに状況変わるかと思います。
218 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/17(木) 10:36:25 ID:TpIdYCxY0
>>82-86で書いたことが全てといえば全てなんですが、あくまで自分に関することとして記述したので、
もっと他のことにも当てはめやすく一般化した方法論的なものも投稿できたらいいな~と思います。
色々な達人さん方と似たような投稿にはなってしまうかもですが、
同じ内容でも違う人の書いた文章だと分かることもあるかと思うので…!
まとめた際はお邪魔させてください。