浜崎さん-18/心の中では好き放題に都合のいい思考だけに徹底して 現実生活の中ではコントロールしなきゃ良い

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301 :浜崎:2015/12/26(土) 09:53:34 ID:pqZMzrC60

私は現在本当にお金に執着心がありません。
昨日は残業請求の紙を書かずに帰宅しました。(笑)
クリスマスプレゼントーって思ったから寄付のつもりでした。
お金に関してこの4年困った事は全くありません。それ以前は常に困ってました。

チケットを読む前から新月や銭洗い、おまじない、ありとあらゆる事にハマり、
ひたすらお金に飢えた気持ちを毎日手帳に書いてました。
欲しいものもリストでたくさん書いてました。
当時はリストアップは知りませんでした。

ずっとお金の事だけ考えていました。
ネガティヴだったのでお金に呪われたような状態で3年?位過ごしてたと思います。
寝ても覚めてもずっとお金の事だけ考える生活を数年やってました。

今から4年前に驚くような事が起きてそこからは
「お金がない」という映像はほぼ現れていません。
空っぽの財布でレジに立ってしまいクレカで払う羽目になって「お金がない」ならありますが、
単にお金を家に忘れてきたというだけですから意味も違います。

あの時は潜在意識を全く知らなくて新月のメソッドも
ネットでおまじないとして取り上げられていたので勘違いしてました。

それでも今があるので一体何が良かったのかはわからないけど、
ずっとお金の事だけで生きてたのでそれにも意味があったのかもしれません。
ものすごく辛くて絶望で自分は貧乏でとネガりながらお金が欲しいとずっと思ってました。
執着心どころか呪い、祟り、その勢いはあったと思います。
ずっと考えてるとそれはいずれ現像されるのだと思います。

私は絶望の中でもありとあらゆる欲しいものを書き出して眺めていました。
行きたいところ、欲しいもの、やってみたい生活、ずっと憧れてて
ネガの中「こうだったら良いのにな!」マッチ売りの少女の妄想みたいな状態でした。

すでに絶望してたので悪いイメージはした事はなく、
ただ買いたいものややりたい事に目がいってたと思います。
ずっと何が欲しいか何をしたいか考え金をくれ!と思ってました。

「コンビニで値段を見ずに好きなように買って、スイーツはひたすら食べてみて、
帰り道には外食。家に帰ると通販の宅急便の不在通知。しかも毎日。」

っていう夢に見た生活が(小さすぎw)今ではうんざりになってちゃんと自炊して
Amazonのダンボール地獄にも疲れてあまり通販を利用せずお店で買うような生活になりました。

特に現像化1年目は極度にひどく
10万円で満タンのファッションブランドのスタンプカードを1年で3店舗分満タンにしました。
現在は顧客限定の半額シークレットセールの手紙が来ても行ってないですw
服で溢れてしまうからです。

願望が叶った直後とその後でまた変化もありますね。
物欲が全然ない状態になってしまいました。
ありとあらゆるものを買い込みうんざりするまでやり続けて満たされたのだと思います。

毎日昆布のおにぎりを作ってお茶を持って行きます。家でごはんも作ります。
何故か当時と同じ状態に戻りました。
コンビニのものをもう食べるのはウンザリで外食も「もういいやw」で
服も買いすぎて滅多に買わなくなり大事に着ます。
朝のコンビニも混んでて行くのが苦手です。
だからお茶すら持っていくんですw

インテリア全て雑貨全てがお気に入りのものしかないマンションに
住んでいる事以外は以前と同じですね笑 質素ですよ。
この辺りもマッチ売りの少女妄想でリアルにイメージしてたそのものなので良かったです。

変化なくてもお金がなくてもお金が欲しい、こういう自分になりたいよ!を
超絶ネガでやり続けた結果だと思います。
叶うとは全く思ってませんでした。

諦めるも何も諦めてたから期待もなくそれもよかったのかもしれないですね。
現在は199さんにあやかり観念を変えたのでますますお金が増えていくループです。

福袋を買う為に命がけ(笑)で始発で並ぶ数年だった事を思い出します。
現在は「欲しい物がないから福袋は要らないw」

特に良かったのは以前「美しい部屋」という雑誌を眺め
「素敵な家っていいなぁ!」と野望とモチベを強力にあげた事でしょうか。
あの雑誌で「素敵な家にすむ」という野望が湧き上がりました。
ただ、そんな雑誌よりもリカちゃんハウスが子供の頃から大好きだったのでそのようなインテリアの家です。

欲しいもの、旅行、全て現像済みです。

イメージは必ずきます。
やめなければ!

4年前の私が現在の私の家を見ても絶対信じないと思いますよ(笑)
それ位、リアルに現像化しました。

303 :浜崎:2015/12/26(土) 11:12:59 ID:pqZMzrC60

結局私は
「金額を気にせずいくらでもお金を使えて素敵なマンションに住む自分」を現像化させた所で
「もうこれで何もかも思い通り!幸せすぎて生きているとはなんて素晴らしい!」
にはなってませんでした。(笑)

あくまでもこれらは野望だっただけであり
結局「自炊好きの弁当のお茶も持参の私」
「物欲が消えてしまって買い物が興味ない私」となってしまい
節約は絶対しませんがお金を使いまくる日々にこだわりがなく自分の楽な生き方になりました。

昨年死にたかったように、本願はズレていたという事になります。

私の中のラスボスは
「帰りたい家がある。愛する伴侶がいる家」これだったんだろうなと。
服だのインテリアだの素敵なルームウェアだの冷蔵庫のスイーツだの
アロマグッズ、旅行などが私の生きる希望を支えてはくれなかったんですね。
あくまでも好きなものが手に入ったというだけ。

ただ結婚した所でまた他に野望は出てくるのだろうなと言うのは薄々感じてはいます。
でも本願は「愛されたい」のだと思います。ずっと。

2015年の残りは壮大なセドナ、ポノ、ブレダンで心の大掃除でもしようと思います。

ただ、結婚前に鬼のような物欲とめちゃくちゃな浪費を経験してよかったですw
私は買ったものより料理が好き、浪費も余り興味もないので
シンプルに片付いた少ないモノの部屋ですっきりと暮らし喜んで料理し続ける嫁になります、絶対に。笑

383 :浜崎:2016/01/10(日) 19:49:02 ID:RBXSPme.0

津留晃一さんのメッセージ集のように
人生ってきっと「愛を思い出す」ゲームみたいなものなのかもしれませんね。

「私たちは、いわば二回この世に生まれる。
一回目は存在するために、二回目は生きるために。」
ジャンジャックルソーの名言です。

私は何でこんなに不幸なのかと子供時代から思っていました。
全く両親から愛されずに育ちそれを反映したかのような愛を知らない人生を生きてきて愛を求めていた。
けどそれが全くわからないからずっと迷子だった。
ただ自分を表面状だけで満たすことだけを求めていて
いろんなことが叶っても全く持って「安心感」などは出てきませんでした。

私は1回死んだのだなと思っています。
お金にも友達にも恵まれても「自分が嫌過ぎて死にたい、消えたい」という
謎の呪いのようなものと戦ってきました。

「お金も困らなくて大親友までできたのに全く満たされない!
これ以上何を変えろというのだ。モテなかったから?」

一番辛かったかもしれません。次々とずれた願望にのっとられて
「モテないから死にたい」など変な方向へと病んでいったわけです。

私は今ではさまざまなことに感謝しています。
自分を自分で満たす、外に求めても何もない、自分で自分を愛さない限りこのままずっと
願望にのっとられて「何をやっても辛いループ」からは抜け出すことはなかったと思います。
それこそ中途半端に愛し合ってその勢いで結婚して潜在意識と出会えなくて
自愛も全くしない人生だったらますます悲惨になっていたでしょうね。

私は1回死んだので(笑)これからは生きるために生まれ変わりました。
「生きる」とは自分のやりたいこと、好きなことをどんどん謳歌して嬉しい感情を感じたり幸せな気持ちを感じたりすることだと思います。

結婚しても「全く満たされないじゃないか!ほんとの願望は何なのだ!」には
ならないとおもいます。それはもう全部知ってしまったからです。

「私は自分を大切に愛したい」。これに尽きると思います。

384 :浜崎:2016/01/10(日) 19:51:34 ID:RBXSPme.0

さまざまなことが実現していくにつれてなぜか全く満たされないループ続き。
それはきっと「自分を愛してほしい」にたどり着くために
必死になるために起きてきたことだったんじゃないかなって思います。
気づいてほしい・・・気づいてほしい・・・と
心の叫びも限界まで来てやっと「愛を思い出した」状態ですね。

結婚できても願望は沸くでしょうが大きなものはもうないと思います。

物欲がきえた今、「ほしいと思うものが全くなくて何も買えない自分」に
多少物足りなさも感じますね。(笑)
「全部お気に入りの持ってるじゃん。これ以上置くところがないし今もってるものの
出番が減るから嫌だな」みたいな状態で消耗品くらいしか買いません。

それは、全部お気に入りものだけしか買わないで4年生きてきたから
全部がお気に入りものもであり、それ以上を求めるまでもないくらいのものたちに
囲まれて生きているので「もっとお気に入りを見つけました!」がめったにこないからです。

靴下1足、目覚まし時計、トイレットペーパー、パジャマ、スプーン、タオル・・・
もう何から何まで「こんな素敵なものならほしい!」というものだけ選んで
それ以外は一切買わない生活を徹底したら「これは素敵!!」がそろってしまって
選ぶ商品がなくなってきた感じです。

これはきっと願望にも言えることですね。

バキュさんの自己紹介にあるお言葉・・・
「現在は、願いは全て叶えてしまったので、
今は心の底から叶えたくなる願いや欲しくなる物を探す毎日です。」

物欲のない今、本当に穏やかです。現状が満たされているので。
あるから、もうもってるからいらないや、がずっと続く。
インテリアすべてが超高級品とかそういうのはありません。
単に私がほしくてたまらないものだけを家においています。
セールや福袋、雑貨屋さんなどに行く楽しみは一切なくなりました。
本当にほしいものが出てくるのを待っている感じですね。

ちょっと前に引越しの挨拶で真っ白のトイレットペーパーをたくさんもらったんです。
私はお気に入りのめちゃくちゃ可愛い香水の香りつきのヒョウ柄のトイレットペーパーを
こよなく気に入っていたので困りました。

掃除に使え?お掃除グッズは既にあるのに?
だからほしいという友達にあげました。(笑)
白いトイレットペーパーはなにも悪くないんですよ。あってもいいんですよ。
存在していいのです。ただ私は「香水の香りつきのヒョウ柄トイレットペーパー」が視界に入るたびに
「本当に素敵なトイレだ」と思っていたので私には不要だったんですね。

願望もそんなものかもしれません。

「無理して白いトイレットペーパーを愛さなくてもいい。ヒョウ柄のトイレットペーパー
を使ったら良いじゃない。そしてその白いトイレットペーパーの出番は来ない。
ヒョウ柄のトイレットペーパー使い切ってもきっと使わない。
売り切れで手に入らないときがきたら探してもっと可愛いのを買う。
探してみたらお気に入りはきっとそこにあるし出会える。」こんな感じですね。

自分の好きなものに常に目線が行っている。
自分が常に「大好き!」と思うことだけに視点が行っているんです。
だから「愛せないもの」を無理に愛さず、つねに自分が「好き」「興味がある」
「ときめく」ということだけを求め続けたらいいし維持したらいい。

トイレットペーパーの件は友達に「頭がおかしい!」といわれました。(笑)
別に神経質って言うわけでもないんですよ。普段超お気に入りのものを使っているから
ネガりながらむりやり使うことないでしょって言う話です。

「私は自分を大切に愛したい」
たとえトイレットペーパーであろうと私は自分が好きなものしか嫌です。
私の家では何をしてても自由なのです。

こんなちょっとしたわがままを願望に当てはめて考えると
「こっちのほうがすき」「これはいらない」と自己主張できるようになってきて
世界に対して

「私は自分を大切に愛したい」
私は自分が好きなことしか嫌です。
私の世界だから何をしてても自由なのです。

にありつけるとおもいます。
今は思い切り自分にわがままを言わせています。

「甘いもの大好き!しかも寝る前に食べるのが好き!
ダイエット嫌い!でも太るのはもっと嫌い!」→寝る前に甘いものを食べつつ痩せる私

385 :浜崎:2016/01/10(日) 22:45:56 ID:RBXSPme.0

おそらく何が何でもほしいものしか買わない
ちょっとの妥協も許さずに本当に求めたもの以外は却下

そんな生活は気づかぬうちに自愛になっていたのだと思います。

ほしいものだけ手に入れる。
いらないものは家に置かない。そこには一切の妥協はなく
安いから買う=安くなきゃほしくない これはほぼ徹底して拒否しました。

きっと願望も同じものであり

見たい世界だけ見る。
見たくない世界はそこにとどまらないで(どこで妥協しない)
それでも見たい世界を見ると決める。
叶いやすい=妥協(自分はこの程度とジャッジしてあきらめる)

そっくりだと思います。物欲も願望も。

妥協しても「幸せ」ならそれであっても良いと思います。
セールで買ったものが実はものすごく着心地のいいヒートテックで
お気に入りになることだってありますからね。
それもお気に入りのものとの出会いのきっかけだったということ。

ちなみに私はこんまりさんやカレンキングストンの断捨離本を
買ってほぼ読まずにあげました。(笑)
断捨離本すら断捨離でした。そうしたいからそうした。自愛です。

掃除や断捨離で運気があがるのは自愛に繋がるからなのかなと思っています。

モノを捨てる・・・厳選したものだけに囲まれてみる
余計な観念を捨てる・・・心地よい思考のみに包まれる

結局は自愛なんですよね。

モノを捨てるときに心が痛むからもう2度とこんなことはしたくないと思い
ほしいものしか買わないことにしたんですよ。

だから心にも同じで
要らない観念が自分を悩ませるのだから責めるのだから
夜に食べたら太る、中年は太る、そういうことを捨てました。
心の中からデリートです。美味しく食べ物をいただけなくなるなんて
こんな馬鹿らしいことなどありません。

モノを捨てるときに今までの思い出や罪悪感で離れるのが辛いかもしれません。
余計な観念を捨てるときに不安や恐怖があるかもしれません。
一歩踏み出すことがきっと大事なんですね。

ぼんやりと「こうだったらいいのにな」と夜空を見上げていた頃を思い出します。
どうせ1回死んだのだから、そしてまた生まれたのだから
自分の好きなようにさせてもらいます。

自由であっていい、妥協しなくていい、妥協してもいい、
なんでもいい、私の世界だから。

そのうちテレビの情報やネットの情報、友人から出てくる言葉などに
理解ができなくなることも増えてくると思います。

おもしろい記事を見つけました。
これをみて「おおおお!!!!!素晴らしい!!!」という
回答の方がいらっしゃいました。
それ以外の回答は私にとっては「???」意味不明であり理解不能です。

ttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/8692449.html?best_flg=true&isShow=open

自分らしく好きなことをしているだけでいい。
何も繋がってないし現実努力なんてなにも意味はない。だって繋がってないから。
だったら楽しく過ごしてるほうが良いじゃん。
こんな感じなのでしょう。この方の回答は7章そのものだと思います。

そしてほかの方の回答を批判するわけではありませんが
このような情報が自分をがちがちの観念に固めている
「記憶」となり自分を追い込むことになるわけです。

現実様にのっとられて自分を固定してるからきっと辛いんですよ。
自分の世界なんですよ。自分が最先端に立って全部決めないと。

占い師にこういわれたから「私は不幸」
おみくじが大凶だったから「私は不幸」
まさに現実にのっとられているよい例です。

見聞きした情報は好きなものだけ選んで後は捨てる。
人間は観念の塊です。

私は自宅では好き放題やっていますが
外や人に「自分がこうだからそうしてください」は求めません。
宿泊先で「あの歯ブラシしか使いません!無理です!」とか絶対に言わないです。(笑)
自宅だから超わがまま三昧なだけです。

結婚したら相手に合わせることも必要かなと思いましたが
私のすべてを全部愛する人と結婚するのだから私についてこれる人の
はずですので余計な観念は捨てました。(笑)
そして無条件に私も相手を愛するので彼のライフスタイルとも
なじんで調和していくのだろうなと思っています。
相手の自由も許します。

現実も同じで心の中では好き放題に都合のいい思考だけに徹底して
現実生活の中ではコントロールしなきゃ良いのだと思います。

皆さんありがとうございました。

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