ZwCさん-7/メソッドしてもしなくてもいい。今、気持ちが楽になれるならなんでもいい

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145 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2014/03/29() 00:31:01 ID:PGiN1c/c0

補足します。
「やりたいこと」の定義も人それぞれですが、ここでの極論は
「未来の不安を気にしないで行う何か(特にワクワクとか気にしていません)」ですが、
もちろん極論なんて目指さなくても良いので、やっぱり明日の試験が不安で、
勉強しておきたいならしてもいいと思います。それが今やりたいことになります。

また、やりたいことが無いことにもやもやしているならば
「なんでこんなやりたいことないんだー!」とまず感情発散することが
したいことなのではないかなと思います。
それすら本気で何もやりたくないと思っているならば、
「何もやりたくないことをやりたい」でいいと思います。

「何もやらないこと」にマイナスイメージな観念があると「罪悪感」やら「焦燥感」が付いてきて、
またその感情が湧くことによって触発された観念がずっと変わらない現実を創造します。
それが悪いとかではないですが、打破したいのならばそこを考慮にいれて・・・ということです。

167 名前:1 投稿日:2014/04/01() 21:07:22 ID:/yBF9m1Q0

補足します。
潜在意識は「信じたものを見るように現実を創造する」ので、
感情を処理したらそれに関連する観念も消せると思ったら消えます。
それは感情を消しつつ同時に観念を消すことを意図しています。

セドナではざっくり言ってしまうと
「感情の解放をすることによって人生が好転する、観念も消える!」という意図を意識下で促しているのです。
なので「感情を解放したら悪いことが起きる」と思ったらきっと起きると思います。
しかし、反対に言えば「何もしなくても今恐れている事は起きない」と意図すれば起きないというわけです。

感情を解放する本当の利点は、「嫌な感情は感じ切れば消えるんだ」という実体験を
味わえることによって嫌な感情が湧き上がることに対しての怖れが格段に減り、
(防衛が必要なくなり)、以前より自由に振舞えるというところにあると思います。
これは観念を消さなくても感情の解放だけで粗方満足感が得られる所以です。

ただ、>>10でも書きましたがクレンジングは「自分を浄化する」というストーリーがあるので、
「自分の心の中にあるものを解放していこう=自分のなかに色々ブロックや解放してない感情がある」
の公式が自然と成り立ってしまい、メソッドに意気込むと実際解放しても解放しても
「自分の中に何かある」を無意識に意図するので「解放するために生きていく人生」になってしまうのです。

191 名前:1 投稿日:2014/04/04() 22:56:28 ID:7wex0EYQ0

補足というよりむしろ番外編です。

「他人はいない」

「現実は幻想」または「自分が創造主だ」という考えを採用すれば、
「じゃあ他人って何?自分の創造物?」という気持ちになるのは当然ですし、
そうでなければ辻褄が合いません。それゆえ「他人はいない」と言ってしまっている人もいます。

ただ>>104「現実は幻想」と同様、これは本当かどうかはわかりません。
これも、「メソッドしたら相手が別人のように変わった!」など、
実際そう思わずにはいられない現象が多数あるため、採用する価値はあると思います。

なぜ、自分が変わったら相手も変わるようなことが起きるのか。
何度も言いますが、潜在意識は信じたものを見るように現象化を創造しますので
「他人がいない」と本気で信じたならば「やっぱ他人も自分で創り出してるな」と思うような現象ばかり起きます。
シンクロニシティなんかが続くとそう思うのではないでしょうか。

例えばお寿司が食べたいなと思っていたら
「相手がお寿司たべたい」なんて言い出す・・・会社辞めた途端に知り合いから会社起こそうなんて言われる・・・
そんな引き寄せが続けば、自分の都合次第で相手が動いているように思えてきます。
そして自分が相手を創造していると確信していきます。

なので、そんな人にとっては「他人はいない」は紛れも無い事実となっていきます。
もちろん、本当に他人はいないかもしれませんが。

「他人がいない」「世の中はワンネスだな」「他人とは意識下で繋がっているな」と同様、
「やっぱ他人はいるな」も意図すれば現象化(そう感じざるを得ない現象に出くわす)します。
「信じたものをみる」この一言につきます。

どちらかと言うと「他人がいない」といっている人は
「他人がいないと仮定したらどれだけ楽か」というニュアンスを含んでいると思います。

「他人がいない」を採用するメリットは、他人の批判は自分が創り出したことになるので
全てが自分へ投げかけたい言葉となり冷静に受け止められます。
「批判される」という概念が無くなるので人に対する怖れが全般的に薄れます。

例えば「大切な人を失う」という概念も他人はいないので(自分の創造物なので)
「自分が次の幸福のために離れさせた」とすることができます。
「相手に傷つくことを言ってしまった!」としても他人はいないので、
「でもこれは結果的にいい展開の伏線になる」と決めてしまえばそうなります。

これら、もし「他人はいる」が前面に出ていたら、両者の気持ちはどうなるの?とか
なんやかんやで「うまくいく」という意図を取り下げまくることになります。

本当は「現実は幻想」という概念の中に「他人はいない」ことも包括されているのですが、
「他人がいない」を採用してからでないと「現実は幻想」と思いにくい場合もあるかもしれないので
補足してみました。

192 名前:1 投稿日:2014/04/05() 10:23:21 ID:cKGuNlKg0

ちなみに、私はこのスレに書かれていることは全て隈なく読んでいます。
補足、または予告が無いということは前にどこかに書いてあるという意味だと捉えていただきたく思います。
さらに他の方がレスしていることが、さらに噛み砕かれていてとてもいいと思うので
「妄信的になるのではなく」、心に響いたもの、なんか気づいたと思ったこと、
やってみようと思えたものだけを取り入れるといいのではないかと思います。
(成功したと思える人だから信じるのではなくて、ただ純粋に取り入れたいと思ったことだけを。)

ある人にとってはコーヒーを毎日飲むのは健康に繋がるのが、
それを真似してある人がコーヒーを頑張って毎日飲んだら体質的に合っていなくて
病気を誘発することがあったりという感覚に似ています。
無理して何かを取り組んでいたらネガティブアラームです。

以前も言いましたが、メソッドしてもしなくても良いんです。
本来ならメソッドいらないはずだからと、メソッド辞める必要はありません。
普通の人よりも何か「おまじない」してる人の方がなんか強い力発揮しそうな気持ちもありますし。
とにかく今、気持ちが楽になれるならなんでもいいです。
もちろんなれなくても問題はありません。

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