Wildさん-26/自分の目(視界)は月より大きい。すべてが自分の目の中に収まっている。

この記事は約15分で読めます。
スポンサーリンク

476:真昼:2016/09/06(火) 17:20:38 ID:8BCrFhEI0

≫470

≫しかしながら第八識は目の前の現象を作りだす張本人であり、それこそ引き寄せに多いに関係ある究極の自我と考えますがどうなんでしょうね?

阿頼耶識については、僕自身はよくわかりません。というより、そこまで行ってませんw
しかし、阿頼耶識というものがあるとして、そこに何が伝わっているのかということを考えるとしっくりときますね。

 

阿頼耶識 … 個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識

例えば、お金でも恋人でも、何かを欲した時にその欲した気持ちは何から発せられているのか?

 

このときに「お金・恋人がない」という不足による気持ちだとしたら、阿頼耶識に伝わるのは当然「不足感」であるので、現れる現象も「不足感」にまつわるものになりますよね。

それを踏まえると二つの方向が見えてきます。

 

①徹底的に「充足」にまつわる事柄に目を向ける(アファメーションやバキュ式瞑想などのパワー系)

②不足しているという現実感を薄める(思考から離れる、止観・自己観察などのお任せ・観察系)
それ以外にもあるかもしれません。

僕は特定の願望をピンポイントで狙うには、

①のように現実という記憶の書き換えが有効なようにも思っているのですが、強烈な抵抗にあって挫折感に打ちのめされてしまうんですw(難易度高いと思っているような願望は特に)

そして、阿頼耶識に何か悪い波動が伝わっているのではないかと、不安になり、またその不安の波動が伝わって…という蟻地獄に堕ちてという経験をイヤというほどしてきました。

でも、今はあらゆるものが入ってきては出ていくという流れを見るようにしています。願望はとりあえず忘れて。
視界にはあらゆるものが映りますが、特定の何かを見ているのではなく、視界を見ているような感じですね。見えているものは変化しますが、視界はずっと同じです。生まれてから、ずっとこの視界を見ているんです。

でも僕は虎視眈々と隙あらば大富豪になってやろうと画策もしていたりしますがw

477:幸せな名無しさん:2016/09/06(火) 17:53:39 ID:jdjHurwY0

ありがとう 真昼さん。
NO FOCUS 自愛の本質 カッコいいッス。
タワレコのキャチコピみたいだ。

NO reason がわかるぐらいの俺がレスもらえて嬉しかったです。真昼さんは先を行く人。オビワン・ケノービっぽくて静かにワクワクする。

自愛の本質を体感できるイメージがすごく伝わってきた。わかりやすく教えてくれてありがとう。俺の中では、両手ですべてを作業する時のフィーリングに近そうです。

存在感かぁ~更に難度あがるのね~
「感」については、確かに感の前に何かがあるようなムズムズした気持ちになる。
「痛み」は電気信号かな。
「ある」というもの存在があり。
「ある」は包まれていて、その外部周りはにいくつものセンサー「感」がついてる。
そのセンサーが作動するとそれを教えるシグナルのひとつが痛みという風に思っていたけれど、
ん?

どうやら、俺にとって「感」はセンサーらしい。
そして、痛みもただの現象ということに。。
あららら~w

今回のレスでエゴ見ている何か、許可をしている何かが自分の中でハッキリとしたものになってすごく嬉しかったです。

そして、愛着だらけの俺はまだまだ俗世にまみれていたいたようです。

真昼さんの時間とレスに感謝します。
ありがとう。

478:wild:2016/09/06(火) 23:32:22 ID:BeNYeRIs0

真昼さん。

なるほど。
余計な観念を全て削ぎ落とし、突き詰めると世界は「感」のみとなりますね。
確かにそうですね!

外側の世界の起こりを
見る聞く触る嗅ぐ味わうも「感」。
それによって起こる内側の衝動、つまり思考と感情も「感」。

外側内側もすべて「感」の流れであり場面展開。

「感」ひとつに絞ることにより、移ろい行くエネルギーの世界がシンプルに見えてきますね。
起こる現象の見かけに惑わされず、シンプルに「感」のみに成りきると創造の最前線がわかるような気がします。

そして何物もFOCUSしようがない。
なぜならFOCUSしてる存在も、されてる存在もすべて「感」なんですからね。

真昼さんがおっしゃるように、「感」だけがただある。
「感」だけが移ろい行く。
これが「NO FOCUS」なのかなと私は解釈しました。

感とはつまり純粋な識のことでもあると思いますが、感という表現の方がわかりやすい!
さすが真昼さん!
師匠!!www

アラヤ識を「感」に繋げると感の畑みたいなもんだと思います。
ある囚われという種が畑に落ちる。これが意識の表層に芽吹いてくるにつれて「感」に様々な観念がまとわり付き、普段見ている世界という木が出来上がるのかなと。
そこでエゴで思ったこと感じたこと、つまり囚われたことが種(カルマ)となりまた畑に落ちる。
そしてまた「感」が起こり現象として育つ。

ですから、嫌なことがあっても755さんのように「完璧!」にしてしまえば完璧が芽吹く、神にお任せすればその通りの現象が芽吹く、という解釈です。

そして現象に囚われなければもう落ちる種もない。
畑からは芽吹くものはいずれなくなります。
究極的にはアラヤ識、畑も無くなってしまいます。
それが最終的な地点なのかなと思ってますね。
勝手に「感」をいろいろと解釈してしまってますがw
そんな印象を持ちました!
ちょっと「感」に浸ってみようと思います。
ありがとうございます!

479:wild:2016/09/07(水) 00:22:17 ID:nZJQlxC.0

 

≫ 視界にはあらゆるものが映りますが、特定の何かを見ているのではなく、視界を見ているような感じですね。見えているものは変化しますが、視界はずっと同じです。生まれてから、ずっとこの視界を見ているんです。

視覚に映る風景を見るのではなく、視覚そのものを見ているですよね?
見ているという表現しかできませんが、視覚だけがあり、視覚の手前には見てる者はいないという感覚。
スクリーンしかないという感覚。
ここに入ると安心なんですよね~。
この世界がバーチャルリアリティーの世界であると実感します。

480:真昼:2016/09/07(水) 12:56:36 ID:yoR7WKZM0

≫477
とても嬉しいレスありがとうございます。
でも、違いますよ。僕が先を行ってるのではありません。先に見えるとしたら、それは単に僕が周回遅れのランナーだからですよw

 

自愛って言ったって、愛ってなに?自己観察にしても、まとめ読むたびに混乱しかしないw

分かった!と思ったその三分後には「やっぱ分かんねw」を繰り返していますから。

そもそも何かオリジナルなものを提唱しようとして、カッコつけてる時点でもう…w

逆に477さんのレスを読んで、また少し新たな問いが生まれています。

「私がここにいる」って何を根拠にしてるんでしょうね。いつから「いる」んでしょうか?

どこに「いる」んでしょうか?厳密に言うと、とても曖昧じゃないですか?

我思うゆえに我あり、と言いますよね。でもその思っているのは誰なのか?

「存在」とは?これは哲学かな?生物学かな?量子力学かな?それともそういう思考的なものではなただ強烈な存在性があるということなのでしょうか?僕が気付いていないだけで。
なにやら本質的な問いが生まれています。
ですので、こちらこそありがとうございます。

 

≫そして、痛みもただの現象ということに。

なんという理解の速さwスゴいですね。

477さんのおっしゃるように、「ある」の上に「感」が漂っている、という感じはまさしく同感です。その特定の「感」の集合体として様々な物事が起きている、ように見える。という寸法ではないでしょうかね?

 

≫愛着だらけの俺はまだまだ俗世にまみれていたいたようです。

僕も同じです。無理に出ようとするものでもないかもしれませんし、来るときが来れば自然と手離れるものだと楽観的に考えています。

それでも、24時間のうちの20分位はいい感じになれてます。全然少ないですけどねw

481:真昼:2016/09/07(水) 13:00:08 ID:yoR7WKZM0

≫478-479
wildさん、レスありがとうございます。
師匠はやめてくださいw477さんへのレスにも書きましたが、周回遅れしてるだけですから。早く追い付かないといけません。

○○感という言葉は多いですが、○○の部分は後付けしてるだけだ、と気付いたんです。○○はwildさんのおっしゃっる概念の世界ですね。

≫起こる現象の見かけに惑わされず、シンプルに「感」の
≫みに成りきると創造の最前線がわかるような
≫気がします。

そうですよね。五蘊すらひとつの概念なのでしょうから。wildさんのおっしゃっていた「概念」という言葉が僕なりにしっくりときました。

散々、全ては事後と書いてきましたが、それは概念化された世界ということです。概念に先立つ体験を「感」じている。でも、その体験というのも一つの概念なのかどうかがよく分からないんですが、どうでしょうか?
僕はその「体験」こそ「感」であり、それが人生であると思うのですが。

また、阿頼耶識の説明はとてもよくわかりました。
なるほど、そうなってるんですね。カルマについてもよく理解出来ました。大変に深い考察を加えていただいてありがとうございます。

≫視覚に映る風景を見るのではなく、視覚そのものを見ているですよね?
≫見ているという表現しかできませんが、視覚だけがあり、視覚の手前には見てる者はい≫ないという感覚。

そうですよね。僕も最近は指差しをしなくてもこの感じに入れるようになってきました。
しかし、さっきも書きましたが、「存在」とは何をもって「存在」となるんでしょうか?

「存在感」という感覚なのか、それとも感覚を越えた存在性があるのか、それは我々の背景が「無」であるという理解から来るのか?

やや面倒かもしれませんが、今はこの問いが浮かんでいます。

 

482:wild:2016/09/08(木) 01:14:09 ID:jS044OWo0

≫481
真昼さん。

≫ 概念に先立つ体験を「感」じている。でも、その体験というのも一つの概念なのかどうかがよく分からないんですが、どうでしょうか?

以前「すべては概念だ!」となった時に腑に落ちたことは、究極的なもの、真理とされているものも概念、自我であると感じました。

概念という表現が強すぎるならば「現れ」とでも言いましょうか。

ただこの直感が最終的なものなのかどうかは何とも言えないですね…。これは私の現段階での認識です。

あくまでイメージなのですが、
ただただ何もない無の空間に、映像だけがポッと現れている。
この映像が現れ。
神や真我、その他真理とされているものすべてはこの現れであると考えます。

この現れこそが自我そのものなんだなーと思っています。
自我と言うと肉体思考などのエゴを連想させますが、それをも含む「感」そのものです。
また「感」は「有」と言い替えられるかもしれません。

無があるからこそ有が起きることができ、
有があるからこそ無を知ることができる。
無がなければ有は起きず、
有がなければ無を知ることはできない。

この有と無の持ちつ持たれずの関係がこの「私」であると現段階では考えています。

≫ 「存在」とは何をもって「存在」となるんでしょうか?「存在感」という感覚なのか、それとも感覚を越えた存在性があるのか、

これは有が起こす「感」そのものの感覚ではないかと考えます。

 

≫それは我々の背景が「無」であるという理解から来るのか?

真昼さんのおっしゃる通り、無があるからこそ有を感じることができる、ですね。

と、ここまでわかったようなことを書きましたが、真面目に仏道に励んでらっしゃる方にとってはこじつけのトンデモ論かもしれませんw
まあ天狗道の妄想として話し半分でご理解お願いしますw

483:477:2016/09/08(木) 19:08:21 ID:dBuPAcUo0

真昼さん 

>僕が先を行ってるのではありません。

俺の世界では、wildさん、真昼さんが先に見える案内人っというわけです。勝手に選んでしまってゴメリンコ。これも潜在意識の賜物・恩恵ということで、手をモミモミしておりますw

 

>我思うゆえに我あり、と言いますよね。でもその思っているのは誰なのか?「存在」とは?これは哲学かな?生物学かな?量子力学かな?それともそういう思考的なものではなただ強烈な存在性があるということなのでしょうか?

デカルトたんにいっちゃいますかw これまたヘビー級ッス(汗)。どこに「いる」のか?疑っている何者かが存在することは確かッスよね。

俺的には真昼さんの言う「ただ強烈な存在」がしっくりくるかな~。

理由は、ジル・ボルティー・テーラーという脳学者の動画を思い出したことと、真昼さんの言う「体験」こそ「感」であり、それが人生に繋がる気がしたので、良かったらお時間ある時にでもどうぞ

ジル・ボルティー・テーラー「奇跡の脳」動画
https://youtu.be/BsSWaYITW4g

wildさん
はじめまして、wildスレ今読破中です。

wildスレまだ読んでねーのかよっと?wハーディング実験やったけど難しかったッス。

スクリーンがイマイチわからなかったけれど、俺の世界は俺の意図したことで成り立っていることは、わかったし、叶った世界があった。それが俺の世界だった。

引き寄せは「あっいいんじゃね?」軽く思うものはすんなりかなった。

特に食い物や飲み物。手頃感があるものほど簡単で、自販機の当たりのもう一本とかは3週間ほどかかった。

電車とか隣りの座席にはキラキラ感のある女性がいいなっと思ったらキラキラの服着た女性だったり微妙なものもあり。必死になるもの執着あるものは難しい、不安な気持ちを誘発させるみたいでそのゲージを下げることに必死になるだけ疲れるという。

本願が気楽に手放せるよう放置プレイ勉強中って感じです。

そのうちわかるようになればいいかっと、それでいいのだー、いいじゃないのぉ~、いいジャマイカ、ええじゃないか、踊る阿呆に見る阿呆的に開きなおりだろっと「NO FOCUS」自愛「完璧」だろっとわかちゃいるんッスけど(泣)
俺のための俺による褒めまくり隊を結成するかなw そんなこんなで これからも、wildさん筆頭に皆さまの素晴らしい見識を楽しみしております。ペコリ

 

484:wild:2016/09/08(木) 21:59:37 ID:VK1gUHRk0

≫483
477さん。
初めまして!

wildスレを読破中とはw
かなり内容濃いですよね?
皆さんそれぞれに見解があるので読み込むのにかなり骨が折れるかと思いますが、なんか嬉しいですね!
ありがとうございます!

私のレスの場合ですが、認識の変更を目指すスレからこちらのスレを立てて頂き移動してからも、皆さんの気づきから私自身様々な気づきや理解があり、また紆余曲折がありレスの内容が一貫してない点も多いので混乱されるかと思います。
そう言ったレスも一探求者の迷いの過程として訂正せずそのままになっていますw

ただひとつ一貫しているのは、私個人を含めたこの世界は、ストーリーを展開させている意識みたいなものという点ですかね。

気づきを得て自由になりたいという目的半分、「私」を解明すれば引き寄せも解明できるという下心半分…。
釈迦も乳粥投げつけるくらいの欲まみれな探求者ですが、こちらこそどうぞよろしくお願いします(^^)

 

486:真昼:2016/09/10(土) 16:47:59 ID:39iKHFow0

≫482
wildさん、レスありがとうございます。
遅くなりました。
とても達観されてますね。

≫この有と無の持ちつ持たれずの関係がこの「私」であると現段階では考えています。

それは完全に「空(くう)」の思想ですね。
有と無は本質は同じもの。コインの裏表。その実体は空。
ですが、それを論じるまでの見識を僕は持ち合わせていないようです。
理論としては語れるんですけどね。

確かに自分の背景に無の空間があり、その無があるから有を感じることができる。
真の静寂を知るからこそ、音を聞くことができる。その静寂こそ自分である。

言葉で書けばそんなところですかね?

う~ん、深遠なりwild哲学w
ありがとうございました。

487:真昼:2016/09/10(土) 17:25:51 ID:39iKHFow0

≫483
477さん、レスありがとうございます。

動画見ました。やはり、大病をして何かを悟る人は多いですよね。
特に、脳学者さんだと、その解説も非常にアカデミックですね。
シェアありがとうございます。
脳科学には少し興味がありますので、少し詳しく見ていこうと思います。

ところで、

 

≫引き寄せは「あっいいんじゃね?」軽く思うものはすんなりかなった。特に食い物や飲み物。手頃感があるものほど簡単で、自販機の当たりのもう一本とかは3週間ほどかかった。

とありますが、それスゴくないですか?
それは僕から見たら、477さんは既に引き寄せマスターの部類ですよw

そんな477さんに、アドバイスなんておこがましいですが、

ハーディングの指差し実験の僕なりのコツを一応書いてみたいと思います。

コツは「そのままを見る」という感じです。

例えば、夜空の満月を見たとします。
しかし、スクリーン上では、それは月ではなく、1㎝くらいの黄色い丸です。
高いところから人を見たとすればそれは、点が動いているだけです。「見ろ!人がゴミのようだ!」状態ですw

そして、実際に見えるのは1㎝の黄色い丸だけですよね。「月、地球の衛星、太陽の光を反射している等など」というのは、自分の知識・記憶です。その知識や記憶をその黄色い丸に張り付けてるだけなので、それらを剥がしてそのままを見る。
そしてその黄色い丸はどこで見ているのかというと、自分の眼球です。
つまり、その黄色い丸は自分の眼球の中にある。
ゆえに、自分の目(視界)は月より大きい。すべてが自分の目の中に収まっている。

なので自分の目で見てるのではなく、自分の目を見ている、ということになりますね。

僕はこの理解で、スクリーンの感覚を掴めました。
偉そうに語ってしまってすいません。

反対に僕は、引き寄せのコツをお伺いしたいです。
俺も自販機で当たりをひきたいw

488:真昼:2016/09/10(土) 17:32:34 ID:39iKHFow0

≫485
コテ付き会員制サロンてwww
まあ、確かにそんな風情を醸し出してますからねw僕がでしゃばりすぎてるのかな?

迷いの中に悟りあり。悟りの中に迷いあり。
このスレの流れ自体が悟りであり、禅なのかも知れませんよ。

連投失礼いたしました。

タイトルとURLをコピーしました