自己観察さん-115/「今の瞬間」にいられるのは、主観性(存在性・気づき)だけです。

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171 :幸せな名無しさん:2013/10/29(火) 19:38:13 ID:srtXaxgc0

仮に「不細工」と自分で認識してることがエゴで、「不細工」を認識できるということは、
自分が「イケメン」だからでもあるということでしょうか?そう考えるとエゴには到底理解不能です。
けど、「そうなのかも?」というところまで言っています。

今はエゴに対して嫌な感情や理想の自分にそぐわない言動、行動をしてしまったら、
「あーかわいそうにエゴは一部しか理解できないんだもんね。本当は全部あるから、
そう認識できるのに」とかしてますが、これだと、否定してることになるのでしょうか?

 

173 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 00:43:38 ID:4qeG9WaM0

≫171
「貧乏」も「不細工」も「体調悪い」も全部同じです。
この世界で一部分を見てるなら、その上に(土台?)丸ごと全部あります。
一があるものは全部ある、宇宙はそういうフラクタルな構造です。

≫今はエゴに対して嫌な感情や理想の自分にそぐわない言動、行動をしてしまったら、
≫「あーかわいそうにエゴは一部しか理解できないんだもんね。本当は全部あるから、
≫そう認識できるのに」とかしてますが、これだと、否定してることになるのでしょうか?

まず体調の件で「否定しているのでは」と書いたのは、
書き込みが「体調悪いのはよくないこと」前提に見えたので。
≫165の貧乏を「体調悪い」に置き換えれば、体調いいのも体調悪いのも同列なので
それに気づくだけです。

まあ体調が悪いときは気持ちも落ち込みやすいですから仕方ないですしね。
「ごちゃごちゃ考えてるな」ってことに気づいてるだけです。
「あーかわいそうに~~」はそういう意味で、気づいているってことなのでいいのではと思います。

初めのうちは言い聞かせてるような感じかもしれませんが、
気づきが活性化すればもっとシンプルになるでしょう。
実際はエゴはエゴのありようとして素晴らしいので、かわいそうではないんですよw

あとですね。思考の役割は物事を細分化することです。
「なぜ」「どうしたら」と細かく切り刻んで追求することが得意ですね。
ですが165の通り私たちは一部分ばかりに焦点を当てて、
全体を見ることが出来ないから苦しむわけです。

鏡で全身を映すには少し離れなくていけないし、そうなると細部をみることはできません。
それと同じで思考で詳しく探求しようとしてることに気づいたら、
「それを支えている全体性は何か」のほうに意識を向けることです。

その答え(全体性)がすぐにはわからなくても、わかることが大事なのではなく、
その意識の在りかたでいることが重要、というより
その意識の在りかたがそのまま「既にある」の体現ですから。

ですのでこれも詳しく理解しようとしないくださいね。
最後の二行だけで充分ですので。

 

175 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 09:20:51 ID:CRCXs5.g0

≫173
わかりやすくありがとうございます。
「体調悪い日」を確かに悪いものと認識してました。

さらに、体調悪い→体調良いに変えようとして
受け入れる気付くをしていましたが、これも間違いでしょうか。
不安を感じた→安心を感じるためにも同じようなことをしてしまうのですが、
こればかりはどうしようもないような…

エゴが一部しか見れないのなら今見てる現実も
実は一部でもう既に「金持ち」だし「超絶イケメン」なのかなと。
エゴも、全体性を気付かせてくれるために存在してるのかと考えたら
愛おしいと思える人がいるのも納得です。

 

179 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 12:10:57 ID:CQKYYJxQ0

≫175
≫体調悪い→体調良いに変えようとして
≫受け入れる気付くをしていましたが、これも間違いでしょうか。
≫不安を感じた→安心を感じるためにも同じようなことをしてしまうのですが、
≫こればかりはどうしようもないような…

そうです。どうしようもないですし、どうも出来ないんです。
よくないと思わないようにするとか、思ってしまったことをどうにかすることはできません。
変えたいと思ってしまうことを受け入れる必要があるわけでもありません。
受け入れようが受け入れまいが、エゴはエゴとして「変えたい」といってるだけです。
変えられないもの、変える必要がないものを変えようとしてるだけです。

「悪いものだと認定する」「それをどうにかしようとする」
それがエゴの仕様というものですし、エゴはエゴとしてまっとうにあるだけなので何も悪くありません。
エゴは自由にさせてあげて構いません。
本質的に私たちはエゴではないですし、そこに振り回される必要はありません。

そのエゴと自分を同一視しないことです。
エゴが何を主張しようと、それに気づいてることです。

「辛い状況」と「楽な状況」は並列してそこにあるのであって、それぞれに完結しています。
エゴで想定してるような、直線状の「変えられる仕様」としては存在してません。
辛いときに「楽な状況」を望むのは当然でしょう。

ですがそれぞれ完結して存在しているのだから
「楽な状況」を選ぶのに「辛い状況」を変える必要はありません。

「受け入れる」「手放す」「放っておく」とか言葉にすればそんな感じかもしれませんが、
どうする必要もどうすることもできないのでどうしようもないってことです。
どうしようもないことがエゴには許せなくて「受け入れる」という見かたをしようとするだけです。

ただそこにあるものを選ぶだけです。
それは意識の在りかたです。意識がそのまま世界です。

≫エゴも、全体性を気付かせてくれるために存在してるのかと考えたら
≫愛おしいと思える人がいるのも納得です。

そうですよね。
エゴはこの世界での限られた範囲で見せてくれてるので、
見たいものはあなたが「今」の在りかたとして、ただそのように在ってください。

 

184 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 19:26:52 ID:CRCXs5.g0

≫179
では「体調悪い」と「体調いい」は各々に独立してて、完結しているならば、
現状が「体調悪い」のに何故「体調いい」と思い浮かべることが出来るのでしょうか?

それは「体調いい」=充足で「体調悪い」=不足だから、達人さんは充足(体調良い)に目を向けろ
と言うのならわかりますが、不足充足と分けること自体が分離なのでは?と思ってしまいます。

さらに、接客の仕事をしてるのですが、目の前のお客さんにイライラしたり、仕事の出来なさ、
効率の悪さが嫌で「穏やかに仕事のできる自分」というあり方を思い出して頑張っています。
しかし現状がこれなので、たまに折れてしまうこともあります。
いつになったら笑顔で仕事のできる自分になれるのだろうと。

 

186 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 20:55:27 ID:CQKYYJxQ0

≫184
≫充足(体調良い)に目を向けろと言うのならわかりますが、
≫不足充足と分けること自体が分離なのでは?と思ってしまいます。

体調が「悪い」「いい」と表現すると「不足→充足」と繋がってるように見えるかもしれませんが、
「悪い」「いい」はあくまでも自己基準で相対的に表現しただけです。

例えば体が「どんより重だるい」「軽やかで楽しい」という感覚があったとして、
それらを「不足」「充足」としてるのは、こういう掲示板で分離的価値観を前提としてる人に
説明するには、やはりある程度、分離を前提とする必要があってのことだと思います。

≫では「体調悪い」と「体調いい」は各々に独立してて、完結しているならば、
≫現状が「体調悪い」のに何故「体調いい」と思い浮かべることが出来るのでしょうか?

独立して完結しているというのは、「体がどんより重だるい」のは
それはそれとしてただそうあるものだからです。

そうであるものを変えることは出来ません。
それはただ現れて去っていくだけです。
それは、全てが既にある中で、完結して存在した
「体がどんより重だるい世界」にピントを合わせているのです。

そして「体調いい」と思い浮かべることができるのは、相対的な思考があるからです。
物事を相対的に関連付けているからです。

意識のあり方がそのまま世界に現れると書きましたが、
意識であるものが「気づいてるもの」がそのまま世界に表れています。
意識の本質として、それは常に気づいていて、気づいていないことが出来ません。
たった今、この瞬間にすべてに気づいています。

ですがエゴは「今」にあることが出来ません。
何かに「なろうとする」或いは「現状を否定する」「何かのためいつかのためにこれをする」とか。
たった今すべてがあるのに、「今ではないもの」を求めてるんです。
当然エゴでは「今あるもの」を曇りなく見ることはできないでしょう。

それは目の前に展開する出来事や、五感で感じてるものに「反応」する形では出来ないことです。
反応では「今の瞬間」を逃しています。

「今の瞬間」にいられるのは、主観性(存在性・気づき)だけです。

 

187 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 20:59:38 ID:w2c/8ZZkO

≫186
横だけど
≫「今の瞬間」にいられるのは、主観性(存在性・気づき)だけです。

↑なんて良い言葉なんだ!もしかしてこれこそが充足?

 

189 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 23:26:25 ID:CQKYYJxQ0

≫187
≫もしかしてこれこそが充足?

それが存在するものすべてです。すべての物事の実体です。

 

188 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 21:45:07 ID:CRCXs5.g0

≫186
ただそうであるだけで、「いい」「悪い」を判断しているのはエゴなんですね。
どうしても今までの認識の癖からか変えたいと思ってしまいます。
ただそうなっても気づいている存在が本当の自分なんですね。

確かに五感で感じものや現状と思われることも認識した時点で過去ですもんね。
けど、風呂に使って「ぬくぬくー」は別の領域だとどこかで目にしたのですが、
これも過去つまりエゴなのではないのでしょうか?

エゴエゴな自分はその気づいてる存在に止まっても物足りないというか、
もっと幸福なことがあるのではないかと思ってしまいます

 

189 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 23:26:25 ID:CQKYYJxQ0

≫188
≫風呂に使って「ぬくぬくー」は別の領域だとどこかで目にしたのですが、
≫これも過去つまりエゴなのではないのでしょうか?

お風呂に「反応している」という意味では分離ですが、
その心地よさを取っ掛かりにして、別の領域に誘導するための表現です。
そもそも別の領域とは「今に在ること」であり「本来の自然な状態」なので
「変えたい」とか「物足りない」からまず離れて自然な状態を思う出してみては?という提案でしょう。

繰り返しになりますが、たった今すべてがあります。
純粋な気づきであるものは、たった今すべてに気づいています。
ですが「分離していると思っている」エゴは今にいられないのでそれを見ることが出来ません。

「変えたい」のも「物足りない」のも今にいられていないからです。

あなたは、思考や記憶と全く関係なく、体の感覚や五感に全く依存せず、
それでもたった今存在していることに気づくことはできますか?

 

190 :幸せな名無しさん:2013/10/30(水) 23:42:38 ID:CRCXs5.g0

≫189
それが心地よさで別の領域ならば、心地よくないことは別の領域ではないのはなぜですか?
風呂わいてると思って水風呂だったときに、水風呂にしたやつ誰だ、
冷たくて不快は別の領域ではないのでしょうか?気づいてる存在が別の領域なら
そう感じても今にいることはできますよね?

思考・感覚などに依存しないで今にあることですか…
気付けるような気付けないような微妙な感覚です

 

192 :幸せな名無しさん:2013/10/31(木) 00:23:42 ID:MrQAvnCw0

≫190
≫それが心地よさで別の領域ならば、心地よくないことは別の領域ではないのはなぜですか?

別の領域とは本来の自分ですから、実際は本来の自分でないときなど無く、
今にいることが出来ないなどということもありえません。

心地よくないことが別の領域ではないのではなく、心地よくないことへの反応と
自分を同一視しているので、本来の自分に気づけていない、今にあることを見失っているのです。
(これも実際には見失うことは出来ません。)

≫思考・感覚などに依存しないで今にあることですか…
≫気付けるような気付けないような微妙な感覚です

そうですか。
その微妙な感覚が存在性そのものです。
その存在性だけが今の瞬間に「在る」ものです。

いろいろ知りたいことはあるかもしれませんが、最初のほうに書いたとおりそれは重要ではありません。
むしろ「わかりたい」と同化していることには気づけていますか?
それよりも「今」に在り、その存在性に気づいていましょう。

 

193 :幸せな名無しさん:2013/10/31(木) 00:48:43 ID:9JE/vj2Q0

≫192
あることそのものから、感情やエゴが湧いてくるイメージでしょうか。
「歩いてる」も目で景色が吸い寄せられている感覚や、足が動く等
様々な条件を与して「歩いてる」を作り出している?

「わかりたい」と同化してることは気づいているつもりです。ただ物足りないのです。
「金持ちになる」「就職する」が今の願望なんですが、その為に行動しても無意味なことはわかります。
しかし、既にある意識に浸っても不安は沸いてきます。同化しなければいいのでしょうが…
金持ち、就職してると思い浮かぶということはもうそうなってるのだから
その感覚で今にあればいいのでしょうか

 

194 :幸せな名無しさん:2013/10/31(木) 01:10:00 ID:MrQAvnCw0

≫193
≫あることそのものから、感情やエゴが湧いてくるイメージでしょうか。

特にイメージはありません。そういう先入観は必要ないのでは。

≫「歩いてる」も目で景色が吸い寄せられている感覚や、
≫足が動く等様々な条件を与して「歩いてる」を作り出している?

意識は不動です。見ているだけです。

≫「わかりたい」と同化してることは気づいているつもりです。ただ物足りないのです。
≫「金持ちになる」「就職する」が今の願望なんですが、その為に行動しても無意味なことはわかります。
≫しかし、既にある意識に浸っても不安は沸いてきます。同化しなければいいのでしょうが…
≫金持ち、就職してると思い浮かぶということはもうそうなってるのだからその感覚で今にあればいいのでしょうか

「わかりたい」と同化してるとき、充足感がありますか?
「今」に在るとき、「辛さ」「物足りなさ」がありますか?

今この瞬間に「在る」ものに気づくことでしか
その「物足りなさ」が景色を覆う霧だと気づく事が出来ないのではないでしょうか。

少しずつでも「今に在る」「気づいている」ことに慣れていくことしかないかと。
気づいていることの意味とか大切さみたいなものを自覚できるまでは、
さまざまなことと同一化するかもしれません。
それにもただ気づいている、です。

 

196 :幸せな名無しさん:2013/10/31(木) 09:24:59 ID:9JE/vj2Q0

≫194
気付くことしかできないわけですね。
エゴからしたらそれも無力感がしますけど、本当は壮大なことなんですかね。
思考、感情が勝手にわいてでるなら、もうそれはそのままでしたいことしようかな
と言う心境になってきました。

 

204 :幸せな名無しさん:2013/10/31(木) 17:59:56 ID:MrQAvnCw0

≫196
エゴにとっては面白くもない、やる気の出ない話ですよね。
でもエゴがやる気を出してもそれは一時のことで、結局上がったり下がったりの
ジェットコースターですしね。その見せかけの「無力感」の裏面に気づくことで、
「新鮮さ」や「壮大さ」に気づくことが出来るのかもしれません。

実際のところエゴも分離も幻です。
「壮大さ」そのものが自分なわけですから、やはり今に在ることなのです。
不動の意識に在るとき、物事は起こってきます。
その上で、したいことを楽しんでいればいいのです。

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