719さん-15/現実を動かすために、何が起ころうとも 現実を「否定的」にみない(=ジャッジをしない)

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330 名前:719 投稿日:2015/09/23(水) 00:07:33 ID:..1RvUXI0

流れ読まずで申し訳ないですが、書き込ませて頂きます。

 

「なる」についてですが
私は、「なる」は最終到達点なので、メソッドだと思ってないのですが
最終到達点であるからこそ、各メソッドとごちゃごちゃになりやすいもかな?と思いました。


そこで、思った事があったので置いていきます。

ただ、全てにおいて正解不正解がないので、私の意見もその中の1つだと思って読んで頂きたいです。
そして全て器用にこなしてしまう例外の人もいますが、その方々は例外という事で書き込みます。

 

潜在意識を使うと覚悟を決めたら
次は、自分はどの立ち位置から願望と向き合うか決めた方がいいかもです。


つまり、認識変更するのかしないのか?です。
これを最初は決めてしまった方が、迷わないのかな?なんて思いました。

 

現実を見ながら、メソッドをこなし続け「叶えよう」とするのか
内面を見つめ認識変更して「叶ってた」ことを知るのか

もちろん、認識変更してからのメソッドをしてもいいですし
メソッドで願望を叶えてから、余裕があるところでの認識変更でもいいと思います。

 

ただ、何かにずーと捕われているなら
自分の立ち位置を今一度見て、「どちらを選ぶか?」決めるのも必要だと思ったので書き込みました。


潜在意識には様々なアプローチがあるからこそ、「自分はどの立ち位置から行うか?」というのを、
ガチガチに決めなくてもいいけど、ある程度の目印があった方がいいかな?思ったので。
拾うところあれば拾ってください。

 

335 名前:719 投稿日:2015/09/23(水) 00:58:18 ID:..1RvUXI0

そしてもう1つ


前スレから、私が認識変更をする時に有効だった仕方や考え方を
何個か書き込ませて頂きましたが、その中で「二元論」を書きました。
物事は何か対のモノがあるから、認識できるというものです。

 

だから、何かに過剰に反応すると、対でもう1つを過剰に認識しなければいけないから
注意が必要だと書き込ませて頂きました。
つまり、幸せは不幸がなければ認識できない。という事です。

 

この二元論は、願いを叶えるメソッドでも何でもなくて、自然の摂理です。
ただの「摂理」です。

 

しかし、潜在意識でよく言われる考え方や、認識の変更をするさいに、
自我を納得させるとても有効な真実になります。
ならば「叶ってる」も「叶ってない」も存在する。
「すでにあった」も「まだない」も存在する。

 

だからこそ、自分はどちらを「選ぶのか?」が大切なんじゃないでしょうか?

また、この二元論を突き詰めていくと
「自分とその他の境界線がなくなる」ということが起こりますが、
そこは必要な人だけ体感すればいいと思います。

 

「二元論」は例外無く現れます。
そして、これが認識変更への大きな壁になっているし
「なる」をしても適用できない壁になっている1つの要因かなとも思います。


立ち位置を変えると決心して「内面の世界で叶えた」「なるをした」と思っても現実を見て、落ち込む。
そしてまた「この内面が真実であり、現実だ」と認定しなおす。

 

これちょっと苦しいですよね。
苦しい人いると思います。
私も苦しかったです。

 

ではどうするか?
わざと、内面が真実だ!現実だ!と思い込む事をやめてみるの、です。


つまり、内面が「真実だ!」「現実だ!」と無理にねじ伏せると、現実を否定してることになるうえに
「内面が真実だ!現実だ!と思い込む事」を認識するためののモノが必要になり、また現れます。
(つまり壁となる現実)

 

「内面が真実!」とすること、それを認識変更前にすると、
無意識のうちに、それらは「分離」になり、苦しいと思います。
(分離は幸せと不幸を交互に見るようなものなので)

 

逆に「統合」つまり、全て存在していい事を、認めてあげる方が、現実に振り回されません。

器用にできる人、認識変更した人は、
「内面が真実」と瞬時にしてますが、深く考えたら、たぶん「全て存在していい」と
瞬時に認めてると言った方が、近いかな?と思ったので書き込みました。


最短な方法で行きたいからこそ、遠回りも認める、という感じでしょうか?

何か、突き抜けないなーという方は、試してみてください。


「内面が真実」でいいんですが、「内面の叶った願望がただある」
という認識の方が楽かな?なんて思いました。


その時「二元論」を使ってください、「あぁ、叶ってた世界が在ったんだ」と。
「なったんだから、叶ってたんだ」と思い出してください。

 

「なる」をしても、現実と内面と分離させてることに気がつくと、
何かの突破口になるかもしれないので書き込みました。
「統合」という存在に気づくと、楽かもです。

 

338 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/23(水) 01:20:01 ID:DKl3XpKA0

>>335
恐怖心を持ったまま「内面が真実」をやると、その真実に恐怖心もくっついてきそうだよね
「ない」の反対が「ある」だから、二元論的に確かに「ある」も存在するんだけど
一方で「ある」の反対は「ない」だから、無理にやると恐怖心と共に「ない」も出てきそう

 

ただ、中国にある陰陽の考え方みたいに、二元論はすなわち表裏一体ってことだと思うから
それを心から信じることができて(認識が変更できて)そこではじめて、「ない」の逆の「ある」に気づけるのかも
最初のうちは、まあどっちの可能性もあるよね、くらいに思っておけばいいのかな?

 

339 名前:719 投稿日:2015/09/23(水) 03:20:31 ID:C4M/whQI0

>338
>恐怖心を持ったまま「内面が真実」をやると、その真実に恐怖心もくっついてきそうだよね

 

願望が叶った時は、自分が選択したものが現れるだけだと思うので、
そこに感情がどうこうは関係ないと思ってますが。。
上記はそう言う意味じゃないですよね?

 

「内面が真実」なんですが、
現実を見て叶ってないと認識して「内面が真実、内面が真実、内面が真実」とするのは
目の前の現実を否定して、ねじ伏せようと無意識にしてしまってたりします。

 

器用な人や、認識変更してる人、ある程度慣れてる人は「内面が真実」としてるんですが、
この人たちの、もっと体感に近い言葉をと思ったら
「内面が真実」としたと同時に「ある事を見てる」という感じかなと思いました。

 

ただ「願望が叶った世界があるんだった」とシンプルに認識し手終わる

つまり、それを選択した事を「思い出してる」という方が合ってるかな?なんて思ったんです。
「ただ、ある」そして「ただ、選択」して「ただ、見続ける」
(「ただ、ない」も存在を認めてますが、選択しません)

 

少なくとも私の体感ではその言葉の方が近いなと思いました。
その方が「分離」しないし「現実への認識」もフラットなので、
全ての事を無駄に繋げる事がなかったです。

 

現実をねじ伏せるために「内面が真実だ」とすると
全ては「分離」して、それを知覚するための事が出てきますよね。
そう言った意味では「真実に恐怖心もくっついてきそうだよね」だと思います。

 

現実と内面は関係ない、独立してる、関連づけない。が土台にあるけども
感情や自我にまかせ、叶えたい一心で「内面、内面、内面」と呪文のようにしても
対比となる「現実」が力を増すので、どちらの場合でも、淡々とただ見る、ということが
大事かなと思います。

 

その「淡々と」を行うために感情を感じきるとか、完璧認定だったり、自愛だったりが、
直接的にも間接的にも役に立ちます。(その他の意味合いももちろんありますが)

 

「内面を真実と見る」という一言だけでは真実だとしても、うまく伝わらないものですね。
ですから「全て存在する」という真実を見る事が大切だと思ってます。
「統合」ですね。

「叶わない」があって怖いですが、「選択」すればいいだけの話ですから。
認めるは重要だけど、「選択する」という方が重要です。
ですから「ない」を認めても大丈夫です。

 

>「ない」の反対が「ある」だから、二元論的に確かに「ある」も存在するんだけど一方で「ある」の反対は「ない」だから、無理にやると恐怖心と共に「ない」も出てきそう

 

上記の回答と若干重複しますが
だから「選択」が必要なのかなと思います。
「ある」と「ない」を認めて、じゃー自分はどちらを選ぶか?
シンプルに書くとこれだけなんですが、大抵がまず「ない」を認めるのは怖いです。


まぁですから、逆を言うと「ない」が認められないという事は「ある」も認められないから、自信が持てずループしてしまったりしますね。

 

認識変更できたから「叶わない」が存在していいと認められたのか、
「叶わない」が存在していいと認めたから認識変更できたのか、は正直よく分からないです。


同時だったのかもしれません。

上記をふまえて、だからこそ恐怖心と一緒に「ない」が出てくるのかもしれませんが
「これをすれば叶うんだ」「頑張って叶えるんだ」という気持ちの方が、邪魔してるように思います。

 

「叶うんだ」とか「頑張って」という気持ちがすでに「願望は叶っていない」という認識ですし
さらに「叶わない」という存在を認める事が、より怖くてできなくなります。


「頑張ってるのに叶わないなんて認められない!むしろ在ってはいけない!」という気持ちが出ますからね。

 

ですからやはり、
自愛というもので満たされ、感情を感じて自分と向き合うという、
願望とか認識変更とは関係ないと思われるものをするのがいいと思います。
むしろ、願望と関係ないと思ってした方がいいですね。
(自愛などを続けていけば認識変更の助けになりますが。)

 

340 名前:719 投稿日:2015/09/23(水) 03:22:19 ID:C4M/whQI0

>339続き
>ただ、中国にある陰陽の考え方みたいに、二元論はすなわち表裏一体ってことだと思うから
>それを心から信じることができて(認識が変更できて)そこではじめて、「ない」の逆の「ある」に
>気づけるのかも

 

「陰極まって陽になる」真理だと思います。
ですが、苦しいかなと。。。だから、違った見方もあるという意味で書きました。


どちらも存在してると認めた方が、楽だなと思いましたし
現実への無意識的な「否定認識」を防げるかなと。

 

最終的に「現実」で願望を叶えたいからこそ
今いる現実を、無意識にしろ、意識してにしろ「否定認識」していたら
「否定」という固定認識でガチガチに固められた現実自体が、動けないです。

 

(あえて書きますが)現実を動かすために、何が起ころうとも
現実を「否定的」にみない(=ジャッジをしない)、という感じです。
(感情は自動的なものなので問題ないです。)

 

それもあって「ない」も「ある」も存在を認める。という程度の方がいいと思います。
そして、内面において自分の望む方を認識し、選択し、見つめ続ける、という感じですかね。

 

一見繋がってるようなものが、繋がってないし
繋がってないようなものが、繋がってるし
本当はそれすらもないですし。

難しく考えれば難しくなり、簡単に考えれば簡単になってしまうんですよね。
言葉遊びのようで申し訳ないです。

 

だけど、自分の信じたやり方が一番ですし
自我や感情に振り回されても、気合いで押しとおすのも手です。
ご自分にあったやり方が一番です。

 

>最初のうちは、まあどっちの可能性もあるよね、くらいに思っておけばいいのかな?

 

ですから、こういった軽やかさが、もの凄く重要だと思います
心が軽いと私の話も「ふーん」ぐらいに思えますし。
私の本意としても、潜在意識活用には柔軟性があった方がいいと思ってますし
それが結果的に、自分軸につながりますから。

 

342 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2015/09/23(水) 08:08:27 ID:Y0MmHPsc0

>335
>「内面が真実」でいいんですが、「内面の叶った願望がただある」という認識の方が楽かな?なんて思いました。

 

「高級車を手に入れた自分」より、単に「高級車」を思い浮かべれば良いと言う訳ですかね?
「高級車を手に入れた自分」だと『ある』がどうしても強調されて、同調したように『ない』も来るんです。

 

367 名前:719 投稿日:2015/09/23(水) 16:52:41 ID:cF28mQHU0

>342
>「高級車を手に入れた自分」より、単に「高級車」を思い浮かべれば良いと言う訳ですかね?

 

上記はそうゆう意味ではないです。
「なった」後の話です。
普通に「なる」をしてください。

 

「高級車を手に入れた自分」を内面でなりますよね?
しかし、なる前も後も、現実での変化は関係ない、「内面で叶える」わけです。


もう手に入れてるのだから、どんな感情になってもいいし、好きなように過ごせばいいわけです。
現実を見ても、内面とくっつけず淡々としていればいい。

 

ですが、大抵は何度か現実と内面の違いを見て自我に飲み込まれる時
自愛してみたり、感情を感じたり、色々するわけです。


しかし、それも効果がない時、現実に否定的ジャッジをし、「なってない」と思うことをします。

そうなった時にもう一度「なる」をしようと試みますよね?


ここで、すっと戻れる人はそれでいいのですが
「内面が真実だ!内面が真実だ!」と、現実をねじ伏せるようにする人も
いるんじゃないかな?と思いました。

 

その「内面が真実だ!」と無理に思おうとすればする程、現実も同じように力を増すので
また「内面が真実だ!」と無理に思おうとする状況にあってしまう。


そのループを断ち切るために、内面を無理やり真実だ!と押し込めるようなやり方より
「叶った世界があるんだった。それを選択しよう」ぐらいのスタンスの方が
すっと入る人がいるんじゃないかな?と思ったんです。

 

「これは「内面」」と思う時、無意識に現実と比べているので
すると、また「叶っていない現実」が出てきてしまったりします。


それでも別にいいんだけど、苦しいから、
なった、ということは、ただ望んだものがそこに在る、という言うふうに見ると
現実と比較しないぶん、楽だし、意外とそれが的を得ていると思いました。

そして、「叶った世界」を現実でもないし、内面だけでもない
中間みたいな位置に存在しているような認識にしているといいかなと。

 

>「高級車を手に入れた自分」だと『ある』がどうしても強調されて、同調したように『ない』も来るんです。

 

「ある」があれば「ない」を認識しますね。
どちらも認識できてるなら「ある」を選択してください。

どうしても「ない」に飲み込まれた時の、心持ち?というんですかね?スタンスとして
上記の回答のような見方も在るよという事です。

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