自己観察さん-42/自分の感覚を何かに依存せずに感じていれば、 本当に何も必要ないことがわかる

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236 :もぎりの名無しさん:2011/04/04(月) 16:38:49 ID:3rRRffx60

自己観察さん。
あなたのような立場の人は、周り(身近)に苦しんでいる人はいない、ってことでしょうか?
例えば自分の大切な人が苦しんでいる様子を見ると、すごく辛いですよね。すごく心配で。不安で。

あなたのような立場にいれば、不安になっているのはエゴってことで、安心していられる?
それともそもそもそういう立場にいる人には、そんな(不安になるような)現実は現れてこない?

 

238 :もぎりの名無しさん:2011/04/04(月) 17:07:21 ID:psg5Ebes0

≫236
私自身は普通に不安を感じることがあっても一時的なものです。
それ以上振り回されて苦しむことはあまりないです。
今のところ私の周りで苦しんでる人はいないように思います。

あと他人の心配することは一見思いやりのように見えますが、
本当の意味での思いやりではないと思っています。
その人に対して「苦しんでいる人」という属性を与えていることになるので。

この考え方はチケット以前からのもので、自分自身が誰かに心配されることを負担だと感じていた
からです。たぶんドライな考え方に見えるかもしれませんが、そんな感じです。

 

265 :もぎりの名無しさん:2011/04/04(月) 19:04:58 ID:1p0tIfYIO

自己観察さんがいう、苦手なやつでも愛して欲しくてでてきた投影だってのはなんかわかるなぁ。
実践していく過程でそうかもと思ったけど、自己観察さんみたく七章というものが理解できた人は
苦手な人が出てきてもいちいち愛さなくて憎んでもいいやってなるのかな?
それとも苦手な人はでてこなくなるのかな

 

274 :もぎりの名無しさん:2011/04/04(月) 22:58:44 ID:psg5Ebes0

≫265
身近な人間関係に苦手な人っていないですねえ。
たまに皆から悪口言われてる人とかいても、自分にとっては特に気にならないし。

テレビの中の人とかスーパーで大声でけんかしてるおばさんとかの遠い人を見て、
批判的な気持ちを持つことはあるけど、「私こんなジャッジ持ってたかー」と
早めに気づいてリリースしてるので身近に現れないんだとおもう。

 

303 :もぎりの名無しさん:2011/04/05(火) 21:13:25 ID:XiIJihmAO

自己観察さんの言う『別の領域を信頼する』とはどういうことでしょうか?
単純にエゴ以外の領域に安心して任せられる、みたいなことでしょうか?
既に説明されていたらすみません。

 

305 :もぎりの名無しさん:2011/04/05(火) 21:56:35 ID:tSjy7XikO

私も≫303さんと似たような疑問があります。

私は複式呼吸に意識を置いて瞑想しています。
20分位しか出来ないし、雑念ばかり湧いてきますが、それでもやっていると、ネガティブな考えや
不安な感情が小さくなっていて、ネガティブ不安を別個の物体として見ているような平静な淡々とした
意識があります。上手く説明できないです。[ネガティブ]と、[もうひとつ冷静な意識]がある感じ(?_?)

これが「別の領域なのかなぁ~?」とは思うけど、瞑想が終わっても淡々としてるだけで、
安心や喜び幸福感は無いです。自信ないせいか、これで大丈夫なのか、何だかよく分からないです。

 

307 :もぎりの名無しさん:2011/04/05(火) 22:39:34 ID:psg5Ebes0

≫303
あー、なんか「別の領域を信頼する」って言葉を簡単に使ってたけど、そういわれるとそうですねw

今の時期、外側にいろんなことがあって不安とか考えさせられることとか多いと思うけど、
自分の中に安全なスペースがあることを知っていると、それだけですごく安心できる気がする。
そういう場所を本当はすべて人が持っているけど、気づいてない人が多いと思う。

チケット読んでる人とかは「そういう領域があるらしい」と逆に難しく考えすぎちゃって、
特別な場所にしてしまうので、また違う意味で気づきにくいんだと思うんだけど、
私たちが日常の中で感じてる、ちょっとした安心感とか穏やかな気持ちになれる瞬間、
そこには本当は、自分の核みたいなものがあるんだと思うです。

その自分の中心に気づいてくると、不安なことが起きても
一時的には巻き込まれてしまうかもしれないけど、
ちゃんと自分自身に戻ってこれるというか、不安なことは不安なこととして、でも自分は
それに従わなくていいんだ、安心を選んでいいんだ、ということがわかってくるんだと思います。

別の領域にいると、エゴが何を言っていてもそれがただ喚いてるだけで、
それを自分が採用しなければ何も不安なことなんか起きないってことがわかってきます。
だからそのスペースに信頼が増すと、自然と選びたい現実を選べる立場に立てるようになるんです。
現実を創造してるのは、内面で選択してるものが投影されてるだけだから。

≫291で書いたように、「すべてのことは関連してない」ことを納得できるならそれもいいけど、
エゴは辻褄あわせをしてしまうのが習性だから、混乱してしまうと逆に遠回りにもなる。

だから私はエゴをすっ飛ばすやり方ではなくて、エゴとバランスを取りつつ
別の領域を信頼していくといいよというやり方を書いてる。
合う合わないは人それぞれだけどね。

答えになってますか?
ちょっと酔ってるのでわかりにくかったらまたいってください~。

≫305
その「冷静な意識」にもっと自信もっていいですよー!
安心喜び幸福感とかはひとつの側面でしかないです。それを感じられるからすごいとかじゃないです。
その「もうひとつの意識」に気づいてることに自信もって大丈夫ですよ。

 

321 :305:2011/04/06(水) 11:37:41 ID:tSjy7XikO

≫307の自己観察さん
≫305です。ありがとうございます。

お尋ねしたい事はたくさんあるのですが、理解力も無い上に文章をうまくまとめて書けなくて(≫_<)

ネガティブや不安を別個の物のように眺めてる「淡々とした、もうひとつの意識」に気付いたのは、
良い事だと思うのですが、この後は、どうすれば良いのでしょうか?(汗)

正直、「気付けたのは良かったけど、だから何なんだ?」と思ってしまいます(x_x;)
瞑想は、下手なりに続けていこうと思ってるんですが、試行錯誤しながらでも何か続けていれば、
また何かに気付く事が出来たり、別の領域に対する理解が深まったりするものなんでしょうか?

 

327 :もぎりの名無しさん:2011/04/06(水) 18:06:36 ID:XiIJihmAO

≫307自己観察さん、丁寧にありがとうございます。
別の領域にいると(自分を観察している位置)にいられれば不安な感情・思考に陥ってしまっても
その不安は現実化しない、実践してるとそれがわかるから別の領域を信頼することができる、
ということでしょうか?

エゴに気付けたとき、不安な思考をしているとき、観察する位置に戻りホッとしたりもするのですが
会社や人と接しているとその位置に戻っても、なかなか愛とか穏やかさというものは感じづらくて。
ここは愛の領域だ~安心だ~となかなか信頼?できないのです。

 

337 :もぎりの名無しさん:2011/04/07(木) 01:34:51 ID:psg5Ebes0

≫321、≫327
(まとめてのレスでごめんなさい)
「全て関係ない、全て100%叶うし叶ってる」けど「~してから叶う」と条件付けしてると
「~してからじゃないと」叶わないということなので、「~してから」という条件を
外せばいいってことですよね?

で、そこで今までだったらリリースとか自愛とか別の領域を信じるとか・・・をしてきたけど、
それすら関係ないってことですよね。読んでないのでたぶんですけど、「方法」に依存するなって
ことじゃないですかね?

ひとつの方法でうまくいったらまた同じ方法でやろうとして、うまくいかなかったら次の方法
・・・というループを切れってことかなあと。

で、自分の感覚を信じる(この表現も曖昧ですけど)
「自己観察」的な視点での説明になりますが、自分の思考や感情に気づいてる立場にいると、
「なにかをすること」が必要ないとわかってくるので、なにもしないんですけど、
(気分によってはすることもある)自分の感覚を何かに依存せずに感じていれば、
本当に何も必要ないことがわかると思うんだよね。

自分の思考感情に気づいてれば「何かをする必要がないことがわかるよ」って言ってるわけだけど、
「自己観察してればいいんですか」とか「気づいてる立場にいればいいんですか」とかたまに聞かれる。
そういう人は結局自分の感覚に気づけなかったり、そこに主体を置けないから、
自分の決定に自信がもてないし、何かに依存してしまうのだと思います。

それは他のどの方法でもそうだと思うけど、まず自立した自分として、
自分が決定するんだという主体性を持ってれば同じこと(各種メソッドとか)を
しても全然意味が違ってくるんじゃないかと思います。

ただ「方法」に依存して、「方法」に自分を従わせてるから、
何をやっても不安だし、誰かの答えを聞きたくなる。

それからどの方法をするにしても、表面的なやり方をなぞるんじゃなくて、
本質的な部分を読み取ってみたらどうでしょうか。

例えば「アファを1000回唱えよう」とか「お札に話しかけよう」とかおまじないみたいなのでも、
ただ1000回唱えてるのと本気で「そうなるんだ」という主体性をもって唱えるのとでは大違いだし、
「お札に話しかける」だって、本質的な意味は「お金」をもっと大局的に見てみると
自分の一部として投影されてることに気づくと、お金に対する意識が
変わってくるよってことなんじゃないかと私は思ってるんだけど。

そんな風に、自分なりに書いてあることをやってみて、わからないことがあったとしても、
すぐに「わからないけどどうしたらいいですか?」という姿勢になるんじゃなくて、
もっと自分を感じてみたらどうかと思います。

 

332 :もぎりの名無しさん:2011/04/06(水) 23:01:50 ID:66lV647I0

≫307自己観察さん、そして識者の方々に質問させてください。

≫だからそのスペースに信頼が増すと、自然と選びたい現実を選べる立場に立てるようになるんです。
≫現実を創造してるのは、内面で選択してるものが投影されてるだけだから。

質問①
「現実は内面の投影である」..この板では何度もでてくる言葉です。
教えていただきたいのは、この内面とはなにを指しているのでしょうか?

「内面で選択しているものが現実を創造する」..内面で選択している「もの」とは何なのでしょか?
感情でしょうか。思考やイメージなのでしょうか。

質問②
特定の選びたい現実がある場合、内面で何を選択すればよいのでしょうか?
例えば①「500万円ほしい」②「特定の人物と付き合いたい」の場合、それぞれ内面で
何を選べばいいのでしょうか?

質問③
自分の感情や思考を観察する。自分を観察している自分を認識する。
随分前に読んだ「さとりをひらくと人生はシンプルで...」を思い出しました。
自分を観察している自分のいる場所が別の領域なんでしょうか?

なんだか長くなってしまいすいません。よろしく願いします。
(ちなみにこのチケ板のおかげで私生活はどんどんよい方向に向かっております。)

 

337 :もぎりの名無しさん:2011/04/07(木) 01:34:51 ID:psg5Ebes0

≫332
①記憶や観念といった膨大なデータが複雑に絡んで投影されてるんだと思います。
殆どの場合無意識に。

②500万円にしても特定人物にしても、
その「物」自体ではなくてその物の「本質」を選べばいいと思います。

③その本は読んでないのですが、「観察してる場所」は別の領域の入り口くらいだと思います。
主観的にいちばん身近に感じられる感覚ということでそう書いてますが、別の領域は
感じれば感じるほど無限の広がりがあるので、それもひとつの側面ということです。

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