自己観察さん−005/別の領域に留まっていると段々、自分が今まで自分だと思っていた分離の思考が、 自分のものではないということがわかってきます。

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817 :もぎりの名無しさん:2011/03/02(水) 08:50:34 ID:KTV1ZvNgO

質問なのですが、自己を観察してる自分を感じようとすると、心地好さに浸ってるうちに
いつの間にか頭でいつも通り思考しています。

エゴが出てきちゃう、と思って焦ってしまいます。
せっかく自己観察さんのおかげで私も7章を認識できたし体感もできたのですが…

なんかすぐ引き戻される時があります。これの繰り返しで良いのでしょうか?
良かったら、自己観察さんや皆さんの別の領域の体感中の思考の扱い方を教えてください。

 

818 :もぎりの名無しさん:2011/03/02(水) 11:19:38 ID:t1buBagU0

≫817
エゴが出て来てもいいんです。思考したり焦ったりしていても、
それに気づいているあなたがいるじゃないですか。

繰り返していたら慣れて観察者の立場にすぐ戻れます。

 

824 :817:2011/03/02(水) 20:37:45 ID:hJTxfjgY0

「ここが自分のエゴを見てる場所だ」と感じる時=「別の領域」を、本当に感じる時があります、
その時はほんとに「今」にいるし「思考停止」に近い状態になります。

ただそれが長く続かない→いつの間にか思考状態→エゴ状態
になっている気がして・・・

 

自己観察さんが「自己観察も大事だけど別の領域に浸る時間をとってほしい」って仰っていたので、
自分も浸ってみたいのですが、すぐに思考しているので、他の皆さんはどうなのかなって思います。
思考停止は人間は長時間できない生き物なので、やはりわずかにでも思考しながら別の領域
(自己観察地点を意識する)に浸っているのでしょうか?

 

826 :もぎりの名無しさん:2011/03/02(水) 23:00:51 ID:psg5Ebes0

≫817

≫別の領域の体感中の思考の扱い方を教えてください。

 

書いてたら、前置きがすごく長くなって、しかもくどい文章になっちゃいました。
人それぞれ道筋があると思うし、私自身もまだまだ先があると感じているので、
今の時点の認識ということで書いてみました。

そんなこともあるかもぐらいに軽く読んでもらえればと思います。
ちょっと連投します。

 

827 :もぎりの名無しさん:2011/03/02(水) 23:01:18 ID:psg5Ebes0

別の領域で感じる「無」にはすべてが含まれているんですが、
その「無」であり「すべて」というのは、実は本当の自分のことです。

 

別の領域では「何も起こってない」とか「既にある」とか「愛」「無限」「完璧」・・・なわけですが、
そこは絶対性の世界で、そこで全部完結してしまっているので、創造のプロセス(願望→実現)
というものが存在しません。だからここは「願望=実現」の領域なのです。

 

で、「本当の自分」は、その創造のプロセスを体験してみたくて
「私」という個人意識のフィルターを使って相対性(分離)の世界を体験することにしたわけです。
この「本当の自分」が海で、「私」が波ということになります。

 

すべては幻想で、実際は何も起きていないけれど、フィルターを通すと様々な出来事が
起きているかのように見え、そして実際にはすべてがあるけれど、フィルターを通すと
何かが「足りない」ように見えます。

 

そうでないと、出来事を体験したり、なにかを得たりする経験ができないからです。

 

なので私たちがそれぞれ体験している世界というのは、「何も起きていない実相」を
「私」というフィルターを通して投影したそれぞれオリジナルの世界です。
だから「私=世界」になるんです。

 

 

私たちは、この「私」というそれぞれの個人意識を通して見る世界を知りたくて、
「OO(個人名)という人間として生きている」というフィルターを装着しました。
このフィルターというのは観念のことで、人それぞれにオリジナルのフィルターを
たくさんつけています。

私たちは長年肉体が自分自身だと思っていたので、自分の体が気に入らないと思ったり、
起きてるように見える出来事を体験して、多くの場合は苦しんだりしてきたわけですが、
「本当の自分」から観ると、そのプロセスを経験することは喜びだったりします。

 

退屈なストーリーよりも、悲劇的で複雑なストーリーのほうが面白いという感覚です。

 

エゴはそのことを知らないので、「もっと違う体がよかった」とか「環境を変えたい」と思って、
投影の現れである現実の中で、あれこれ試行錯誤し続けてきたんですが、もう投影されてしまった結果を変えようとすると、そこは分離の世界なので、

「ダイエットしなきゃきれいになれない」とか「OOするにはもっとお金が必要だ」とか、
さらに分離に基づいたフィルターを増やし続けるしかなかったんです。

 

「OOが欲しい」と思うことは、「OOがない」というフィルターを通して世界を見ているんだけど、さらに「OOを手に入れるためには××をしなくては」というフィルターを追加して、どんどん制限を増やしているだけです。

 

それらのフィルターを外していけば、「既にある」ように世界が見えてくるよってことで、
リリースしようとするんだけど、結局、分離にいながら分離から抜け出ようとすることになるので、
それがまた「観念をリリースできなきゃOOは手にはいらない」という新たなフィルターになることも多くて、停滞してしまう。

 

828 :もぎりの名無しさん:2011/03/02(水) 23:01:50 ID:psg5Ebes0

日常の中で、お金を支払うときに「これ買って後で困らないかな」と思ったり、
ケーキを食べた後に後悔してしまったり、顔を見ただけでムカつく奴がいたり。

自分にとって当たり前になりすぎてると気づきにくいかもしれないけど、
たいてい同じシチュエーションを体験するときは、思考プログラムが起動して
自動的に思考が再生されています。

そしてその自動再生された思考に反応して、感情では「この環境のせいで不快なんだ」と感じています。

だから不快な感情やよくない思考をしていると、その通りの嫌な現実が起きてくるよというのは
正確ではなくて元々そういう体験をしたくてそのフィルターを選んたのに、エゴではそれを
体験したくないと否定してしまうので、それは完了されずに再配達されて、何度も繰り返してしまうんです。

 

ここでその不快な感情を感じつくすことで体験を完了させることができると、
「本当の自分」はもうそのフィルターに興味がなくなるので、それは消えていきます。
すると、同じ場面でも不快な感情を感じなくなるし、出来事自体も変化してきます。

 

で、この方法とは違う方法で、

リリースしなくても別の領域で気づいていれば自然と消えるよといっているのは、

別の領域は、「私」というフィルターをつける以前の領域だからです。

分離する前の、すべてである領域です。

 

「気づいた時点で消える」という表現は、他にどう表現したらいいかわからないんですけど、
「手放そう」とか「消そう」とか「~~しよう」とするような性質のものではないという意味で
使用しました。

別の領域では「~~しよう」とすることはできないので。

そこに留まっていると、段々、自分が今まで自分だと思っていた分離の思考が、
自分のものではないということがわかってきます。
そして、体験するフィルターを選べる立場である「本当の自分」であることがわかってきます。

 

なので、「現状を受け入れろ」といわれているのは、「現状で我慢しろ」という意味ではなくて、
「この現状は、『本当の自分』が体験したくて選んだんだ」ということを受け入れろという意味です。
自分が体験したくて選んだんだということを受け入れられなければ、自分が体験を選べる立場
であることを否定していることになるので、エゴのなかで制限された体験しかできません。

だから今の肉体も、周りの環境も、本当は自分で選んだんだと認めて受け入れるんです。
現実は自分が選んだとおりの完璧な結果だということを受け入れていると、起きている
すべてのことが愛おしく思えてきます。

 

エゴから見れば不足を感じる現実だとしても、もう現実の中で格闘する必要がないことがわかるし、
「本当の自分」という立場に立てば、すべては愛からだったということがわかるからです。
そしてもちろん、自分の望む現実が選べるということがわかるからです。

 

829 :もぎりの名無しさん:2011/03/02(水) 23:02:15 ID:psg5Ebes0

ずっと分離されてたと思っていたので、別の領域に気づいたからといってすぐさま何もかもが
変わるわけではないです。今までのエゴの習性がすっかりなくなるわけでもないです。
「問題」によっては簡単に解除されるものもあれば、時間がかかるものもあると思います。

 

人それぞれつけてるフィルターが違うので、
「本当の自分」を信頼できるようになるまでには個人差があると思います。

この世界で生きることを選択している限り、個人意識を完全になくすことは難しいし、
まだまだ個人として楽しみたいこともたくさんあると思うので、なくす必要もないのだけど、
人でありながら、世界であるためには、別の領域で自分を観ている存在でいることなんです。

 

≫817
ですので≫818さんのおっしゃってる通り、エゴが出てきても気づいていればいいんです。

気づいている=本当の自分に意識をおいているということは、エゴにはなんの力もありません。
何か起きているように見えるのは、自分を深く知るためにそう見えてるだけで、実際はそれも
愛なんだと思います。

 

なのでエゴが出てきても焦らないでいいですし、ときにはエゴに巻き込まれることがあっても、

「あー今巻き込まれてたわ。まだ人間だから仕方ないよね。
でも私はエゴじゃなくて別の領域の感覚を信頼するわ」

と再確認するようなかんじでいいんじゃないかなと思います。

 

≫824

読みましたけど、うまくできてると思いますよ。
思考停止は私もあまり長くできないです。どうでもいいような雑念が沸いてくるときは、
無理にとめようとしないで、その思考に捕らわれないように流していくような感じです。

毎回出てくるような自動思考なんかは「またプログラムか。」ってかんじで
バサッと効果音つきで削除する場合もあります。

あと強い感情を伴うような思考だったら、離れた位置から眺めてる感じです。

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