【認識の変更】いくらでも不安になれるしいくらでも幸せになれるのを知ったよ。

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854: もぎりの名無しさん :2011/02/17(木) 00:21:09 ID:bk/8w23AO
成功?ではないですが。
私は瞑想が好きです。

最初はなかなか出来なくて、面倒くさくなってやめました。

で、ある日、セドナメソッドを知ったメソッド中毒だった私は
『なんだ!このメソッドは!ニヤニヤ』と飛び付いた。

試しに、一日を振り替えって嫌な気分になった事を思いだし、セドナで手放した。

あら不思議。もう思い出せない。

『うへー!すげ!』と一日でセドナにどっぷりはまった。

手放したいことは次から次に出てくる。どんどん手放した。楽しくて仕方なかった。(今もたまにやる)

セドナを始めて4日か5日経つ頃、変化があった。
まさかの号泣だった。
しかも大号泣。

今私は20代後半なんだけど、物心ついてからは
運動会の騎馬戦で骨折した以来、泣いたことがないという人間だ。

そんな私が何も起きてないのに大号泣するってのは
かなりびっくりした。

変な言い方になるけどスッキリはしなくて、とにかくびっくりした。

『こりゃー何かあるな』
ととにかく、どうしていいかわからないのもあって
思い付く限り、手放しまくった。私なりに。

さらに1週間後ぐらい経った頃かな?

いつものように、その日あった事や昔あった事を思い出しながら家に帰り床に座って、手放してたら
いきなり、瞑想に入った。
多分。。。あれが瞑想なんだと勝手に思ってる。

セドナを初めて5秒も経たずいきなり入った。

からだがポカポカとか、いい気分とかはしなかったが
海の中に垂直に立っている感覚だった。

水は鼻と口の間の辺まで来ていて、
あと少ししゃがんだら
呼吸が出来なくなるな。と思った。

しばらくプカプカしていた。

『ん(・o・)これどうしたらいいんだろ』

何だか笑えてきた。

何プカプカしてんだよと。
どーすることも出来ず
仕方なくしばらくプカプカしていたら、
プカプカで立った感覚のまま、
真っ白い町並みが見えてきた。
プカプカで立ったまま私は車に乗っていて席は助手席だった。

車の中にいるのにそれは赤色の車だということはわかった。

今思うとそう決めただけなんだけどな。

信号も、民家も、木も、電線も真っ白。
雪が積もってるって感じじゃなくて
何だろうな~、うまく言えないけど、白い紙で上から貼り付けた感じかな。

誰かにどこかに連れてかれる。
と思うのと

どこにもいかない。

と思うのと何だか表現出来ない感覚だった。

誰か横に居るのは確かだ。
部屋で座っているのも確かだし
水の中にいるのも確かだ。町並みが見えるのも確かだし、私が私なのも確かだ。夢じゃないのも確かだし
目を開けたら、
この感覚が終わるのも確かだ。

すべてを把握した時

もう何も考えたくない。
考えるのがこわい。
思考を動かしたくない。
なにもしたくない。
このまま居たい。
何かを考えることによってこの景色が見えなくなるかもしれない。
見えなくなると思うと不安だ。
だから何も考えたくない。反応したくない。

そう強く反応した瞬間
体がグランと揺らいで後ろに倒れ、目を開けてしまった。

いつも通りの部屋にいた。

座ったままこけた私がいた。

それからは目を閉じて
一呼吸目から瞑想に入れる。

プカプカな感覚や町並みが見えたりは、無いけど
とにかく気分がいい。
なにも考えることが出来ない世界だと思う。

瞑想してからは
何かがあっても受け取れるようになった。
だから手放せる。
願望もなくなった。
それがいいのか悪いのかは知らないが
それがどうでもいいものなのは確かだ。

いくらでも不安になれるしいくらでも幸せになれるのを知ったよ。

長文失礼しました。
ノシ。

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