自己観察さん 達人


自己観察さん-103/「執着してても私は『そうなってる』んだから大丈夫なんだ!」と逆に執着を手放す

投稿日:

519 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/22(月) 02:31:32 v/lofzj.0

質問です。
穏やかで安心できる場所が自分にあることはわかりました。
その安心感から、自分が意図して望んだことが全て既にあることも
なんとなくわかった感じがします。

ただ、クレンジングや自愛をしても、過去の投影である現実を認めても認めても
再生されてしまっていて、立ち位置が変わりません。

現状を自己観察すると「その部分を握り締めているから変わらないのも無理ないよね」と
冷静に判断できるのですが、その冷静さを保つことができず、思考の癖というかエゴ(現実)に
引きずられてしまいます。

このループを断ち切りたいのですが、どうしたらいいのでしょうか?

524 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/22(月) 21:39:54 ID:psg5Ebes0

>>519
まずこの「どうしたらいいのか」という考え方をきっぱりやめるといいかと思います。
「認めても認めても」立ち位置が変わらないのは、「する」というところばかり見てるからです。

認識の変更というのは結局、「どうするか」という認識から
「どう在るか」という認識に変わることかなと思います。

自愛にしろクレンジングにしろなにかを「する」のは、「在り方」に気づくためのものなのです。
「する」を探し続けても「自分がどう在るか」というところに気づけないと、
何をしたって大して変わらないと思います。

思考の癖に引きずられたとしても、気づいた時点で切り替える、
そして引きずられたことに対して自責しない、そこに「失敗した」という意味づけをしない、
あとは気軽にやる、

・・・みたいなことを「どうするか」という意味で捉えるのと「自分がどう在るか」で捉えるのとでは
まったく違ってきますよね。そういう自分であれば、「どうするか」といちいち考えなくても、
自然にそうならざるを得ないというか。

「する」ことにばかり気をとられて、せっかく気づいた穏やかさや安心を
ないがしろにしてるんですよね。なので「どうしたらいいのか」「何をしたらいいのか」
という考え方をやめて、「どう在るか」「どう在りたいのか」に目を向けてみる、
見方を変えてみたらどうかなーと思いました。

520 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/22(月) 03:51:31 9bHKrGUoO

自己観察さん、お久しぶりです。
今日ふと思ったのですが、世界とは「意図する→映し出される」の連続で、
言ってしまえばそれ以外には何もないのでしょうか。

524 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/22(月) 21:39:54 ID:psg5Ebes0

>>520
えっと。「何もない」んじゃなくて「すべてがある」んです。
あらゆるすべてがまずあって、だから意図すればそれはもうあるんだよってことです。
すべてがある中で「意図した現実がある」というのと、
「意図した現実しかない」というのとでは全然違う感じですよね。

「すべては調和して存在する」という前提があるからこそ、意図すれば
それを経験できるわけで、「意図」が前提で世界があるわけではないのです。

ということは、「意図」もすべてある源泉から「出てきたもの」ってことですよね。
源泉だけが真実でそこからの産物は幻想、という定義では「意図」も幻想、エゴなのです。

526 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/22(月) 23:20:20 xK39EtBs0

思うに、別に忘れなくても叶うんでないか?執着しても叶うんでないか?
こうしよう!と意図したら、その為にはもっとイケメンにならなきゃ、とか
痩せなきゃとか、才能が無くちゃ!とか条件付けずにただ、自分はこうする!こうなる!

でいいんでなくて?
自己観察さん他、先人のご意見求む!

552 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/25(木) 19:16:24 ID:psg5Ebes0

>>526
ちょっとややこしい書き方になるけど。。
「こうする!こうなる!」と決めた時点で「そうなってる私」なので、本来なら執着しなくなるんだよね。
でも「そうなってる私」が信じられず不安になって「こうする!」と言い続けて執着してしまう。。
という「執着してしまってる状態」では、執着しても叶うとは言えない気がします。

でもそこで、
「執着してしまってるけど、執着しててももう私は『そうなってる』んだから大丈夫なんだ!」
と、「執着してしまってる状態」を受け入れることで逆説的に執着を手放すことができて、
流れに委ねることができるので、その場合は叶ってるマインドなのではないかと思います。

つまり自分の意識が「叶わないかも」の方にあるか、
「叶ってる。大丈夫」の方にあるかの違いなので、そこを抑えておけば、
「執着」がどうこうなんていう関連付けは必要ないってことです。

530 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/23(火) 17:45:44 lLCPWNMU0

>>524
自己観察さん
その意図が前提であるのではない、というのは
意図が(現象という結果の)原因ではない、と言い換えられそうですね。
桑田さんも言ってましたが、エゴはどうしても因果関係でものごとを捉えてしまうのですね。

482 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/20(土) 00:59:15 pLA8e/RI0

世界=自分、全ては私なんだから、もう意図と呼ぶしかないんだ。
というか意図という言葉すらもうおかしい気がする。
だって自分なんだから、ぜーんぶ自分なんだから、なーんだ。

今までなにやってたんだ、アホらし。
という気づきがありました、自己観察さんw

552 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/25(木) 19:16:24 ID:psg5Ebes0

>>530
因果関係で捉えたほうがエゴには理解しやすいし、適用しやすい・・・ように見えるんですよね。
実際は因果律を超えてすべてが調和してるので、意図さえ必要ない。

>>482のpLA8e/RI0さんのように「全部自分だ」と気づいてしまえば、
「あれいいなー」「欲しいなー」という衝動さえ、調和の中から生み出され
調和の中へ還っていく、それこそ呼吸のように、過ぎ去っていく時間軸の中で、
内的な調和を外的な調和として体験できるようになります。

ただそれをエゴが納得するには「意図をしてあとは放っておくだけ」という
分析が必要になってくるんですよね。

エゴを納得させる必要も本当はないのだけど、でもそれも「必要ない」ということを
自分で受け入れられるようになるまではどうしようもないようにみえる。。

なのでここでは、「全部自分だ」という気づき以前の段階でそれをどう適用していくかとか、
または「全部自分だ」と気づく、あるいは近づくために、どうエゴを納得させるか、
または納得させないでいい事に気づくか・・・
というような、ややこしいことをやってるわけでもあるのです。

だから気づくと、なーんだアホらし。となるんですよw
そして気楽にやってる方が気づきやすいんだろうと思います。

536 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/24(水) 21:02:03 nx/Yt8Ls0

自己観察さんのまとめ読んでいて思った事投下。
自分は以前から嫉妬深いタイプだったんで、いつも他人にあるものばかり目に入って
嫉妬に狂う人生だったんだけど、自己観察さんのまとめに、羨ましい対象には嫉妬するんじゃなく
そういう要素が自分にもあると別の領域か教えてくれてるみたいな事が書いてあって

はじめはピンとこなかったんだけど、それってもしかして、ショップのバイヤーが
こんな商品もありますよ?どれでもお好きに選んでくださいって提示してくれてる
みたいなものなのかな?って。

こんな素敵な選択もあるから、お好きに選んで意図してね!って
事なのかなって思ったら嫉妬どころか楽しくなってきたw
違ったらすまそw

553 名前: もぎりの名無しさん 投稿日: 2011/08/25(木) 19:19:47 ID:psg5Ebes0

>>536
楽しそうな例えだなーw
全部の商品の中からピッタリのモノを見つけてくれるバイヤーさんと仲良くなるとラッキーですよね。
難しいことはすっ飛ばして、楽しむのがいちばんですね!

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